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初物とカレンダー

ふと窓の外を見ると、向日葵。
せみだって鳴いてる。ああ、そういえば電車に学生も少ないな。夏、8月なんだ。

もはや季節はどこへやら、単なる数字と化したカレンダー。移りゆく季節に気づくこころのゆとりを無くしていたことに気づく。

あぁ、またやってしまった。集中癖。つい視野が狭まって、目の前のことしか見えなくなってしまう。

小学生ぐらいの頃は野原を駆けまわり虫取りにザリガニ釣りをしたり、草花を摘んで遊んでいた。あんなに草花や生き物との触れ合いがあったのに。

今は雨上がりに香る草の匂いや土の匂いを思い出せない。雨の降るのにも気がつかず、画面越しの文字とにらめっこしてばかりだ。これが世にいうムダ、ブルシットジョブというやつかーと思いながら。価値を生み出さないものに時間を使わないように…と心に釘を刺しながら。

淘汰という言葉は、余分なものを取り去ることらしい。似たような言葉でふるいわけ、良いものを選び取ること。

思考停止せずに本当に重要なことだけをやっていく。意味を理解して仕事する。指示だからではなくて、目的に納得してやっていく。そういった風に仕事できたら。効率や目的、そこばかりに気を取られていると疲れてしまうけれど、こころのゆとりを得るためには、選択が必要。そう改めて思わされた。

目の前の夏の暑さにばかり気を取られて、日が短くなってゆくことに気がつかない。そして時間は過ぎている。

朝顔は朝に咲くんじゃないなんてニュースを見て少しショックを受けたけれど、ニュースだったりスーパーがくれる季語や初物に季節の訪れを感じると、すこしほっとさせられる。

私は生きてる。

またこの季節が巡ってきた。

日常があたりまえではないことを思い出す。

不思議な感覚。

こんな毎日が永遠に続いたらどうしよう。そう、先日までひとりそう思っていたのに。

食卓には夏野菜がずらりと並ぶ。ハウス栽培や養殖物、輸入物などでなかなか区切りはつけづらいけれど、初物も暦みたいなものかもしれない。

丁寧な暮らしに憧れながら便利さを求め、エシカルを気取りたいけれど安価な方を選ぶ。
そうやって理想と現実がバラバラになっていた。理想の自分じゃないと何度もうんざりさせられる。
子どもに同じ思いはさせたくないけれど、私はそんなに賢くない。
考えること、色々知ることの門を見つけ、子供たちに門を教えること。私に唯一できそうなのはそれくらい。小学生が夏休みのこの時期は、それができる最適な環境。

せみだ、向日葵だと感動している私の状況では、今年も夏がすぎるのは早そうだ。


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