いきなり突きつけられた「やりたい仕事とは?」

昔から、やりたい仕事がありませんでした。新卒採用でも、取りあえずの志望動機でやり過ごしたタイプです。ラッキーなことに大手の広告代理店に入社させてもらうことができたのですが、いざ仕事が始まると深夜24時をこえることも当たり前で、やりたい仕事について考える暇などなく、とにかく毎日生き延びることだけを考えて生活していました。”自分にできないこと”が起点になった働き方です。毎日ノートに”できなかったこと”を書き記していました。同じミスを繰り返したら、その度にノートに追記していました。劣等感やコンプレックス、悔しさ、そういったものが原動力だった20代。

がむしゃらに働き続けて、30歳くらいになると、ふと景色が開けたような感覚になりました。カッコ悪い言い方ですが「あれ、じぶんってちゃんと仕事できてるかも」と自覚するようになったんです。まあ、ずっと頑張っていたんですから、それなりに仕事もできるようになりますし、社内外の信頼関係も築けてくるものです。

その頃から、企業や組織単位の課題や戦略について興味がわくようになりました。MBAっぽいトピックへの関心が強くなったのも、アラサーになった頃からでした。それなりに自分の会社や組織に対して課題意識を持つようになり、ちょっと毒づいたりして、いわゆる中堅っぽい社員でした。この頃から、なんとなくピボットターンを意識して新しい仕事をとってくるようになりました。当時も、長期的なキャリア目標は特になく、「今の自分の能力に、これも追加できたら、もっと強くなれそう。」くらいの感覚で、働いていました。

一方で、当時働いていた会社は人材の流動性が低く、なかなか希望の部署に異動できずモヤモヤしていました。当時は、広告のメディアプランニングやブランディングに携わっていたのですが、事業投資がやりたくて、投資部門を志願していて、社内の根回しを行ったり、幹部候補育成の研修に参加したりして、アピールを続けていました。結局2年近く経っても異動が叶わず、試しに転職サイトに登録をしてみることにしました。

自分が働いていた会社は、当時はまだ終身雇用の文化が色濃く残っていて、給与水準も高かったので、転職する人は少数派でした。いたとしても、入社3年くらいで転職する若い世代が多かったです。自分は当時10年在籍していたので、それなりの期間働いていました。最初は、軽いノリで登録して、本気で転職するつもりはなかったです。ちょっとしたストレス発散、気分転換くらいのものでした。一方で、異動の目処が経たないフラストレーションは溜まっていき、気分転換が次第に本気度が増してきて、真剣に求職をするようになりました。それが2017年。当時33歳。

色んな会社の面接を受けたのですが、うまくいきませんでした。広告代理店って潰しがきかないのかなあとか悩んだりもしました。そんな中で、ある程度自分の中で焦点が定まっていたのは「未経験領域は厳しいから、まずは広告やマーケティング系のポジションにしよう」というのと、なんとなく「グローバル企業がいい!」みたいな気持ちがありました。会社の研修で英語を使ったクラスがあり、それが楽しかったというのもありました。もちろん、海外への留学や滞在歴は全くなく、独学というか、半分ノリで英語を喋っていたような感じです。出川哲朗みたいなもんです。それで、なんとなくGAFAM系を応募していて、たまたまとあるエージェントから「あなたは、絶対この会社が合ってる!」という謎の推しがあり、現在の会社に転職することになりました。最初の面接から20日後には内定が出たので、「やっぱり外資テック系企業はスピードはやいなあ。」と感心したものです。

早速、上司に退職のことを伝えると「実は2日後にお前を人事異動の会議に上げるところだったんだ。直前でよかった。」と言われ、これもなにかの巡り合わせだなと思いました。転職した今でも、前職のメンバーとは仲良くさせてもらっていて、大好きな会社です。そういう意味では、自分は幸運な形で、卒業ができました。

現在の会社に入社したのはしたのは2018年5月のことでした。レガシーな日本の大企業から、GAFAMへの転職。全然違う会社なんだろうなと思っていましたが、想像以上に違う会社でした。良い意味で。やっぱりいろんな会社があって、それぞれ個性があるものですね(2社しか経験してないけど)。

