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そのさき。

(苦手な方は読まないでください。昨夜の満月の揺らぎです。死について綴っています)


現在も実在するサイトを何度も読みに行く。

未だに。

読書家で、優秀な編集者だった彼女は、25才で世を去った。
最期の別れを、自ら記して…。

昨今のニュースを観ていて、不思議に思うことがある。「死について」また「memento・mori」だ。当然だけど、人間はいつか必ず死ぬ。自分が、たぶん想像するのとは異なる形で。幼少期に母親が亡くなってからが始まり、私には
「memento・mori」を身近に感じる出来事が多かった。

"そういえば、フロイトは人間というものは生まれて最初の5年間で人生のすべての基礎が作られるというようなことを考えていた。そして、その後の人生はその5の倍数で成立しているのだと。これを深読みすれば、5年ごとに人生はリセットされている、ということになる。5歳、10歳、15歳、20歳、25歳、、、確かに、わたし自身の人生を振り返ってみると、5の倍数の年に死に、次の年に生まれ変わる、ということを繰り返しながら生きてきたような気がする。

と、精神分析医の藤田博史さんは書いている。

私自身にも、5才からの5年ごとに人生の過渡期があった訳だ。オセロみたいに、黒となるのか、それとも白となるのか。
生と死は背中合わせ。
放すことが出来ない苦悩を、抱えたままで生きている。
彼方側に引きづり落とされようになったことなど数え切れない。
少しばかりの知恵も与えられた。

もう思春期のような、青く残酷で鋭利な感情を持て余し、魅惑的だが危険な香りに、悩まされることはない。
そして、歳を重ねるたびに、


「汚れっちまった悲しみに」中原中也の詩を繰り返す。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘かはごろも
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠けだいのうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気おぢけづき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

死があるから、生が輝く。
精一杯、生きること。

人生なんて所詮は死を迎えるまでの暇潰し」とは
誰の言葉だっただろう。

人は死なない。なぜなら人の記憶の中で生きるからだ。そういう意味で死なない。


ご長寿のニュースをテレビで観た映像を覚えている。
レポーターが、「おめでとうございます。今のご気分はいかがですか?」とまるで喋れない赤子を相手にするような声でマイクを向ける。

遥か遠くを見つめるような眼差しで、
『長く生きるには、コツが必要なんだということが、よく分かりました…』と答えた老婦人に、レポーターは少し躊躇した表情で、「それはどのようなことなんでしょうか?…」と質問した。

老婦人は、『コツが…いるのです…』を繰り返していた。その約一年後、亡くなった。
彼女は何が分かったのか…

今でも考える。


世界がいかに精妙に美しく造り上げられているか、私は知っている。
そして、被造物である人間がどのような物語を織りなしてきたかをも。
ここは、多分ある意味ある角度から見れば、すでに楽園なのだ。
枝分かれし続ける物語で出会ったみなさん。あなたを、私は祝福します。
どうかしあわせに生きてください。
あなたを愛しています。

二階堂奥歯。

まるで彼女の声で再生されたように、
脳内を流れて消えていく。

書籍を購入した。
胸が焼け焦げるような痛みを感じても、

そのさきがある。

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