見出し画像

マーケティングが、色褪せてみえる。

さくらが満開になりつつある。
この時期には雨が降れば花が散らないかと不安になり、風が吹けば花はまだ持ちこたえてくれるだろうかと不安になる。

要するに春は不安の季節以外の何ものでもない。ぽかぽかと穏やかに晴れた日を除いて、こころが安らぐ時間は少ない。

3月21日は、自分にとって節目の時期だった。

いまとなっては遠い昔になるが、学生の頃に卒論を書いた夏目漱石のソーセキと創世記をかけた看板を掲げて、21世紀的な人生を標榜し、ひとりで仕事を始めた。新しい日本語を作った漱石に倣いたかったこともあり、自分にとっては文字通り新たな人生の一歩を踏み出す創世記のはじまりだった。

しかし、スティーブ・ジョブズのように起業家になるつもりはさらさらなかったし、でっかく稼いで名を馳せる野望もなかった。ただ自分を守ってくれる居場所がほしかっただけだ。

その居場所は確かに自分を守ってくれた。一方で、居場所を維持することはこれほどまでに大変なことかと肩をすくめている。

学校や会社における居場所も、友だちや家族における居場所も同じだろう。変化する時代と環境のなかで、自分の居場所を守ることは難しい。また、家屋のように物理的に居場所を固定してしまうと、その存在に束縛され、どこにも逃げられなくなる。所有したモノはひとを縛り、重い足かせのように人間の自由を奪う。

ところで10年ほど前、ひとりで仕事を始めるにあたって、めざすべき事業として「創造業」というキーワードを作った。製造業にかけたコンセプトだ。

それより前には、マーケティングにこだわっていた。イノベーションとか、テクノロジーとか。コンサルティングとか、プランニングとか。そして、クリエイターとか、クリエイティブとか。

それらのカタカナ語のすべてが、いまとなっては色褪せてみえる。
見栄だけ張った幼稚な言葉にしか聞こえない。

外側は立派そうだが、中身は空洞の虚業として、あの頃にはかっこいいと思っていたあれこれに魅力を感じられなくなってしまった。嫌悪感さえある。

それはそう、たとえるなら虫。

蛇腹のような固い外側にも関わらず、中身は空洞という虫の身体のイメージ。ぐしゃっと踏んだだけで壊れてしまう。見栄えだけはかっこいいが、薄っぺらで脆い。からっぽで身がない。マーケティングもコンサルティングも、そんな感じ。

「あなたのかっこよさは、虫でしかない」。そんな言葉で自分を批判してくれたひとがいた。ものすごく腹が立ったが、いまでは分かりすぎるほどに理解できる。そのひとの指摘は正しい。そして、もっとはやくその正しさに気づくべきだった。

ほんとうに創造力を発揮するのなら、売れるための仕組みづくり=マーケティングではなく、売れることはもちろん社会をよりよくするための「ものづくり」に注力したほうがずっといい。

言葉という誰でも使えるブロックを使って概念的な遊びに耽るのではなく、また、デザインで場当たり的な見栄えを整えるのではなしに、いま目の前にある環境の問題であるとか、格差や差別の問題であるとか、重要な課題に取り組むべきだ。それが、ほんものの創造力だ。

自分で作った言葉とコンセプトでありながら「創造業」や、想像力とかけた「創造力」みたいな惹句、コピーライティングにはうんざりしている。イメージだけが先行し、言葉とは裏腹な内容のなさに苛立つ。こういう形骸的な言葉が社会を変えるとはちっとも思わない。むしろ胡散臭い。恥ずかしい。

かといって、いまさらながらにものづくりができるわけでもなく、社会起業家やアクティビストとして社会に対して働きかけることも難しい。変わりたいのに変われないのが、もどかしい。自分の不甲斐なさに、ぎりぎりと歯ぎしりをしている。

けれども「どうせ、自分には無理だから」という開き直りの言葉を禁句にして、できることを拡げていきたい。いまできる範囲において、堅実かつ誠実な何かを穿ちたい。

さくらの季節が終わると新緑で街は色づき、また暑すぎる夏が来る。そして短い秋と冬になる。

いったい何度こうした季節を繰り返すのだ?という谷川俊太郎さんの『ネロ』という詩のような気分になるが、そうやって地球上では日常が繰り返されてきた。ただ、これから繰り返される未来の日常は、いまよりも厳しくて苦しいものになる印象しかない。

そんな悲観的な未来を描きつつ、谷川俊太郎さんの言葉に生かされている。詩人の言葉が沁みる。

最近、朝日新聞デジタルの「未来を生きる人たちへ」という記事を読んで衝撃を受けるとともに、とてつもない畏敬の念を抱いた。高校生の頃から自分にとっての神様だったが、やっぱりこのひとは凄い。背筋が伸びる。

なろうと思ってもなれるような存在ではないが、92歳の詩人の生きざまに打たれた。威勢がいいばかりで内容のない言葉で体裁を取り繕うのではなく、谷川俊太郎さんのような重みのある言葉を使えるおじいさんになりたい。創造力とか、マーケティングとか、そんな形骸的な言葉ではなく。

そのために今日、何ができるか。
考え続けることが生きることなのかもしれない。

2024.04.05 BW


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?