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石垣島の神様が手を取る。

石垣島で初めて長期滞在をしたのは2020年2月6日から2月23日だった。
石垣在住の写真家、ハヤシヒロヤスさんに写真を撮ってもらう為の18日間だった。
それ以降1年に数回に分けて1、2ヶ月単位で石垣で生活しているのを考えると今では長期滞在だとは言えないのだが。持病もあるし毎日飲まなきゃいけない薬もある。
自分とってはこんなに長く家を空けるのは不安でいっぱいだった。
そんな石垣では咽頭炎が大爆発し43℃の発熱、八重山病院に緊急入院した事もあった。救急車を手配してくれて、荷物を病院まで運んで来てくれて、退院後病院まで迎えに来てくれて「迷惑だなんて思ってないよ、元気になったら遊ぼうね」と言葉をくれた石垣の友人達と医療従事者の皆様のおかげでどうにかこうにかなりました。この度はご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。

約4年間石垣という土地で、行ったり来たりですが生活している視点から、前回に引き続き「神様」というテーマで石垣の神様について書いていきます。

石垣に来てまだ数日、撮影終わり2月の夜中をハヤシさんと歩く、2月というのに半袖にパーカーを羽織りショートパンツにギョサンの出立ち、寒いのが苦手なうちにとって何たる楽園。
遠い感覚でポツポツと街灯の灯る道を歩いていると、右手に白砂で地均しされた空間が現れた。そこは木々が生い茂っていて小さな四角い社の様な建物が一つ建っているが、賽銭箱のようなものが見当たらなかった。
「ハヤシさん、ここって神社なんですか?」
「ここは御嶽だよ、内地でいう神社みたいな所かな」
ウタキ、八重山ではオンとも呼ばれるこの場所は聖地の総称であり御嶽を管理している親族以外は入ってはいけないらしい。
お昼の明るい時間も誰かいるのを見た事がない、だけどいつも綺麗に地均しされていた。石垣生まれ石垣育ちのおじいに「御嶽ってどういう所ですか?」と聞いた所「俺が子供の頃は若者が溜まってたけど、いつしか親族以外入るなってなったよね、東西に分布してるだろ、水が出た場所を御嶽としたんじゃないかって聞いたよ」と言っていた。
石垣生まれ石垣育ちの親友に「御嶽ってどういうとこなん?」と聞いた所「御嶽って何ですか?」と言われた、「えっなんで知らないの?!」と聞いたら「あっここですね、生まれた時からあったからここが何かなんて疑問に思った事がなかったです」と言っていた。確かに、小さい頃自分の住んでいたマンションの外れにあったお地蔵さんに挨拶してたけど、「お地蔵さん」としか認識してなかったなぁ、なんで挨拶してたのかも分かってなかったしなぁと思った。

その友人から「ヒヌカンって内地にはないんですか?」と話を聞れた事がある。
「ヒヌカン」とはかまどの神様で沖縄地方で台所に祀られている火の神様の事だそうだ。
「旅行で長く家を空ける時とか、毎朝仕事に行く前とかに挨拶をするんですよ、お家を守ってくださいって、仏壇とかに挨拶する感じですよ」と教えてくれた。
うちの実家には仏壇はなかったし、墓参りも年に一回も行かないので「仏壇とかに挨拶する感じ」が分からなかった。石垣の親友とは石垣と内地の文化の違いをよく話しては驚いている、文化や考え方の違いをこれからも知って勉強していきたい。
うちは石垣の、神様を生活の一部に感じられる所が好きである、大切な人を思うように、そこには日頃から目に見えないものへの感謝を感じられるからだ。

