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書き出し3つの極意、新生活の始め方。

4月は始まりの季節である。東京では雨が降ったりやんだり不安定な天気だったが、電車内にどことなく新鮮な雰囲気が漂っていた。新生活の第一歩を踏み出した若々しい空気が感じられる。さくらの花も咲き始めた。

仕事で使っている手帳も4月始まり。高橋書店のシャルム5(No.635)だ。もう10年ぐらい毎年同じものを愛用していて、この手帳なしには4月が始まらない。3月の終わりに準備しておいた新しい手帳に本日、最初の文字を書き込んだ。緊張するが心地よい一瞬である。

書き出しは難しい。手帳だけでなく、エッセイやブログも同じかもしれない。作文の宿題や小説の創作においても、最初の一行に悩むことが多いのではないだろうか。

そこで、どうすれば書き出せるか、新生活の第一歩を踏み出せるか考えてみた。個人的な極意としては、次の3つを心掛けている

  • 自分の名前を書くことから始める

  • 完璧主義を捨てて、あえて間違えてみる

  • 白紙を構想で埋める

ノートや手帳に手書きで書くことを前提としているが、キーボードを使ってデジタルで書く場合についても考察したい。

まず「自分の名前を書くことから始める」である。

何を馬鹿なことを、と思うかもしれないが、どんなに書けなくても自分の名前は書けるだろう。手帳であれば自分の所有物であることを証明するためにも、まず名前を書く。小学生の持ち物のようだが、そのことをスタートの第一歩とするとハードルが下がる。

子どもたちに文章を教えるときにも、書けない子には「とりあえず名前を書いてみようか」と促している。名前を書けたなら、その子は大きな第一歩を踏み出したのだから、拍手喝采してほめてあげる。そのうちに自信を持って、次の文字を書き始める。やがて何も書けなかった子が「家族をしあわせにしたい」みたいな長文を書くようになってびっくりする。

多くの場合、身体を動かすことによって思考が動き出すものだ。身体があたたまっていない状態で思考を動かそうとしても、思考は委縮してうまく動かない。だからアイスブレイクが必要になる。

紙ではないnoteには「こんにちは、文章を考え続けている〇〇です」のような冒頭のテンプレートがある。書き手としては、名前を書くことによって身体をあたため、次の文章を書く準備ができる。読者は、相手に親近感を持ち、読む準備の体勢を整える。

なぜ、毎回このひとは挨拶しているのかな?と疑問だったし、変だなあと思ったが、書き手と読者の双方に効果があるのかもしれない。

自分の名前には、両親からの期待や願いが込められている。自分の名前に託した想いをないがしろにしてはいけない。

次に「完璧主義を捨てて、あえて間違えてみる」について。

手書きの手帳や発想ノートを使うときに心掛けているのは、鉛筆やシャープペンを使わずにボールペンで書くことである。

なぜなら鉛筆で書いたものは消しゴムで消せるが、ボールペンの場合は消せない。消せるボールペンという商品もあるが、そういう甘っちょろい抜け道を自分に許さないことにしている。真剣勝負だ。ちなみに使用するボールペンはuni-ball Signo 0.5ミリ・ブルーブラック限定である。

ボールペンで書いて上から消すと、下に思考の痕跡が残る。この思考の痕跡が大切である。Wordでいえば校閲機能によって履歴が残せるが、手書きの場合は空間的な拡がりで可視化できるところに大きな意義がある。

きれいなノートを残すことが目的であれば、慎重にやるべきだろう。しかし、誰かに見せるものではないなら、手帳やメモはぐちゃぐちゃでいいと考えている。なんなら自分に分かればいい。手帳やノート、文章を書くことをさまざまなエクササイズとして活用して構わない。

したがって、真新しい手帳の一文字目を思いっきり間違えてしまうのも、ひとつの方法だ。結構めげる。しかし、まあいっか!と割り切ると、どんどん書けるようになる。

最初に失敗すると後が楽になる。失敗を恐れると何もできない。人生を白紙のまま終わらせてしまうのは、もったいない。とことん真っ黒に書き込むべきだ。

新入学の学生たちや会社の新人たちにもいえるだろう。入学や入社早々、思いっきり失敗をしてしまえば、あとは楽になるのではないか。どんと来い!失敗という度胸がつく。失敗の免疫ができる。こうした大胆な失敗の中から、イノベーションや成功が生まれるはずだ。ウェルカム失敗、ビバ失敗の楽観的な姿勢でありたい。

最後に「白紙を構想で埋める」こと。

これまで書いたことを覆すようだが、白紙にひるんでいるのであれば、書きたいことを書かずにじっと我慢する。可能な限り思い浮かべるが書かずにおく。こんなことを書きたい、5月にはこんなことをしたいという構想を、これ以上考えたらたまらん!もう書かせてくれ!というぐらい考え続ける。その思考が閾値を超えたら、決壊して溢れ出すだろう。

稲盛和夫さんは、事業を起こすときには、計画した構想をカラーで見えるまで考え抜くことの大切さを述べている。

書いたメモから考えが拡がる場合もあるが、書いた事実に安心して終わってしまうこともある。これをやりたい!という宣言に満足して、その後は何もしない場合も多い。

手帳は真っ白であっても、ぐつぐつマグマのように、やりたいことや構想に対する熱意をたぎらせていれば、それはそれでいいんじゃないか。そのために白紙の手帳が役立ったのであればそれもよし、だ。

さて。簡潔にまとめるつもりが、また2,000文字を超える大量な文章を打ち込んでしまった。手帳の話なのか、文章の話なのか、それとも4月からの新人に向けての話なのかカオスになって困惑している。

手帳は手帳でしかないし、たかが文章だから文章を書けるからといって何も偉くない。しかし、真剣に関わろうとすれば、手帳も文章も人生に他ならない。そこには生きざまが表れる。その関わり方が凄ければ、結果はもちろんプロセス自体が他者を打ちのめすだろう。

とはいうものの、手帳も文章も人生も、存分に楽しむことが大切ではないでしょうか。楽しんだ人間が最強です。

2024.04.01 BW


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