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「京都移住計画」田村篤史は「川下り型」キャリアの男である|メンバー紹介vol.1

こんにちは!モロモロ担当の本間です。

先日チームで議論をしているなかで、2つの確認しました。ひとつは、僕らは美食倶楽部という場所を通じて、Co-Cookingという新しいカルチャーをつくろうとしていること。そしてもう一つは、その「仲間集め」が必要だということ。

仲間集めをするなら、「何をしてるか」「何を目指すのか」だけじゃなくて、僕たちが「何者であるのか」もしっかりお伝えしなきゃいかんのではないか。ということで、美食倶楽部@QUESTIONの「メンバー紹介」連載を始めることになりました。

第一回は、美食倶楽部を運営する株式会社Q`sの代表の田村篤史。常にやわらかく、あたかかくチームをまとめあげる、ふんわりファシリテーター型のリーダーの実態を、本間の独断と偏見満載の他己紹介を5つのキーワード形式でお届けしたいと思います。

株式会社Q`s代表取締役:田村篤史(36)(株式会社ツナグム 代表取締役)

2012年に東京からUターン、京都移住計画を立ち上げる。2015年株式会社ツナグムを創業。中小企業の採用支援、シェアオフィス・コワーキングスペースなどの拠点運営、地方への関係人口づくり等を通じて、人の働く・生きる選択肢を広げる。著書に 『京都移住計画』。

①10年目の京都移住計画、2つのターニングポイント

地元の京都に戻ってくると決めたきっかけの1つは、10年前の3.11だった。当時27歳、東京の人材系ベンチャーで働いていた田村は、京都への移住を情報やキャリアの面でサポートする「京都移住計画」を始動。この「京都移住計画」の代表というのが、田村が世に知られている顔だ。

あれからもうすぐ10年。ターニングポイントは2つあった。

まず1つめは2014年。京都府からの受託事業が開始したこと(現在も継続)。手弁当のプロジェクトが事業になり、翌年の会社設立にもつながっていった。

2つ目は昨年の2020年。同じく京都に拠を構えるウエダ本社と会員制のキャリアサポートサービス「Beyond Career」を開始したこと、そして京都信用金庫との株式会社Q`s設立したことだ。京都移住計画などで追求してきた新しい「生き方」そして「働き方」について、在京企業との「共同事業」という形で一歩踏み込んだ挑戦が始まった。

②ゴールよりもスローガン。インパクトではなく生き様

10年目をむかえた「京都移住計画」。京都がモデルとなり全国各地に「◯◯移住計画」は増幅していき、その数は22を数えるまでになった。

成長する事業を見て、きっと人々は問うだろう。売上目標は?ゴールは??

でも田村は、目標やゴール、もしくは事業インパクトと言った言葉を饒舌に語らない。もともと「地元に帰りやすい社会」「生きたいところで生きる」といったスローガンを掲げてきた。活動が持続可能であることに想いはあるが、「こうしたら達成」といったゴールを見ている訳ではないと言うのだ。

ここが実に、田村らしい。ゴールがあって、そこから逆算すると……、という直線的な視点だけでは彼を捉えることができない。

共感する言葉として例にあげるのは、移住計画を立ち上げる際にも参考にしたという日本仕事百貨の「生きるように働く」というコピーだ。自分たちの暮らしや仕事をコーディネートしてあげれば、そこに人が集まっていく。それをやっているだけ。大切にしているのはビジネス指標で測れる何かではなく、関わる人たちの暮らしや生きるということ。つまり生き様だ。

③ソーシャル意識は血筋

田村はソーシャルである。強く思う。ビジネスの拡大よりも社会的価値の創造を志向する意味でも、ソーシャルネットワーキングの世界で活躍しているという意味でも、さまざまな人と関係を築くのに長けているとい意味でも。がっつかないし、イキらないし、柔らかい。彼を表現するこれ以上の形容詞を僕は知らない。

そのオリジンは、血筋にあったようだ。

両親は2人とも公務員、弟も小学校の先生で、従兄弟や親戚筋も府職員や消防士や警察官。公務員家系だったが、9-17時の決められた仕事をこなしていくのは合わないと感じた母親には、ずっと「あなたは公務員には向いてない」と言われて育った。

一方で、台風や地震など有事の時に人知れず家を出ていく、役所で土木関係の部署にいた親父の背中を覚えている。まちを守る仕事はカッコいい、そんな記憶が今もある。公務員にはならなかったがソーシャル(社会的)な分野で活動しているのは、偶然ではないだろう。

④頭に『ドナドナ』が流れた記憶

新卒で入社した人材系の会社が、リーマンショックの影響で社員が1割以下に。解雇はされなかったが、PC販売の現場に「自らが派遣される」ことに。電気量販店の店頭でPCを販売したあの頃、身売りされる自分を『ドナドナ』*の子牛と重ねた。(こういうレトロな例えをするあたりが、若いのにおじいさんのような落ち着きを見せる彼らしさなのだ)

*『ドナドナ』:世界で広く親しまれるユダヤ系の民謡。牧場から市場へ売られていく子牛を歌っている。

一瞬で自分の人生がこうも変わることにショックを受け、他人にキャリアを預けていることのリスクを知った。

その後、人材紹介の業務につくことになった田村。キャリアコンサルタントとして、毎日4-5人の転職相談を受ける中、「将来漫画家になりたい」といった夢を持った人に対しては「甘いこと言ってないで正社員になりましょう」と伝えるのがトークの台本だった。違和感は積もるばかりだった。

「自分の仕事」をつくりたいし、仕事や人生の選択肢を広げるような仕事をしたいと思った。

⑤川下り人生を乗り切っていく

振り返ると30歳までは、ほぼ計画通りの人生を歩んできたとも言える。新卒で就職したときも5年以内で辞めると決めていた。そこから京都に帰り、会社を立ち上げ「自分の仕事」を自らつくることもできた。

でもその後、ここ5年間は「その先」を描けないで過ごしてきた。山を見つけては登ったり、降りたり。試行錯誤しながら、自分の持ち場を「耕してきた」のかもしれない。

そうして今、思っている。「山登り型」でキャリアや人生を考えるのは、もうやーめた。「川下り型」でいこう。自分の生き様に忠実に、自分の持ち場を大切に進みながら、川の導く先で運ばれているところで自分の生をまっとうしていこう。

2021年。その舞台は、美食倶楽部にある。

初めての飲食領域、Co-Cookingというカルチャーづくり。この新たな挑戦に「ワクワクしている」と一言。珍しく熱を帯びた口調で話す。

「美食倶楽部を、全国各地の移住計画の仲間達にも広がるものに育てたい」そんな未来へ向け、今日も田村はエプロン姿でやわらかく場をファシリテートする。

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(メンバー撮影の小道具は、いろんなものを「かき混ぜる」としてホイッパーを選んだ)

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