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勝者が得るもの。

 今年のお盆も過ぎて、叔母と話した。

 昔、母親が入院して、父親が仕事で多忙な為、祖母と暮らした時期があった。母親が側に居ない不安や寂しさを祖母や叔母が上手く支えて幼いわたしを育ててくれた。

 当然、叔母は一緒に暮らしてはいなかったから、
「また来るからね」
  帰りの車にエンジンがかかると、その音で、祖母の制止を突破して、背を向け走り去る叔母の車を見えなくなるまで、ずっと泣きながら見ていたそうだ。
そうだというのは覚えているようで覚えていないからで、大人になってから、
「あのこと覚えてる?」と聞かれた。

 祖母に肩を持たれたわたしが、手を上げながら「帰らないで」と泣いている姿を、叔母はバックミラー越しに見ていていつも、胸が張り裂けるほど辛かったと。
 暫くして母親が亡くなった時、
「自分が引き取って育ててやりたかった」とも言った。

 それから長い年月が過ぎて、わたしも家庭を持ち、自分の子供を持った姿を、叔母が遠い目をして眺めている。

 「じゃあ、もう時間だから帰るわ」

 今では祖母も入ったお墓で束の間の時間を共有して、叔母は何代目かの愛車の運転席に乗り込み手を振る。またエンジン音がなり、

 駐車場から、わたしも手を振る。

 この霊園は広い。

 ふと、視線を感じて、西陽の反射するその先を見たら、

 まだ、叔母が車から手を振っていた。

 わたしも、さらに力強く手をふり返した。


 お互いに悲しみじゃない満面の笑顔で。

 これは時間を経過して得られた勝者のもの。


そして、この曲にまた励まされた。

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