沖縄には「ユタ」という民間霊媒師の方がいる。伝わり易くにいうとシャーマンである。
ユタに会ってみたいなと思い友人に聞いてみると、「ユタは会うべきタイミングが来た時にしか会えないよ」と言っていた。
2020年7月、「18番街」の居酒屋さんの提灯に開店前の時間を使って絵を描いていた。その時にフラッと一杯だけ飲みにくるおじいさんが居た。開店前でも常連さんを向かい入れるこの感じも好きだ。
このお店のカウンターは4席と狭く提灯の絵を描く休憩がてらおじいさんと横並びに座ってよく世間話をした。
おじいさんは移住者で北国から石垣へ引っ越してきたそう、病気をして主治医から余命一年と言われていて、そんな中石垣に旅行に来た時にユタに出会った。
「一年以内にそこから引っ越さないと死んでしまうよ、そしてその石は貴方を守ってくれてるけど何度も助けられないよ」とユタに言われたそうだ。
「病気で倒れた時に紐が切れてしまってね、石も何個か壊れちゃったんだ、残ったのを今はキーホルダーに直して持っている」とおじいさんは元々パワーストーンのブレスレットだった石を見せてくれた。
移住して何年経ったか忘れたがおじいさんは「あのユタの方のおかげでこうしてまだお酒が飲めているよ、ヨウタちゃんにも出会えたしね、有難う」と話していた。
この時知る事なのだがうちはユタに会った事がある。
同年2月に長期滞在した時にたまたまこの4席のカウンターでこのおじいさん、ハヤシさん、うち、1人で飲みにきたおねぇさんと4人で会話しながら飲んだ。そしてそれは2020年2月19日に書いた絵日記に残っている。
「あのおねぇさんはユタなんだよ、もう内地に引っ越してしまったけどね」
名前もどんな人なのかも知らないが優しくてしっかりと自分の意見を持っている素敵なおねぇさんだった。

左からおねえさんとおじいさんとうちとハヤシさん
おじいさん鳥を慰める兎たち

2021年も石垣島をグルングルン周り撮影をしていた、「御神崎」の南の方へハヤシさんとピッピと3人で車で向かう。入口も道も無いジャングルの木が絡みつく前に車を停め3人で枝を掻き分け、誰かが設置したロープで崖を降りていく。辿り着くとそこは火星のような無機質な巨大な岩で形成された、別の惑星の世界が広がっていた。ハヤシさんとピッピが煙草を吸っている間にうちは1人で探検に出た。
「この星に辿り着いた私たちの使命を果たすぜ」スターシップ特殊調査員宜しくNobukazu Takemuraの「Stairs in Star」を聞きながら、海に先端が飛び出した岩肌の崖へ向かっていった。

一服中のハヤシさんとピッピ

ここは良いロケーションだなぁ!すごいなぁ!と崖をザクザク登っていく、もうすぐ頂上だと頭を一つ上げて覗いてみると、先端は人の手によって綺麗にならされていて真ん中に小さな木の枠が嵌められていた。
「ハヤシさーーーーん!ピッピーーーー!来てーーーー!」と大声で2人を呼ぶと「なんだなんだ」と登って見に来てくれた。
「これなんですかね?」とハヤシさんに聞くと「ユタが拝む所じゃ無いかな?神聖な場所だからここはやめよう、いやー素敵な眺めだねぇ」と言った。
「えっこんな崖の上まで来るんですか?」
「ヨウちゃん、どこかの奇祭でね、山の上から老婆が走って海まで降りてくるお祭りがあるのよお、それをガシッと大の男が受け止める、神の力よ」とピッピは海に向かって拝んでいた。
ここから海を見ると丁度目の前に夕陽が落ちる場所だった、水光の煌きがとても綺麗で絶えず潮風が髪を梳く。3人で少し景色を眺めてから、この場所を触らないように降りた。

石垣では目に見えない誰かの、又は自分の大切な気持ちや、いつも隣にあるのに忘れてしまう事を感じる瞬間がある。
目が覚めて一番に目に入る太陽の光、その足で宿の喫煙所に向かう、煙草を吸って見上げる空の大きさ、港から聞こえる船の汽笛、散歩をしている人と挨拶を交わしその儘世間話をする、お裾分けで頂く食べ物、街のどこにいてもする海の匂い、道の突き当たりに書かれた「石敢當」の文字、お墓から聞こえる先祖へ向けた歌声、自転車で降る坂道に歌を歌う、これは常だ。小学生の頃の夏休みと照らし合わせているのかな、長い夏だ。
歩道に落ちた街路樹の椰子の木の葉っぱを誰かが怪我しないように避ける友人、真っ暗な裏路地に酔っ払って寝るおじいを起こす、お庭に咲いているいろんな種類の色とりどりのお花、石ころだと思ったら珊瑚だった、少女の涙も干上がるこの場所で。相手の心を深くまで汲み取って紡ぐ会話、主観と常識を壊す言葉、雲間から差す光の線に自転車を降りる、台風の日に食べたゴーヤーの浅漬け、大号泣のうちの話を蚊に刺されながら朝まで聞いてくれた友人、逃げた犬を抱き上げて飼い主を探す新川の住宅街、自販機の下に落ちたお金、街の中から見た天の川、海の中から見た焚き火、死生観を変えた烏、向き合う。友人と釣った魚を晩御飯にテーブルを囲む、貰った小さなケーキを4等分して3人で分ける余った分はくれた人にちゃんとあげる、余分が出来たらお世話になった人にあげる、共有するおしゃべり、招待されるお家、剥製の作り方、カロライナに行く時に買っていく差し入れ、うちのスマホケースに気づく。白保のリーフに当たる波の音がジェット機のようだった。

