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晒す


晒すと聞くと人の暴露とか悪いイメージがあると思うけど、ちょっと前にネットでいろいろ見てたら、

「親のくせに子供を晒してお金稼いで酷い親だ!」

との書き込みを見た。それは知的障害を持ってる子供の両親が子供の生活を動画にして公開してる動画についてた書き込みだった。

俺も書き込みを見て、確かになとは思ったが、その動画には子供を公開することへの思いも書いてあって、

「この子は将来1人では生きていけません。そして、私たちはいつかいなくなって、この子の面倒を見れなくなる日が必ず来ます。なので、この子をみなさんに知ってもらって好きになってもらって、この子をどこかで見かけたら少しでもいいから、助けてもらいたいのです」

確か、こんなことが書いてあった。


障害を持った子供を育てるにはお金は絶対に必要だから動画の収益を得ることは悪くない。そして我が子を世間に公開する意味を知り、さらに両親の深い愛も知って、俺はまたしても涙したのだ。

そして「晒す」ということは悪いことばかりではないとも思った。

確かに子供の同意を得ずに世間に公開するのは後々、問題になるかも知れない。しかし、両親からしたら藁にもすがる思いで公開したのかも知れない。私たちだけではどうしようもないから、みなさん助けて!と。

忘れてはならないのは、これは今の時代だからこそ出来たということだ。昔のネットもない時代ならば、世間の偏見から隠れるように可愛い我が子を人目から隠す選択肢しかない時代もあった。

最近もTikTok見てたら、顔に障害のある赤ちゃんを公開してる動画を見た。

嘘はつきたくないから正直に書くが、最初に見た時に、とてもここには書けない言葉が心に浮かんだ。しかしだ。ずっと見てると不適切な言葉かも知れないが見慣れてくるのだ。最初の印象から気持ちが変わってくる。仕草とか可愛く見えてくるのだ。

そして、これだと思った。障害を持った我が子を世間に晒す親の気持ちはこれなんだと。

両親は顔に障害を持った赤ちゃんが可愛くて仕方ないという笑顔でニコニコだ。他人がこんな気持ちになるのは難しいとは思うが、みんなに見慣れてもらって、親しみをもってもらって、この赤ちゃんが大きくなった時に周りに助けてもらって、この子が生きやすい人生にしようと必死なのだ。

ずっと人の目から逃げる人生にしてはならないという覚悟を持った思いで、世間に我が子を晒してるのだろう。

ある有名なインフルエンサーが、

「◯◯さんはモテていいなぁ〜」

と言われて、

「俺なんかモテてないよ、ただ世間に顔を晒してるから見てる人の分母がデカくなって、その中の俺を好きな人が増えてるだけだ。誰だって見る人間が増えれば好きになってくれる人は増える。これはモテるとは言わない」

確か、こんなことを言ってたような気がした。

確かにそうだ。世間に自分を晒すという事は、自分を知ってもらう分母を増やすということだ。知ってもらわないと好き嫌いどころか何も始まらない。

もちろん、知ってもらう人を増やすということは、不快に思う人を増やすリスクも増えるわけだから、誹謗中傷が増えるリスクも伴う。

しかし、優しい心で障害を持ってる子供に接してくれる人を増やす可能性も広がる。


だから、覚悟して可愛い我が子を「晒す」のだ。

なんで、こんなに「晒す」という言葉に反応するかと言うと、ビートたけしの顔面麻痺での記者会見を見たからだ。

ダウンタウンの松っちゃんのニュースが気になるからいろいろ見てたら、たけしのように記者会見しろ!とのニュースが流れて来て、そこでフライデー襲撃事件での記者会見と顔面麻痺での記者会見の動画も貼ってあって、ついつい見てしまい、今さらながら、たけしの顔面麻痺の顔を晒す覚悟に唸ってしまったのだ。


俺はビートたけしが本当に好きで、男として憧れてたから、たけしの顔面麻痺を初めて見た時は衝撃で号泣してしまった。

「もう、たけしは終わった。あのカッコいい、たけしは戻ってこない…」

そんな事を思ったのを覚えている。

しかし、その後に出した「顔面麻痺」という本を買って読んだ時に、たけしの本当の思いを知って、

「良かった、たけしは終わってない。見た目が変わっただけで、中身は僕の大好きなたけしのままだ!」

そんな思いを抱いたのを思い出す。

まぁ、たけしからしたら、麻痺した顔を先に見せとかないとマスコミに追いかけ回されて鬱陶しいから最初に見せただけらしいが、とにかく、何も隠さず、ありのままの顔を見せたビートたけしを、俺はさらに惚れ直したのだった。

顔面麻痺で苦しんでる人も、たけしの会見で勇気づけられたと言っていた。ありのままの自分を世間に曝け出すのは本当に勇気のいることだ。ましてや、ビートたけしは芸能人なのだ。


俺自身もどこの誰だが、どんな人間かを正直に書きたいが、この家には両親も住んでいるのだ。日中は家の鍵もかけず、のんびりと過ごしてる両親が…

なので、この両親の生活を脅かすような事は出来ないから、どこの県に住んでるのか、何歳なのか、どんな女性が好きなのかも一切明らかにしてない。

だから、人の批判も書かないようにしてる。なぜなら匿名だからだ。やはり人の批判を書くなら自分の素性は晒して書くべきだと思ってるからだ。


「晒す」


という言葉は悪い意味でも、良い意味でもあるとは思うが、やはり大多数の人は静かに暮らしたいもの。

安易に世間に人を晒すのは好ましくない可能性が高いとは思うが、知ってもらって初めて救われる人間がいるのも間違いない事実だから、晒してる人間の思いを知ることも大事な時代なんだなと思う。

俺も自分の素性を明かして、今より正直に書ける時は良い意味での「晒す」で、自分を晒したいと思う。


それは人を批判する時ではなく、人に真正面から優しい心で向き合う時でありたいし、そんな状況であってほしい。

何も悪くない人を傷つけるためだけの「晒す」行為は、この世界から無くなってほしいと願ってる。



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