どれだけ歩いても「いまはここ」。
4月はよく歩く。新しい年度がスタートして気分が高まっているからかもしれない。デスクワークが中心の仕事だから、そんなに距離を歩かないのだけれど、4月には歩数計のカウンターが1万歩を超える日が多い。
ポケットに入れて持ち歩いているOMRONのデジタル歩数計は1万歩を超えると、棒人間によるバンザイ表示で祝ってくれる。あっ。いま気づいたのだけど、だから「万歩計」というのか。
検索をかけてみると「万歩計」は山佐時計計器株式会社の登録商標だった。
山佐時計計器株式会社は東京の世田谷区に本社があり、歩数計を作り続けて50年もの歴史を誇る老舗のメーカーだ。現在はスマートウォッチの製品もラインアップに加えている。
万歩計1号機の登場は1965年(昭和40)年。当時、医師やジャーナリストが健康促進のために「1日1万歩運動」を提唱していた。その計測ツールの要請を受けて、2年をかけて完成させた。初号機のデザインはアナログ時計風であり、1周まわると1万歩だったらしい。これはほしい。
OMRONのデジタル歩数計では、最高記録をベスト3まで表示できるようになっている。昨年の4月3日の1万3,964歩が現在のところ第1位である。なかなか記録を更新できない。といっても特に用事がなければ、記録を更新するつもりはない。
ところで、ぼんやりと疑問に思うことがある。
たくさん歩いているのに、止まっている感じがするのはなぜだろう?
この静かな停滞感。MVにするなら、アコギのアルペジオとともに、木漏れ日や電車の車窓を郊外の景色が流れる、モノクロ映像のような感覚。
せわしなく歩いても、どれだけ動いていても、自分の座標はいつも「いまはここ」。
この感覚は、分かるひとには分かるだろうし、分からないひとには分からないだろう(当たり前だ)。少年の頃からの疑問であって、うまく説明できない。言ったところで怪訝な顔をされることが多いので、あまり言わないのだけれど「なぜ自分はいつもここにいるのか?」不思議だ。
ある日、突然、僕が君になってしまってもいいはずなのに、僕はいつまでも僕のままで君にはなれない。あるいは僕は過去の僕、未来の僕になることはない。碇をおろして停泊した船のように、いまここに留まり続ける。身体という檻のなかに閉じ込められたまま、僕の本体は、自由に外を駆け回ることができない。いったいなぜなのか?
という答えの得られない謎について考えていても仕方がない。少しだけ気分を変えてみようと思い、ジョン・コルトレーンの『バラード』というアルバムを久し振りに聴いた。しっくり耳に馴染んだ。個人的なイメージでは、夏の夜を思わせる落ち着いた印象のJAZZだ。それから、アウル・シティの『オーシャン・アイズ』を聴いた。元気が出た。
身体を動かすとともに、こころを動かすことも大切な運動のひとつである。停滞感を消滅させるには、動くしかない。それでもやっぱり「いまはここ」であり、自分は自分だ。
座標軸の中心地点はいつでも自分であって変わりがない。だから、私たちは安心するのかもしれない。自分の現在地は、どんなときでもいまここであって、どんなに季節や風景が変わっても動くことはなく、ここにある。
いつも自分がここにあるからこそ、自由に動き回ることができる。
2024.04.14 BW
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?