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【苦痛】合わない仕事に就いて7年(入社〜1年目編)


ピカピカ新入社員 無能晒し編


2018年4月、ワイは就職した。
学生時代バイトをしても、ストレス耐性の皆無なワイはバイトなんかすぐやめた。
学生の時から自分が社不、いわゆる社会不適合者の自覚しかなかった。

頑張って死にそうになりながらも多分それなりの会社に就職したが、
もう入社前からイヤな予感しかしなかった。
だってストレス耐性無し、すぐ泣くすぐ病むネガティブ思考の完璧主義。そのくせ要領も悪ければ理解も飲み込みも遅い。無能な特性全部乗せみたいなおいらだったから。

案の定入社後は強いストレスに晒された。
もう地獄だった。
無駄にビジネスマナーに厳しいお局から毎日のように髪型服装全て叱られ、
忘れ物をしまくり、
新入社員約100人の前で公開説教。
再発防止策を発表させられ、
喋ったことも無い奴から、
君ってよく怒られてる人だよね、と話しかけられたこともあった。
ワイはお前のことは知らない。

あまりにも、センシティブなワイのハートが持つはずもなかった。

お局は怖いし晒しあげられるから、
毎日研修しかねーのに仕事に行くのが嫌で、
毎日泣いてた。
ワイ以外の新入社員は業後に飲みに行くのが恒例のようで、たまにワイも誘われた。
でも断ってた。だってみんなの顔をみたら、
仕事のこと思い出しちゃうから。

まだこれから何十年もこんな地獄が待ってるなんて
人間辞めちゃいたい。
なあ、お前らもそう思うだろ?

配属1年目 無能システムテスト

ワイは人知れずボロボロになりながら研修を終え、
部署に配属された。
ワイの会社はいわゆるSIerというやつ。知らんけど。
であり、普段はシステム開発を行っている。
入社の時は、「プログラミングとかは、ベンダー(外部の会社)がやるから、みんなの仕事は基本ベンダーの管理だよ」といわれ、
ふむふむ、プログラミングはなんか難しそうで嫌だし丁度いいやんけ、と思って入社した。

でもワイが配属された部署は、
てめーでプログラミングする部署だった。
想定外だった。
ベンダーとかもいなかった。

学生時代、広く浅くプログラミング言語については授業を受けていた。
なんでそんな学科にしたかというと、
プログラミングできたらなんかかっこいいから。
ブラッディマンデイもカッコよかったし、
ソードアートオンラインでキリトが住基ネットをハッキングしたとかいう逸話も興奮したから。

でもなんか難しいし、就職してから自分でコードを書くつもりはなかったのだが、
書く必要が出てきてしまった。

だが、配属されてからすぐプログラミングをさせられるわけでは無い。
まずはシステムのテストを任された。
システムのテストは、作ったシステムがきちんと要件通りに動くか、実際に操作して確かめていくタスクだ。
テストケースが書いてあるエクセルを眺めながら、
その通りに操作して、想定していた結果が得られるかをテストする。

簡単だと思うじゃん?
バカを言うな、ワイは無能なんやぞ。

テストを実施する時は、1日に何件こなすかを事前に計画する。
ワイは新人なので、自分で作業の見積もりはできない。
先輩がこれくらいいけるかなーと思った数を目標に、テストを行う。

まずこれがキツかった。
先輩が計画してくれた実施件数に、全く届かない。
先輩はワイが新人であることを考慮して少なく見積もってくれているが、それを凌駕する無能さを持つワイは、予実の乖離に、毎日胸が締め付けられていった。

あまりにも毎日目標に遠く届かないから、
なんで達成できないのか、どうしたらできるようになるか、
毎日毎日ワイの言い訳を聞く時間がとられた。
マジきつかった。
ワイが無能なだけなのに、先輩ができもしない数を見積もっているのかと、上司からあらぬ疑いをかけられていて、更に心臓がキユッとなった。
ワイのために争わないで欲しかった。

なんでこんなに上手くいかないのか、
ワイにもいまいち分からなかった。

なんか出来ない、
と思うけど、なんで出来ないのかを見つけるのが下手で、だから改善も大変だった。
だってやってる本人がなんで出来ないのかわかんないんだから。

元々、自分のことにはかなり疎かった。

自分が出来ること、出来ないこと。
あとは、体調不良になったきっかけとか原因に気づけなくて、いつの間にかダメになってたり、
メンタルは繊細なのに、鈍感でもある。
まじで部下にしたくない人間NO.1と言ったところ。