うちは聴覚過敏症である、東京では起きて寝るまでノイズキャンセリングのヘッドホンをつけている、人と話している時は外しているけど周りの雑音が大きいとなんて話しているのか聞こえない時があるが都度聞き返して変な空気になるのが嫌でなんとなく聞こえてるように口角を上げて頷く。
最初に石垣に来た時もずっとヘッドホンをつけていた、海辺にいる時も、車も何も通ってない道でも。友人に「ヘッドホンすんなや、ここ煩さないやろ?聞け、風の音を!これだから障がい者は。今度の休み平久保行くかぁ?あんな僻地誰も来んからよぉ、ここに居る時ぐらいゆっくり休めよ」と日本を4週している旅人の友人が気に入ってる誰も来ない場所を車で案内してくれた。
風の音は木々を揺らす音であり波を起こす音であり、目に映る自然を内側に感じるのに必要な音なんだと気づく、山も海もない場所で育った自分は知らなかった。
石垣にいる時はヘッドホンを外す頻度が増えるので嬉しい。
そして一般的な社会の枠組みに囚われない人々との交流もまた面白いのである、旅人、季節労働者、何をしているのか本当の名前も知らない、久喜ようたも本名ではない。
職業や役職で人を見ない、人の内面をちゃんと見て話す事の重要さ、少し癖があるけどもその癖はどうしてその人の一部になったのか、きちんと考える。
静かな夜に友人と何時間とかけて会話をした、特にピッピとはたくさんの時間を使って会話をした、普段疑問にしないような当たり前の事や過ぎた問題、本当マジでどうでもいい3秒で終わるくだらない話を隅から隅まで広げる。人間を根本から掘り下げる真面目な話も何百時間かけてしたのではないだろうか。時にゲロ塗れであったり、アイヌ伝統楽器ムックリを弾きながら。
知らずに断定するのは簡単だ、とても自分勝手で愚かだと思う、身から出た錆もあるだろう、完璧なんてないのだから認め合おう、知らない話をしよう、うちらには言葉がある、会話ができる、それが出来る余白がある。

聞くも見るも会話かも知れない、それを教えてくれた場所が石垣だ。
東を見れば「新石垣空港」、西を見れば「うるべ」、南を見れば「離島フェリーターミナル」、北を見れば「於茂登岳」。
この小さな島を吹き渡る風すら掴めないんだけど、いつも生活の一部に存在して教えてくれる神様がいる。
ここで生活している中で夜寝る前に「おやすみなさい、また明日」と心の中で言うようになった。自分以外に向けて。そう思う事が増えた。

2023年11月、石垣の神様は生活の一部で自然と文化と人間と一緒に住んでいる、東京から来てくれたカイさんに7次元の「竹富島」から遅れて挨拶に来た。
繁華街「美崎町」の裏路地へようこそ、ここにも下水の匂いがある、営みがあるから。11月と言うのに汗が止まらない、気温は30度だった。闇雲に登った6階から見た「サザンゲートブリッチ」と海の青が目に焼きついて消えない、総天然色の影送り。
2泊3日で東京に帰るカイさんを「離島フェリーターミナル」のバス乗り場まで送る。気をつけて下さいね、この時はまだ敬語まじりだった。
「730交差点」でちょうど赤信号で停まってる空港行きのバスにボロボロの自転車に乗った神様は叫んで手を振った、カイさんは手のひらに収まったスマホに夢中で気付かない。
信号は青になって目の前を通り過ぎた、その足で「カロライナの肉屋」に行き絵を描いた。どうにもこうにも体調が悪くて、クワナさんの言葉が頭に響く。頼んだレモンの炭酸を飲んでも飲んでも喉が乾く。この季節に完全に夏バテした。
クワナさんその延命十句観音経を今は本当に黙ってくれないだろうか。

毛細血管の先の爪の先端のマクロの空気が対流する限界まで落とし込む事が出来たら。

久喜ようた。

【ハヤシさんとピッピが出てくる石垣島で起った撲殺した「豚のカレー」事件のエッセイ発売中です。】

【クワナさんはこちらに出てきます。】


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