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モノを捨てられない私が「断捨離」を決心した2つのきっかけと2つの理由

いつ頃のことだっただろう。「断捨離」という言葉が大流行した。その頃の私は、3人の子育てに追われ、モノが散乱した生活が当たり前で、断捨離という言葉に興味をもつことなどなかった。

その私が「断捨離をしよう」と思った最初のきっかけは、4年くらい前に読んだお医者さんが書いた1冊の本。

この方のお母様は、ご主人が亡くなった後、一間のアパートに引っ越し、そこで部屋の中にはモノが何もないという生活をされていたそうだ。筆者が、お母様が亡くなられた後の部屋の片づけに要したのはたった一日。この時に筆者がお母様から学んだことが

あの世には何も持って行けない。
あの世に持って行ける財産、それはこの世での“エピソード”  

だという。

この本を読んだ頃の私は、子どもたちも大きくなり、自分のための読書ができるほど時間にゆとりをもてていた。そして、かつて聞き流していた「断捨離」という言葉を「自分のために」、ではなく、私が亡き後の「残された家族のために」という新たな情報によって、突然飛んできた矢が突き刺さったような衝撃を受け、強く共感したのだった。

というのも、今、実家が「父のモノたち」で溢れていることを少し面倒に感じていたからだ。私たち子どもがみな家を離れた後、兄がプレゼントした犬を十数年飼っていた時まではよかった。その犬が死んでしまってから、寂しさを紛らわしているのだろう。父は突然、昭和史なるCDやビデオ、DVD、事典や図鑑のセットを買い漁るようになった。

それだけではない。昔の古びた白黒写真を写真に撮り、引き伸ばしてアルバムを作り直している。あの、場所をとってしかたない “フエルアルバム” にだ。殊更に気に入っている写真は、もっと大きく引き伸ばして額に入れて飾る。おかげで、今では実家の壁は圧迫感しかない。

実家に帰るたびに、「父が死んだらメルカリで売るぞ~」と思うのだが、その商品となり得るモノが無限に増え続ける様子にすでにうんざりしていて、やる気が起こりそうにない。

「あの世に一緒に持っていけ!」と言いたくなるところだが、あの世に持って行けるものは、父が「好きなものに囲まれていた幸せ」だけなのだ。モノたちは残される。そのモノたちに、私たち家族の思い入れはなく、ただモノで補おうとした父の寂しさが形となって残るだけなのだ。

よっし。私は子どもたちに迷惑をかけない。荷物はスーツケース1個にしよう。そう決心した。


・・・はずだったが、決心から4年ほど経過している。私に突き刺さった矢は刺さったまま。だけど、私のモノたちもそのまま。(当然、父の血を引く私のモノも溢れている。)

そんな私に2本目の矢が突き刺さった。今度の矢は一回りも二回りも太い。

コロナ禍で消滅していた高校の部活動の大会が、形式を変え何とかできることになり、気持ちが前向きになっていた12月のある日。娘のチームメイトの一人が突然試合には出られなくなった。理由はしばらく明かされなかったが、大会後、顧問からその子の母親が急死したと告げられた。

試合観戦で何度か会い、話したことのあるお母さんだった。明るく元気で見るからに健康そうだった。一緒にコンビニにお昼ごはんも買いに行った。子どもの悩みについても話した。年も同じくらい。柴犬を飼っていると知って、ますます彼女に好意をもった。その彼女が死んだ。しかも突然に。娘が私に訃報を知らせながら泣いていた。自分に置き換えて感情移入してしまったのだろう。

全ての人に分け隔てなくやってくる「」であるが、健常者の中で、生前に、死を現実的に考えられる人はあまりいないのかもしれない。

数年前、息子を病院に連れて行った日の出来事を思い出す。

息子が原因不明の息苦しさを訴え、気胸を疑い(実際は違ったが)、専門医がいる大きな病院へ連れて行った時のこと。

私たちはこれまで幸せなことにとても健康で、あまり病院に行く機会がない。そのせいか、待合室で待っていると、自然と「」をテーマにした話ばかりしていた。そして、「もし明日死ぬって言われたらどうする?」という話題になった。この類の話は今までもよくしてきた。いつも遊び感覚で始め、最後は「明日死ぬかもしれないという覚悟をもって今日という一日を大切に過ごせ」という教訓に着地する。

「明日死ぬってわかってるんだったら、もう好きなことだけやるよ」そう笑う息子に、小言じみたことを言っていた時、突然、隣の長椅子に腰かけていた女性が「おしゃべりするなら外でしてくれませんか?」ときつく言い放った。

私はあの時の自分たちの浅はかさを、恥ずかしさを、情けなさを、忘れることができない。

。誰にでも平等に与えられるものなのに、その距離感は人によって全く違う。文字上で明日死ぬことを想像してみることはできても、死に到達するまでの距離を縮めるイメージをもつようなことはしない。というかできない。病院の待合室で隣にいた女性は、もしかしたらその距離が見えていたのかもしれない。

誰もに平等に与えられる「」と「」には千差万別のドラマがある。そのドラマが人々の心を揺さぶる。経験したことがないのに、「死」が恐ろしく思えるようになる。できるだけ遠ざけたくなる。

私は、娘の友達のお母さんの急死から分かったことがある。

それは私も「死ぬ」ということ。絶対に死ぬ。確実に死ぬ。いつか死ぬんだってこと。誰もに平等にあるのは、「死ぬ」という事実だけ。その事実に伴って起こる現象や感情は誰一人同じではない。

私は断捨離をする。再びそう決心した。

その理由は2つ。
一つは、子どもたちを面倒な気持ちにさせたくないこと。そして、2つ目。それは、子どもたちに悲しみの涙を流させたくないこと。

***

2021年の抱負は「断捨離をする」、この一つだけ。絶対に達成させるために、モノを捨てられない私の本気度を表すために、一つだけに絞った。そして、ちょっと自分に甘く、1年という時間も与えた。

いつ死ぬか、どのように死ぬか、それが幸せな死なのか、辛い死なのか。そんなことはまた別の話。

私はいつか確実に死ぬんだ。その事実をしっかり受けとめ、その時がいつ来ても大丈夫なように、今すぐ、私のモノたちを整理しておく必要がある。私の気持ちが詰まったモノたちを、私の意志で整理し手放しておくことで、残された家族はそのモノから滲み出る私の未練や寂しさを見なくてすむのではないだろうか。

どんな最期を迎えようと、家族に伝えたい思いは一つだけだろう。そして、それを伝えることができれば、家族は笑顔を見せてくれる。その笑顔に見送られたら、私もきっと笑顔で旅立つことができるだろう。

断捨離って、家族への最上級の愛の形で、そのお礼に愛で見送られることなのかな。

断捨離をするついでに、もう一つしたいことがある。それはスーツケース1個分の残すモノたちの中に、私の残り香を漂わせることができる“粋なモノ”をしのばせること。言葉にするか、モノにするか。まだ決められない。他の人が見ると只のガラクタでも、家族が見ると、思わずクスっとなるようなモノ。「お母さんらしいね」とうなずかせるモノ。そんなものをこっそりしのばせておきたい。

それを考えるとなんだかワクワクが止まらないな。


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