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【不動産で会社員卒業した経緯】

令和4年4月不動産投資のお陰で念願のサラリーマンを卒業することが出来ました。せっかくなのでこれまでの経緯を纏めてみました。

7年前『半沢直樹』の影響を受け、無謀にも体制側の不正を暴こうと挑んだ結果、上層部の逆鱗に触れ支社長から労務管理部門(窓際)に降格されました。元々仕事は全力で取り組みたい性格だったので、窓際の仕事は性に合わず退職を考えるようになりました。

退職にあたって感じたのは、サラリーマンが退職することに明確な理由は必要なく、むしろ続けるために理由が必要なのだと思いました。業界も社内も旧態依然としてしており、お世話になった上司も派閥争いに負け殆ど退陣していたので、良い機会だと思い数年後の退職に向け準備に取り掛かりました。

当時はタワマンと中古RCを所有しており年間250万円程の手残りがありました。その頃のサラリーマンの年収が1500万円位でしたのでその6倍は不動産で稼ぐ必要がありました。

金太郎ホームとの出会いは長女の一人暮らし用のマンション探しを通してでした。1Kでしたが広さが十分あり、カウンターキッチン、ウォークインクローゼットが設置されていて、女性が好む内装でした。結局娘も結婚するまでの6年間住み続けました。

金太郎ホームで最初にチャレンジした新築重鉄は総武線快速停車駅・3.2億・利回り7.3%・金利1%・フルローンでした。約9ヶ月で完成し客付も特に問題ありませんでした。1棟で2000万円以上の賃料収入があり、返済や諸経費を差し引いても500万円程の手残りがありました。サラリーマンを卒業するには同じ規模の物件があと2棟必要でしたので、その後毎年1棟ずつ建設し4年目に当時の年収に追いつくことが出来ました。

3棟建設すると4棟、5棟と拡大したくなるのが人情で、さすがに土地提供ばかりを期待するのは申し訳ないと思い、自分で探す事にしました。最初は気が向いた時にポータルサイトを眺める程度で、何度か社長に送りましたが利回りの出る土地には巡り会えませんでした。

土地探しの難しさを感じていた時、魔が差して別の企画会社を訪ねてしまいました。そこで提案された案件を金太郎ホームの社長に見てもらったところ「BITさんどうしちゃったんですか~!(大笑)この物件リスクだらけですよ!まずこんな安い建設費できる訳無いですし、帝国データバンク的にも低評価です。狭い部屋は都内でガラガラですし、これは利回りを上げるために描かれたプランです。止めた方が良いです!」と言われ目が覚めました。

その後は毎日1時間ルーティンワークとして土地を探すようになり、幸運にも2つの土地が見つかりました。当時はそこまで土地も建築費も高騰していなかったため、1つ目は7.7%、もう一つは8.8%の物件が完成しました。

また最初に建てた物件が4年を迎えたので売却に出してみると、2週間で買い手がつき1億のキャピタルゲインが得られました。銀行の担当者からも「重鉄だから4年はキリが良いですよね」とすんなり売却理由を受け入れて貰えました。

土地から新築は難しい時代に入りましたが5年前でも都内は利回りの6.5%超えれば十分と言われていました。安い土地が見つかれば、建設費の高騰分を吸収でき、今でも利回り6.5%は可能です。

また「新築はすぐに家賃が入らないから~」と仰る方がいますが、新築は頭金が必要ありませんし、元金据置き期間にお金を貯められます。また修繕費が掛からないこと、退去後の入居が早い事も大きな魅力です。私は新築が少ない今こそ新築は数年後に希少価値が出ると思います。

生活の目処がたった頃、社内の多くの者が不満をもつ役員とフロア中に響き渡るほどの口論になりました。大人気のない行動ではあったと思いますが“スカッ”としました。これも不動産投資のおかげです。それから一年かけて仕事の引継ぎをし無事退職しました。

今は自らの不動産投資と建設会社への紹介業務を並行しながら、趣味のゴルフと家族との時間を大切にして毎日を過ごしています。また新たに2棟(8階と10階)建設中でどんなデザインにするか楽しみです。

不動産投資と金太郎ホームの社長にただただ感謝です。

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