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日曜日、外食をして気付いたこと

父の命日からもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。
初めての肉親の死。心も物理的な距離も遠く、父元気かな?と生前時々思う事があった。それが現在でも同じ様に有りハッと気付かされる。もう、あの場所には居ないのだという現実を頭に突きつけられる。

海の日に心の整理のための文章を書き終え、気持ちの整理がついたと思ったものの不意に涙がでてきたり、居ない父に一人話しかけたり、とにかく不安定な1ヶ月弱だった。
そんなこんなで、Xで変な事を呟いてしまった。それは、好きなバンドの最後に行ったフェスのセトリについて、思う事があり。Xは文字数が限られているので、なかなか全ての思いを伝えられない。(元々伝えているつもりはなく独り言なのだが…)行間を読んだり想像力を働かせてほしいと思うのも、独りよがりな思いだろう。意見をくれるのは良いし有難いのだけれど、このメンタルの時にばしっと公に言われるのは結構面食らった。良い人なのだけれど、正しい事をバシバシと会った時、私の話を遮って捲し立てられたり、X上では仲良くしているが私にはその人の陰口を言ったり(私は幼い頃から母の愚痴などを聴いてきたからそういう体質なんだろうと思う)、遠征しても声を掛けてくれなくなったからそのミュージシャンの音楽を聴きに行くのをやめようかなとか(音楽聴きに行ってるんじゃないの?と問いたいがこちらも遠慮してるのを勘づいてほしい)、最推しにメッセージを送ると後を追ってほかのファンが長文で被せてくるとか。(恋は盲目…というやつなのかとも思う)私はそういう方の何を信じれば…どう対応したら良いのだろうと前から戸惑っていたので、自分から話しかければ?などと自分では正当だと思う事を意見した。実際に会った人からいいねが来なくなったからフォローを外したと。いいねをもらうから友達でいるのか?という疑問。いいねしなかったら赤の他人か。そうか…これはどうしても考えが合わない。ライブ会場で会ったら気まずいけれど、その時はその時で。楽しみで音楽を聴きに行っているのにそういう思いを持って会場に行くのはとても悲しい事だ。何よりも音楽が大好きだから。SNSが私の邪魔をする。目眩がしてきてしまったのでここに吐き出す。
SNS命というかSNSが生活の大部分を占めている、みたいな人はちょっとこれを機に距離を置かせていただきたいと思う反面、私もSNSやその方には助けられてきた部分は多々あるので迷うところだ。孤独を感じている時に声を掛けてくれることもあった。それまで、声を掛けるか掛けまいか悩んで下さっただろう。救いだった。そう思うと、人間は誰しも傷つけ、傷つけられ生きている。もちろん、私には非がある。何度もこの文章を消しては書きを繰り返したが、感謝しなければならないと気づいた。

今日は母のところへ行けなかった。
月曜日から金曜日まで仕事をすれば一週間の夏休み。低所得派遣だから父が住んでいた奥さんの家へ行ってレコードと本をもらってくるくらい。そして、四十九日。
奥さんにはストレス満載だが、レコードは欲しい。ボロボロだけどモロッコで買った格好いい形見の財布も欲しい。この目眩が酷くならなければいいなと思う。身体が資本だ。

大分話が逸れてしまったが…。
肉親を失うことで、本当の孤独の意味が分かったという事。今まで、一人で外食をしていても全く寂しくなかった。今日、無心で感じられる食事の美味しさ!!最高!!という風にはならなくなった。父が生きているという確信が、ひっそりと心に根強く生えていたから美味しかったのだ。
以前、大好きな寿司が美味しく感じられなくなった。現在、その手前の感覚。これも時間が解決するのだろうか。人間には忘れるという便利な機能がついている。忘れたくないな。
色んな意味で、要注意。

間に合わなかった…来週友人と行く予定だけど、明日の朝行って少し摘めるかなと企んでいる。これから、雨降りが続くから実が落ちてしまわないのだろうかと。🫐✨👒

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