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言葉に命を与える

寝落ちである。

昨日、最後の仕上げとして「作品」を見直してたら、そのまま夢の中に突入していた。

「作品」って……すっかりアーティスト気取りである。

そして、アクセス数を見ると、昨日は記事を投稿してないのに見に来てくれてる方々がいる!申し訳ないのと同時に、見てくれてる人がいる事に「嬉しい!!」という感情の方が強く沸き起こる。

まさに、露出狂である。

まさか、こんな人見知りが、人に見られて嬉しいと思うなんて、新たな自分の発見だ。だからと言って、適当なことを書いて、更新することだけを重要視してたら見てくれる人に対して失礼だと思うし、申し訳なさが先に立つ。

数人の人は読んだと思うけど、3日前ほどにダウンタウンの松っちゃんについて書いた記事を投稿したんだが、すぐに消して、そしてまた投稿して、また消してを繰り返した。

俺が、松っちゃんを好きなのもあって擁護するような文章でもあったし、本当に被害者がいるならば、その人からしたら、見たくない文章かも知れないとか、いろいろと考えて消した。

批判的な事を書いたりしないように気をつけてるのは、自分の素性を晒してないからだ。もちろん、人から批判もされたくないし、俺が自分の素性を晒して書くことで、もしかしたら何かの間違いで、山奥暮らしの両親に迷惑がかかるのだけは絶対に避けたい思いも強い。

そして、自分が、どこの誰だか言明してないのに、人の批判は卑怯だという思いもある。もちろん、これは俺の思いなので、誰も彼もが素性を晒して批判せよ!と言うつもりはない。そうなると、人や作品を批評するという文化が廃れてしまう可能性が高くなるので。

やはり、匿名で文句を言う事で、社会の不満のガス抜きが出来て、平穏が保たれてる側面もあると思うから、特定の個人を必要以上に叩いたりする以外は、匿名での批評は必要だとも思う。

しかし、俺はやはり自分の素性を明かしてない以上は、人や作品の批判はしないようにしようと思って、SNSを始めた。

でも、匿名でも自分の書いてる言葉に心を込めるというか、カッコつけて書くならば、言葉に命が宿るように書くことを目指してる。

それは、例え匿名でも嘘を書かないようにするとか、難しい言葉や分らない事は、ちゃんとGoogleで調べて意味を頭に入れて書くとか、分らない事をただ分かった風に、文字だけを並べて書かずに、見てる人に伝わらなくてもちゃんと調べて書くようにしてる。

これは、ただの自己満足かも知れない。でも、言葉に命を与えるという事は、こんな事の積み重ねだと思う。

だから考えた。今、話題のダウンタウンの松本人志で記事を書けば、簡単に検索に引っかかり、アクセス数を稼げるかも知れないけど、松っちゃん自身が、あれほどのフォロワー数があるXで、何も否定してない。そして、被害者がいるかも知れないという状況で、松っちゃんが好きだからと言って、擁護寄りの文章を安易に投稿していいのか?

だから、何回も迷って消した。松っちゃんが好きだから、事実無根ならば早く否定してほしいと願って書いた記事だったが、無責任な願いを書くのは、本当に無責任でしかないし、何より俺は素性を晒してない人間なのだ。

だから、その話題を深く書くには、言葉に責任を込められないから投稿を消した。

自分の過去の話や人を傷付けない思いの言葉は、丁寧に誠実に書けば、言葉に心を込められると思ってる。それは、俺の人生の話や俺の言葉に価値があると言ってるわけではない。俺の人生なんて薄っぺらいし、俺の知識なんて、実体験の伴わない、Googleで調べた、取ってつけたような軽い知識だ。

でも、ちゃんと調べて書き続ける事に意味がある。適当な言葉を書かないという気持ちが重要だ。

ある日突然、

「俺は誠実になる!俺の言葉こそが真実だ!」

では、ただの第一歩なだけだ。

始めるのは大事だけど、誠実な言葉を書き続けることこそが一番大事なことだ。

だから、寝落ちしてしまい、更新出来なかったことを本当に申し訳なく思う気持ちが大事だと思うし、それを正直に書く事が重要なんだと思う。

決して、ただの自己弁護じゃないよ!

取り繕った言葉じゃダメだ、本当の正直な気持ちをそのまま書くことが、言葉に命を与える。


正直さを目標に、これからも書いていく。

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