当時は、広告事業の部門にして、プランナーやアナリストとして働いていました。3年目に差し掛かった頃、2020年夏に過労で倒れて、キャリアを見直す機会がやってきました。転職も考えました。実際に複数社から内定をいただき、申し訳なく思いながら、辞退したこともありました。そして、最終的に決めたのが、異動です。正直当時は、過労も癒えきっておらず体調も完全ではなく、転職してやっていける自信がありませんでした。現在はコンサルタント職になり5ヶ月目。同じ会社とはいえ、前の部署とは全然違う世界です。正直、はまってない気がする。仕事はやれているけど、楽しくないし、熱中できない。不安ばかりが募る。

そんな中で、自分の頭に浮かぶのが「なにがやりたいの?」という問い。ずっと棚上げにしてきた問いです。今更とも思うけど、今だからなのかなとも思う。

休職後に応募した企業はベンチャー企業もありました。でも、正直なところ年収が大幅にダウンして、更に忙しくなることを考えると、よほどやりたい仕事でなければ、続かないと思いました。一方で、年収を上げようとか考え始めると、途端に選択肢が狭くなり、それこそGAFAMをぐるぐる回るか、外資系コンサル、Salesforceみたいな世界になってしまう。遠く海の向こうから数字目標だけ言い渡されて、ひたすら働くというスタイルもちょっと飽きてきて、魅力的に感じられない。そんなこんなで、ワガママな思考回路から抜け出せず堂々巡りの毎日です。

結局、なにがやりたいのか?という問いから逃れられない。

これまでのやり方で行くなら、ピボットターンをして、自分のスキルを活かせる&チャレンジできる領域がある、みたいなところを選ぶのが妥当なんでしょうけど、その思考回路もしっくり来ていない。

言い訳をするなら、こんな感じかな。
自分は小6くらいから、メンヘラの兆候があり、30代になるまでは、自分の心を平穏に保つことがろくにできなかった。
だから、これまで死にたいと思う日は何千とあったし、仕事で大変だったときも、「最後は死ねば終わらせられるから、大丈夫。」くらいの気持ちで、自分の命に対しては、とことんいい加減な態度でした。それでも、まあ、死ぬなんてことは簡単ではないし、そんな度胸もなかったので、長い時間をかけて、ゆっくりと心を落ち着かせていきました。今でも睡眠障害は治ってないですが、発狂したりパニックになったりすることは無いし、死にたいと思うこともなくなりました。自分が頑張ったというのもあるし、周りの人たちに支えてもらったというのもあります。今でも厨二っぽいところは抜けていないし、もう仕方ないと思っています。

そんな、自分の心の平和もろくに保てず、仕事に明け暮れていた生活から、気づけば普通のおじさんになって、普通に生活していることに、今さらびっくりしてしまうんです。心が平穏で、衣食住が足りているならそれ以上望むことはないといえば無い。それでも、闇雲に働いてきた十数年の中で、おぼろげながら、仕事のやりがいや、成長したいという気持ちがあったりもしました。でも、それがうまく言葉にできず、薄ぼんやりと温度が残っているような感じです。仕事を楽しいと思ったことはほとんどないけれど、楽しい仕事がしたいと思ったことも、ほとんどない。退屈なことが嫌いだったというのが強いのかもしれない。退屈しなければそれでいいかと言われると、それもなんか違う気がしています。偉くなりたいわけでもない、人からは認められたいけれど、ありがたいことに、それは今だって、これまでだって、認めてもらえていたし、それなりの尊敬の念をいただくこともありました。人の役に立ちたいという気持ちはあるけれど、仕事であり、お金をもらう以上は、何らかの経済的な効用を産んでいるわけで。実際にクライアントや職場のメンバーから感謝されることもあります。嬉しいですよ、もちろん。でも、それは自分にとっての北極星のようなものにはならなくて、空を見上げてはため息をついて、顔を下ろせば仕事に追われる。

夢なんか無い方が良いという方もいます。そういう考えも一理あると思います。むしろ僕の場合はその考えに乗っかった方が、気が楽です。それでも、なぜだか心は空を向いて北極星を探してしまう。

とまあ、スッキリしない感じです。でも、贅沢な悩みなんだろうなとも思います。精神がまともで、キャリアのことを自由に考えられるなんて。だから、しばらくはモヤモヤしていることにします。というか、選択の余地なく、モヤモヤしてしまう、といった方が正確ですね。


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