それでも何とか、原因はわかってきた。
まず、テストするときは、色んなパターンでテストをするが、
テストを複数組み合わせて、一度の操作で何件も討ち取る、ということが可能だった。
それは事前に教わっていた。
ワイもそれはやっているつもりだった。

だが、先輩のテスト結果を見ると、
ワイよりずっと多くのパターンをまとめて一操作で討ち取っていた。
ワイはかなり頭が硬かったので、
いや、厳密にはこれは分けた方がいいのでは?
という思考が出てきてしまい、
まとめて打ってもまあ、2-3件程しかまとまっていなかった。
そりゃあ操作の数が圧倒的に違うのだから、
予定を消化し切れるわけなかった。
でもその塩梅がマジで分からんかった。

言われれば、確かにここはまとめてもいいのかも
と思えるのに、
自分でテストのExcelを眺めてると、
とてもそんな発想にはならなかった。

これはだいぶマシになったものの、
7年たった未だにそうで、ワイは他の人より打つ数が多い。
なんでかは分からない。

他にも原因はあった。
まず、1回しか操作できない系だ。
画面のボタンを押すと、データベースに持つ値が更新されて、ボタンが非活性化する。
もう一度ボタンを押すには、データベースの中身を操作前の状態に書き換えてあげる必要がある、
というものだ。
マジでそんなの知らねーよって感じだった。
だってそのボタンをおしたら、どのデータがどのデータに書き変わるのか、正確に把握してないと元に戻せなかった。

ワイは物覚えがまじで悪いので、
すぐどのデータを戻せばいいか判断ができなかった。それを調べるのに時間がとられ、
かつ、間違ったデータで書き換えてしまう、など
あらゆるミスを連発し、
もう一からデータを作り直す方が早くて、そうすることもあった。
だから時間がすごくかかったし、すぐ判断できない自分が無能で、情けなくて、
苦しかった。
でもこれは慣れるしかなくて、解決策なんかなかった。

ワイは仕事を休みがちになった。
どうせうまくいかない、無能なんだ。
気持ちが落ちていて、嫌だから逃げる。
親には休むたびに小言を言われ、サボりだなんだと言われ、
どんどん自分が嫌いになった。
虚しくもどんどん有給が減っていき、ちゃんと出ざるを得なくなった。

どうせみんなおいらのこと無能だと思ってるよな
と思いながら勤務するのはほんとにきつかった。
慣れてきて、少しマシになってもワイは仕事ができなかった。
毎日家で泣いてたし、通勤中に泣くこともあった。

嫌だったテストが終わった。

配属1年目 無能コーディング

システムテストが終わり、
ワイは簡単なプログラミングをやることになった。

なんか知らんけどJavaという言語を使ったWebアプリケーション開発だった。

Javaとかよくわからなかった。
一瞬研究で使ってたけど、なんか適当にやったら動いたし、あんまりわかってなかった。
そんなワイが、Javaを使って機能を作ることになった。

最初は、すでにある機能のソースコードをまねっこして、簡単な画面表示をするようなタスクをやったと思う。

嫌だなーわからないと思っていたが、
学生時代にプログラミングに触れたこともあり、
思ったよりは苦戦しなかった。
何より、先輩がマジで丁寧だった。
当時3年目の先輩がついていたが、こいつがマジで有能だった。
おいらは今7年目だけど、当時の3年目だった先輩にまだ届いていないと思う。

苦戦するとすぐ病んだが、先輩のおかげでだんだんプログラミングができるようになっていった。
先輩はマジで無から有を生み出す天才だった。
0ベースで何かやるって大変なのに、
マジですごかった。

その先輩のおかげで、一時、仕事は嫌いだけどなんとか働ける気持ちになったこともあった。
まあ常に不安定だったけど。

ようやく泣かずに出社できるようになった頃、
3年目の先輩が異動になった。
青天の霹靂だった。
なんで、おいらはようやくなんとか働けるようになったのに。
この人がいないと無理かもしれない、と思ったらとても憂鬱だった。

ワイがいたチームは、若手だらけで形成されており、入ってはすぐ抜ける、
という性質を持つチームだった。
チームで若手のスキルを育て、育ったら外の部署に排出するためだった。
だから先輩が出ていくのも当たり前なのだが、
かなり案件が中途半端な状態で抜けていったので
心の準備ができていなかった。

案の定苦しくなった。

長すぎるので

思ったより長すぎるのでここで区切ります。
また気が向いたら続き書きます。





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