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自分の痛みと人の痛みが混ざり合う夜

YouTubeを見てたら若くて可愛い女性配信者の腕にリストカットの跡があった。


こんなに楽しそうに配信してるのに…こんなに若くて可愛いのに…


なんだか複雑な感情が湧き上がり、それから動画を見るのを止めてしまった。


その後に、リスカについて調べてみた。俺のイメージではリスカする人は、しょっちゅう死にたいと思ってる人で、人に必要以上にかまってほしいメンヘラな女性を想像していたが、専門家の意見を見てみたらネガティブな行為ではなく「生きたい!」というポジティブな行為なんだそうな。

もちろん人にかまってほしくてリスカしてる人も少数はいるみたいだが、ほとんどの人はストレスから解放されるためにする行為みたいだ。脳内麻薬が分泌されて、気持ちが落ち着くと書いてあった。どうしても現代社会ではストレスから逃げることは出来ない。このままでは精神が壊れてしまう。だから、自分を救うためにリスカをしてしまう。


生きるために。


でも、女性はお肌のケアに常日頃から気をつけて、綺麗な肌を維持するために努力をしてるのに、リスカをする女性の腕には痛々しい傷跡が残ってしまってる。

やはり、いくら生きるための行為だとはいえ、本来はしなくていい行為なのは間違いない。


俺は自ら死を選ぼうとしたことが、一回だけある。


人から死を強要されたことは何回かあるが、自ら消えようもしたことは一回だけだ。それは17才の時。たった17年しか生きてないクセに、その時は将来に何も希望が持てず、生きて来た証を全て消したくて自分の写ってる写真を全て燃やした。母親が大事に保管していた俺の赤ちゃんの時の写真も全てだ。

今思えば、今と真逆の行動だ。俺が文章を書き始めたのは、自分の生きた証を残したかったからだ。このままでは誰も俺の葬式には来ないし、このままでは誰にも俺の心の中を知られず俺という人間が、この世界から消えてしまうだけだ。


そう思ったら、何か生きた証を残したくなった。


その思いから、文章を書き始めたのだ。今の気持ちは17才の時とは真逆だ。俺の赤ちゃんの時の写真は自分で言うのもなんだが、本当に可愛かった。微かに覚えてるのは、母親が「可愛い!可愛い!」と言って、俺の指を甘噛みする記憶だ。親戚のおばさんたちも「ジョージちゃん!ジョージちゃん!」と言って可愛がってくれてた記憶も僅かながら残ってる。

しかし、そんな赤ちゃんの時の写真も全て燃やしてしまった。もうこの世に俺の赤ちゃんの時の姿は残っていない。


あんなに母親が大事に保管していた写真だったのに……


母親が命がけで産んだ俺の赤ちゃんの時の写真だ。


俺が思ってる以上に大事な写真だったと思う。そんな母親の思いを俺は踏みにじって簡単に燃やしてしまった。


俺は簡単に人を傷つける人間なのだ。


でも、今では写真を燃やしたことを激しく後悔している。


そう、時が経てば人の心は変わる可能性が高い。


だから、今、自ら消えようとしてる人にはちょっと待ってほしい!と過去に何回も書いてる。


辛い気持ちは永遠には続かないからと。


しかし、どうしても耐えられない体の苦しみや痛みがあることも理解出来る。死によって苦しみや痛みから救われる人もたくさんいるのも分かる。


俺の考えなんて、しょせんは俺の価値観でしかないのも分かる。


だから、悩む。自ら消えようとしてる人に対してどんな言葉を言ってあげるのが正解なのかと…


ビートたけしは前に言った。死はご褒美だと。辛い思いをして、人生を全うした後に訪れる心の解放であり、ご褒美だ。死んだ時にこの世界の全ての秘密が知れるんじゃないか?だから、そのご褒美の為に頑張って最後まで生きようと思ってる。確かこんなことを言っていた。


もしこれが本当なら俺もこの世の全ての秘密が知りたいという願望がある。


この世界の真理が死ぬ時に全て分かるなら、俺はそのために自分の人生をなんとか全うしようと思える。


そう思うのは、人間が生きる意味とは、一体、なんなんだろうと、俺がいつも考えてるからだ。


もし、精神的な苦痛で自ら死を選ぼうとしてる人がいるなら「もう少し待とうよ、今とは違う心に変わる時が必ず来るから!」俺はそう言って必死に止めるはずだ。


でも、耐えられないほどの体の痛みが連日続いてる人に「もう少し待とうよ!必ず痛みが和らぐ日が来るから!」なんて、無責任な事はとても言えない。


延命する事で耐え難い苦しみと痛みが続いてしまう場合もあるからだ。


毎日寝れないほどの体の苦痛の場合、痛みが和らぐ見込みがない場合は我慢して生きろなどとはとても言えない。


だとすると「どんな辛い事があっても耐えて生きろ!」という答えは正しくない場合があるのではないか?


俺はそんな人を目の前にしたら、なんて言えばいいんだろう……


俺は自分を傷つけた痛みも知ってるし、人を傷つけた痛みも知ってる。


でも、生きることを諦めるほどの体の痛みを未だ知らない。


そして、そんな痛みに耐えてる人に寄り添うような文章を書きながら、自分はそんな痛みを経験したくないと思ってる。


自分を傷つけた痛みと人を傷つけた痛みが混ざり合う夜は、結局は偽善者の夜でしかなかったのだ。

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