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クリスマスに2021年を振り返る ~四十の手習い~

大昔は僧などが「師」とされていたようで、その僧の方々は普段落ちついているんだけど、12月だけは多忙のあまり走り回ってしまう、それが12月を「師走」と呼ぶいわれのようです。

なぜ僧は12月に忙しいのかというと、仏名会(ぶつみょうえ)という法要があるからだそうです。

まぁ、かなり前から師走というより、クリスマス・歳末という言葉のほうがなじみがある、そんな12月、どうもハスキーです。

寒さマシマシのイブに、ふと今年を振り返ってみました。

私の2021年「それなり」

仕事やプライベートのことを事細かに書くことは割愛し、全体総括としてなんですが、ずばり「それなり」でした。

ただ、この「それなり」。それすら言えない事柄や状況にいる人は多くいるんじゃないかと思います。

大きな不幸もないが大きな幸せもない、そんな「それなり」の年。

ただこの言葉の裏に含められている、深い幸せは、私の周りの人々の「おかげ様」。

つまるところ、結局は良い年でしたw

子細に振り返りを書かないとはいえ、何か具体例的ものをとは思いますので、始めたことや印象深かったことなども記してみました。

noteをちょこちょこ書き始めた

今年から始めてみました!

といってもタイトル通りの四十の手習い、更新頻度の低さはもちろん、文才に欠ける表現や語彙、トピックスの乏しさなど、ほとほと痛感しております。

ただ、アウトプットすることの楽しさを改めて再認識出来ているのでは?

2022年は継続して、できるだけ更新していきたい思います。

思考実験の奥深さ

昔から好きではありました。

「ガタカ」や「エス」、「カンパニーマン」などの映画が好きなんで、元々その素養はあったんだと思いますが、今年、本で読んで改めて感銘を受けております。

なにせ奥が深い!

思考実験は基本答えがありません。どれも基本実現不可のものばかりなので当然ですが、だからこそ多種多様な考えが生まれるので奥が深いです。

そこに人それぞれの想いや生き様・死に様などの傾向が見て取れることもあるので、2022年ももっとこの分野の知見を拡めていきたいです。


「無知の知」を再確認

その昔ソクラテスが言っていたという「無知の知」。

自分がなにを知らないのか?知っていることを認知するよりも知らないことを知覚することが重要的はことだと自己解釈しております。

なにを自分は知らないのか、例年よりも多く気付けたのは今年だったと思います。

同時に自分に足りないものはなんなのかも、痛感しました。

ときに知覚は痛みを伴うんだなとw


まとめ

2021年の話として、新型コロナウィルスのことを実体験や近しい人たちに起きた出来事として話すということがない。これだけでも幸せで恵まれていることだと思います。

足るを知る

生まれたことろで咲きなさい


私の好きな言葉です。

来年も「それなり」の毎日を、多くに人が過ごせますように。

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