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心が葛藤している時

心理分析を受けていて有益だと感じた事は、
自分の感情が整理整頓されていくことです。

何を感じていたのかを丁寧にみることを促されるうちに、
『自分で無かったことにしていた感情があった』という自覚も認識出来てきます。

まず私は心理的な葛藤が強い自覚があったので、
この心理的葛藤を調べてみることにしました。

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Weblio 類語辞書によると上記のような類語が出て来ますが、
この中でわたしがよく感じていたのは『モヤモヤ』です。

意義素を見てみると、【欲求が満たされず落ち着かない心のこと】とあります
。なるほど、そういう時、わたしはどんな欲求があったのかな?と見ていくと、
ああそうだったのか!と自分が解ってくる。

このあたり、わたしが育った環境的にも無意識になかった事にして
華麗にスルーしていたんだなぁと感じます。

明らかにイライラしたりムシャクシャするような『強い欲求』
はわかりやすいけれど、一瞬モヤっとするような『小さな情動』に気付けるようになった事は本当に有益でした。

日本人の育つ文化は場の文化(村文化)な為、同調圧力によって自己を抑えることばかりが得意になりがちですが、そういう環境がベースにあると『自分が何を望んでいるのか』というのは見えにくくなると感じます。

大人になるまでに、個性を開いていくための要素が強く出るプロセスそのものを
その場を保持している人物が容認できるかどうか。
現代社会にはそのような眼差しを持つ大人が減ったようにも感じています。

伊藤亜沙さんと臨床心理士東畑開人さんの対談を聴いていた時、『様々なワークショップが気軽に受けれるようになった今、【お作法】ばかりが発達し人間関係の中で生きた感情の交流が出来ない』といった趣向の話が出て来て「あぁ、解るなぁ。」と共感しました。

伊藤さんも似たようなお話をされていましたが
会話の中で、思わずポロっと泣いてしまうような【場】が無いのです。


わたしは30代の頃にスパマネジャーをしていたのですが、20代のセラピスト達とチームを組んで色々なプロジェクトを進行していました。言葉にする事が苦手なタイプも多かったので『あなたはどうしたいの?』とか、『あなたはどう感じているの?』とよく彼女達に聴いていて、直接話辛い事もあるのかな?と、定期的にアンケートを取ってみたりと試行錯誤の毎日でした。

月に一度は一対一のミーティングもしていたけれど、ポロポロと泣かれた事は何度もあって、わたしが問い詰めているみたいだなぁ。なんてその時は思っていました。

でも、こんな風に言葉にならない思いが溢れるとき、
人は初めて『自分の気持ちの存在』に気付けるのではないかな?とも思うのです。

大人だって自分の感情に気付けていない人の方が多い。わたし自身もそうでした。人の言い分を聞く前に自分の言い分を聴いてあげる事はとても大事です。

わたしはこのように人と人が『ちゃんと出会っていく場』を持ちたいので、自分の葛藤をしっかりと受け止めてあげたいし、相手のそれを見守れる人でありたいと思います。





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