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おとなになればわかるサンタクロースの正体

「あ~ちゃん(仮称)のお母さんって、ドクトク~」

末っ子の娘が学校で友達とクリスマスの話になり、こう言われたそうだ。

中学3年生の子どもたちが独特と言ったのは私の「サンタ論」のことだ。この「サンタ論」は一日にしてできたわけではない。サンタクロースの存在を肯定する証拠をつかむことに一生懸命だった子ども時代から、友達や好きな人と過ごすことに心をときめかせた思春期。親になってからは子どもたちに夢を与えようとあの手この手で演出したが、過去に二度、その演出をしくじってしまい、上の二人を傷つけ、あちら側の夢の国へ戻れなくさせてしまった。そんなこんなの経緯を経て、ようやく私はサンタクロースの正体をつかみ始めている。私の「サンタ論」はサンタクロースの正体を暴く途中経過の報告書のようなものである。


先日、イタリアのカトリック教会の司教が、子どもたちに「サンタクロースはいない。赤い衣装はコカ・コーラが宣伝のために作ったものだ」と語り、親たちからの抗議が殺到したというニュース記事を読んだ。

世の中の関心は、「サンタクロースの存在の有無」ではなく、「子どもにどのように伝えるか」にある。私も末っ子の娘が小学4年生の時、我が家で唯一、こちら側にいない末っ子のためだけに演出することが心苦しくなり、娘を傷つけることなく演出を止める方法を模索していた。そんな時にこの本に出会った。

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これは、アメリカであった本当の話。8歳の少女の「サンタクロースってほんとうにいるんでしょうか」という質問に、新聞社が社説でその返事を書いたものだ。

これを読んだ時、私は、情に訴えるような手紙を書いてサンタクロースから返事をもらおうとしていた幼少期、身近な人を幸せにしたいと思った思春期、母になり子どもたちの世界を守ろうとしていた頃、それぞれ違うクリスマスを過ごしていたようで、実は信じていたものは同じであったことに気づいた。その “信じているもの” を娘に伝え、その補足としてこの本を、サンタクロースではなく、私から娘にあげる最初のクリスマスプレゼントにしたのだった。


長男は、クリスマスプレゼントが包装されていた緑の包装紙と同じものを私の机の脇で見つけた、とその翌年のクリスマス直前の夜、私に告白した。妹たちが寝息を立て始めるのを見計らって、電気の消えた部屋で苦しそうに吐き出した長男の声を今でも覚えている。当時長男は小学2年生。まだあちら側で楽しんでいるべきはずの彼を傷つけたこと、そしてそれ以上にこのしくじりにより間違ったメッセージを与えてしまったことに、どうしようもない後悔の念に駆られた。「僕、あーちゃん(妹1:次女)にも、いーちゃん(妹2:長女)にも言わないから」と背を向けて寝た長男に、返す言葉も、事態を説明する言葉も、当時の私には見つけることができなかった。

 サンタクロースを見たことある人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。
                                          ~サンタクロースっているんでしょうか?~

もっと早くこの本に出会えていたら、彼を不本意にこちら側に連れてくるようなことにはならなかったのに…。

長女の場合は、事故だった。あれはボルネオ島で暮らし始めた年、長女は小学3年生。朝の3時頃、夫が長女の枕元にプレゼントを置いた瞬間、「ピンポーン」というまさかのドアベルに長女が目を開けた。クリスマスで浮かれて帰宅した夫が玄関のゲートを開けっ放しにしていたために、普段仕事らしい仕事などしていなかった門番たちが、「クリスマスだから」と珍しく見回りをしていたのだった。翌朝、プレゼントを抱えて跳びはねながら階段を降りてくる末っ子の後ろからゆっくり下りて来た長女が、「あーちゃんには言わないから」と小声で私に言った。以来、長女もこちら側にいる。


今年もまたクリスマスがやってきた。

愛犬に赤い服を着せて散歩する人。プレゼントを開ける子どもを撮影するパパさん、ケーキを焼くママさん。友達とプレゼントを交換する中高生。イルミネーションを楽しむ若いカップル。孫と電話で話すおじいちゃん、おばあちゃん。寄付サイトやネット上のキャンペーンに参加して誰かのサンタになる人たち。人類を脅かす感染症が世界中に猛威を振るい、いまだ終息の気配が見えない世の中で、人々は灯りをともし、歌をうたい、今日という日を祝う。クリスマスというのは、『賢者の贈り物(オー・ヘンリー)』のお話のように、たとえお金がなくても、たとえ自分の大切なものを手放しても、大切な人を喜ばせたいと思う日なのだ。世界中の国々で、数えきれないほどたくさんの人々が、まるで魔法をかけられたように誰かのことを想う姿を想像すると、そこにはたらくとてつもなく巨大な力に畏怖を感じる。

 あなたもわかっているでしょう。—世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたのまいにちの生活を、うつくしく、たのしくしているものなのだということを。
 もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
         ~サンタクロースっているんでしょうか?~


私にとって「サンタクロース」とは、数学の証明問題に似ているような気がする。生涯をかけてサンタクロースの存在を肯定する事柄を見つけていく。証明材料は日々の暮らしの中にごまんとあるが、思いやりや感謝の心を持たなければそれらにも気づくことはできない。だから「良い子にしてないとサンタさんは来てくれませんよ」というのは、大いに合点がいく。

5年前に末っ子に私の「サンタ論」を話し、この本を与えて以来、彼女とサンタクロースについて話したことはなかった。敢えて聞かないし、敢えて話していない。彼女が友達に我が家のクリスマスについて聞かれ、私の「サンタ論」を持ち出したということは、彼女の中にも私の「サンタ論」のようなものが生まれ始めているということなのだろう。3人の子どもたちの中で、唯一、彼女だけが自分の意思でこちら側にやってきた。誰かに教えられるのではなく、強要されるのでもなく、自分で気づき感じていく。そんな彼女にはもう、白いひげを生やし、赤い服を着た大きなお腹のサンタクロースの存在はいらない。これが大人になるということなのだろう。

サンタクロースの役割は、子どもたちを夢の国で躍らせることではなく、子どもたちをゆっくり「大人」の世界へと導いていく案内人なのだと思う。そして、そんな役割を担うサンタクロースの正体を、私たちは成長しながら見つけていくのだろう。いったい何者であるかなど、誰も見たことがないのだから答え合わせはできないけれど、赤い服を着たサンタさんに導かれて大人になった子どもは、そんな難解な問題に取り組むことの喜びがわかる日がくるんじゃないのかな。今年のクリスマスもまたそんなことを考えながら過ごしている。

昔となりのおしゃれなおねえさんは
クリスマスの日私に云った
今夜8時になればサンタが家にやってくる
ちがうよそれは絵本だけのおはなし
そういう私にウインクして
でもね大人になればあなたもわかるそのうちに
          ~恋人がサンタクロース~松任谷由実

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