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繋がりの中で生きているからワクワクして明日を待つように生きよう

犬を連れていると見知らぬ人に話しかけられることが多い。「みんな顔見知り」という環境で育った私にとって、都会の暮らしで知らない人とのとりとめのない立ち話は、寒い日に浸かるあったかいお風呂のようで嬉しいものだ。

先日のこと。散歩中にまた声を掛けられた。それが一言ふたことではなく、まるでよく知った者同士のように犬談義に花が咲いた。

一人は、出張で来ていた同世代くらいの女性。通りがかった公園で私と愛犬を見つけ、思わず声を掛けたという。彼女も同じ犬種を飼っていて、スマホを取り出しその子の写真を見せてくれた。うちの子はこうだけどそちらは?なんて話し、声を立てて笑って別れた。

もう一人は70代くらいの大柄な男性。サングラスをかけた強面な顔で突然背後から「聞いていいですか」と言われ、思わず竦んでしまった。男性は愛犬に興味をもった様子で、犬種についてあれこれ早口に質問し、「あー、私、狩猟やってたんですよ~。この子、いい犬ですね~」と目尻にしわを作りながら狩猟の話をしてくれた。少し吃音がある話し方は父を彷彿させた。吃音のある人は言葉よりも先に感情がこぼれ出る。男性の興奮が私の心をも躍らせた。

確かに犬を連れていると話しかけられる率は高い。「(犬が)かわいい」を突破口に簡単に境界線を越えられるのだ。仮に私が絶世の美女だったとしても、突然「かわいい」と面と向かって言われることはないだろう。また、犬がかわいくても、雨の日や暗くて人通りのない道で声を掛けられることもそうはない。こちらとて、声を掛けられたらダッシュで逃げようくらいの警戒心がある。

その日は、私が声を掛けられる条件がいくつも重なっていた。爽やかな秋晴れ。家族連れで賑わう週末の昼間。この外的条件によって公園にいた誰もがみなウキウキしていた。そこへ犬好きの前に現れたかわいい小型犬。声を掛けても誤解されないだろうオバサンな私。知らない人に声を掛けるハードルはめっぽう低くなる。

同じことの繰り返しの毎日。それに感謝しつつもどこかで物足りなさを感じていた。そんな私のいつもと同じ日を、見ず知らずの人がちょっと違う日にしてくれた。私の1日は私だけでできるのではないと改めて教えられた日だった。

『諸法無我』―すべては繋がりの中で変化している

自然も人も動物もみな繋がりの中で生きている。その関りが今日という日をつくる。だからワクワクして明日を待つように生きていこう。(1000字)



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