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素敵なカセット・ライフ。

吉祥寺のハードオフで手に入れたソニーのCDラジカセのカセットとCDが壊れて、単なる「ラジ」になって長い時間が過ぎた。捨てるのは忍びないので、物置に放置していたDVDプレイヤーを下に敷いて、外部入力端子につないでラジからCDを聴いている。アンテナを立ててラジオも聴く。ラジオはJ-WAVE限定である。

カセットを聴かなくても構わないのだけれど、手もとに四半世紀以上も前に録音したバンドのスタジオ練習の音源がある。たまにこれを聴きたくなる。そんなわけで、安価なカセットプレイヤーを入手してみた。書籍1冊分ぐらいの値段だった。

手元に届いたモノを開封して、思わずニヤニヤしてしまった。重い。でかい。いまとなってはあまり見たことのない銀メッキのぴかぴかのパーツ。銀+灰色+黒のデザイン。煙を吐き出す汽車みたいだ。

SUPER USB CASSETTE CAPTURE

突起の主張が激しい重厚なボタンが並んでいる。特に筐体の中央に配置された「PLAY」ボタンがやたらと大きい。ぐいっと5ミリほど押し下げて再生する。カセットを挿入する部分は幅広く、ぱかっと開き、フタを閉めようとすると嚙み合わせがうまくいかなくて、ふがふがした。

過去の遺物の引き出しに、もはや使えなくなったウォークマンがある。こちらのほうが、はるかにスタイリッシュだ。ボタンは平坦であり、スライド式のフタで隠せるようになっている。薄さは半分ぐらいしかない。ただ、イヤホンのリモコン、充電池のすべてが独自仕様のため、もはや文鎮にしかならないのが残念。

一方でレトロのようなカセットプレイヤーは、USB-Cのケーブルが差し込めるようになっていて、PCにつなげばアプリを使ってWAVEとmp3の音源としてデジタル化できる。フタに配置された文字は「SUPER USB CASSETTE CAPTURE(超ユー・エス・ビー捕獲マシーン)」、その下には「AUTO REVERSE – STEREO – Hi-Fi – MEGA BASS(自動反転機能付き・ステレオ再生・ハイファイ・メガ低音) 」と書かれている。

いま文字をしっかり読もうとしてぎゅっと強く押さえたら、フタがぺこっと凹んだ。あやうく潰してしまうところだった。あぶない、あぶない。冷汗。重厚なのか脆いのか分からない。見た目と合わないが、ていねいに扱うようにしたい。

ちなみに付属品のイヤホンは、音がひどすぎた。しかし、DTMに使っているオーテク(audio-technica)の密閉型ヘッドホンで聴いたところ、おおっ!と感動。ヒスノイズがすさまじいが、これもテープならではのローファイ感といえるだろう。

AudacityというアプリをインストールしてPCに音を取り込んでみる。カセットの音がデジタルの波形に変換されていく。げじげじみたいな帯が再生に合わせて伸びていく。ちなみに音やボタンに合わせて録音が始まるような、気の利いた機能はない。

あとでAdobeのAuditionを使ってノイズを除去してみたい。DAWに取り込んでマスタリングするのもいい。しかし、面倒くさい。やらないかもしれない。1994年の音源を30年も放置しておかないで、もっと早くデジタル化しておけばよかった。ただデジタル化された音源より、カセットで聴いたほうがいいのはなぜだ?

アナログのカセットのよさとは何だろう?と考えたのだが、ひとつには「曲を検索できないこと」だと思った。さらに、きゅるきゅる巻き戻したり早送りしなければ、目的の曲に辿りつかないことだ。ぼけーっとしながら、きゅるきゅる音を聞いている時間のほうが長かったりする。まあ、これも音楽の一部といえないこともない。

そういえば過去のラジカセにはカウンターが付いていた気がするのだが、このスーパーカセットにはどこにもカウンターがない。おそらく半透明な窓から覗いて、テープの進み具合を目視で確認せよ、ということなのだろう。了解。なかなか目的地に辿り着かないようなもどかしさがよい。

スタジオ練習の音源を久し振りに聴いた。決して上手くはないのだが、すごおく元気が出た。

曲の合間に笑ったり、どこどこタムを鳴らしたり、しゃらしゃらコードを弾いている音がいい。ちなみに自分はベースなのだが、ああっこういう音を鳴らしたかったよね、その背景にはあのアルバムがあったなあという、音の向こうに拡がる過去の自分の脳内がぱあっと展開して見えた。

懐古趣味はない。あの頃、スタジオにあったラジカセで練習を録音して個々のカセットにダビングして持ち帰り、その音源を何度も繰り返し聴きながら検討した。文章でいえば推敲だ。もっとよくならないか、うまく弾けないかと何度も聴き、聴きながら考えた。

いまでもその癖が残っている。過去のテープを流しながら、ここは荒っぽく弦をはじくように弾くべきでは?とか、この部分は別のアレンジのほうがいいのでは?とか、完成度を高めるにはどうすべきか考えている。現在の趣味のDTMでも同じであり、音源になっても完成することはない。永遠に検討する時間が楽しい。

カセットに記録された音源は過去なのだけれど、現在の自分の脳内で再生されるとき、それは現在進行形の音楽になる。そんな風にして、過去と現在を重ね合わせながら、いまを生きていけるといいなと思った。

過去は懐かしむためにあるのではない。
いまを生きるためにある。

2024.04.16 BW


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