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【エッセイ】世界で一番、愛する海について。


もうすぐ海。
愛する吉川海岸。
世界で一番、偉大な海。


#わたしと海

「日本人は、大別すると、海の人、山の人のどちらかなんです。比率で言えば、海の人が三割くらい、七割が山の人」
 以前、そんな話を伺ったことがあります。お名前は伏せておきますが、ある、高名な仏師さんでした。
「日本は国土の七割が山だと言うこともあるんですが、いまは、山で生まれる人はほとんどいません。規模の大小はあれ、多くの人は、町に生まれたはずですが、それでも、海の人、山の人のようにわかれてはいます」
 その方が言うには、山の人の特徴は、職人気質で真面目。海の人の特徴は、自由で、芸術家肌。どちらが良い、悪い、ではなく、そういう傾向があるのだと。
「あなたは頭から爪先まで、裏も表も海の人ですね」
 そう言って、笑っていた。
 僕は海や、その近くに生まれたわけではなく、中規模の地方都市に生まれて、その隣のベッドタウンで育った。海にも山にも縁のない地域だったけれど、幼いころから海に行くのが好きな子供でした。海に行かないまでも、流れる水の様子を眺めているのが好きな子供でもあった。

 その方にお話を伺う少し前。
 海にほど近い地域への移住を考えていた。
 ある、お寺の住職から、「あなたは海が好きでしょう?」と問われたことがある。
 成人して以降、僕は、美しい海を探して、ほんとうにあちらこちらを旅してきた。小豆島、淡路島。京都、鳥取。島根。沖縄や九州。それから、四国の徳島、香川、愛媛を車で回ったこともあった。買い物やデートで、神戸や大阪に行くときでさえ、海を眺められるエリアを選んだ。
 それなりに裕福な育ちではあったけれど、両親は不仲で、そのたび、父は、母に口汚く怒鳴り散らしていた。
「お前の教育が悪いから、息子が負け犬になった」
「お前の教育が悪いから、息子はクズなんや」
 僕は何に負け、どうしてクズ呼ばわりされたのだろう。

 母は、まだ幼かった僕に「あんたら(僕と妹)がいなければ、とっくに離婚している」と嘆いていた。行き場のなかった僕は、播磨灘、新舞子と呼ばれる、たつの市の海へ自転車を走らせ、膝を抱き、その永遠に繰り返される潮騒と時間を過ごしたのだ。
 もはや昔のことなのに、忘れられない。

 やがて、母は若くして大病し、その二年後には死んでしまった。痛みで気絶し、痛みで覚醒する、そんな酷い死に方で、遺言もなかった。せいぜい、「先生呼んで」と言っていたけれど、手の施しようもなかったのだろう。悲惨な死に方だったことをよく記憶している。
 母の入院中、父のストレスの捌け口は僕になり(あんまり思い出したくないので詳細は省くけれど)、「クズ」「生ゴミ」という言葉を浴びせられながら生活していた。共依存とでも言うのだろうか、母は母で、父の暴言を我慢してくれと僕に懇願した。
 一体、僕の魂は、どこに逃げれば良かったのだろう。
 そのころは海に出かける元気もなかった。すでに勤めていたのだけれど、若いながら責任のあるポジションになり、そのストレスも大きかった。
 吐きながら帰宅し、家事をして(父の注文、小言は、例えば、きゅうりのスライスの幅や、タオルのたたみ方にも及び、そして、しつこかった)、大切な愛犬の世話をした。よりによって、その愛犬も若くして病気をしていた。その犬も若くして死んでしまった。
 どうにか呼吸をしているだけの毎日だった。本当に酷い日々だったけれど、父が溺愛したその犬は、決して父には近づかなくなった。

 目覚めてから眠るまで、僕のそばにいることを選んでくれた。共にベッドで眠り、起き、なるべく二人で過ごすようにした。
 あの子を海に連れて行ってやれば良かった、と、いまでも後悔している。
 けれど、あのころ、僕は疲れ果て、自力で立てない日があるほどに病んでいた。よくあれで会社に勤めていたものだと、我ながら感心する。同時に呆れもする。
 さっさと逃げ出してしまえば良かったのだ。

 時間は経つ。
 数年前、生きることに迷っていた僕に、大きな助言をくれたのが、前述の、お寺の住職でした。
 あのころ、不思議だった。当時の勤め先の健康診断に訪れていた看護師さんが、参った神社で声をかけてくれた人が、それぞれにそのお寺にいってみないかと誘ってくれたのだ。
 そのお寺は神仏習合と言って、神様も仏様も祀られていた。お寺なのに、御神体があり、しめ縄に守られていた。

「高知に行ってみてください。あなたが探していた風景はそこにあります。魂は帰る場所を探しているんですよ」
 死ぬと言う意味ではない。海の近くで暮らせばいいのだ、と。そして、そこには、これから生きる場所があるのだ、と。
 そのころ、すでに年老いつつあった父は、頼る相手もなく、執着する相手を僕に選んだ。他に選択肢もなかっただろうし、父の父がそうしたように、息子という存在は、道具のようにこき使ってもかまわないもの、と考えたのだろう。
 年老いてしまう前からそうだった。
 実家を離れようとするたび、なにか、理由をつくって、引き留められた。とにかく、離れないように細工した。いい加減な嘘もついた。
 けれど、僕は、もう、生家には帰らなかった。
「あんなに、どうしようもない人は、置いて行けばいいんです。老後の面倒なんて。それは、お子さんが、恩返しとしてするもの。あなたにはそんな義務はない」
 住職さんはそう言ってくれた。明るく、にこやかで、爽やかで、その方を頼って多くの人がお寺にやってくる。最近だと、法話に人が集まりすぎるので、二部制になるらしいと聞いた。
 同時期、このnoteに連載した、「おとなりさん」にもお名前を借りた友人たち、セイジさんやゲンヤくんも、気持ち良く僕を送り出してくれたのだ。
「これからは君だけの人生。親のことなんか忘れてしまえ。ビリーくんがビリーくんらしく生きるだけ」
「親が子供を育てるのは義務。子供が親を介護するのは、義務じゃない。ビリーくんはそんな親のことなんて考えなくていい。君の人生は君のものなんだから」
 そして、僕は海の近くへ居を移すことにした。生まれ育った土地を離れ、誰も知らない土地へ行くというのは、なんて、体が軽いのだろう。
 新しい自分になるのだと、ドキドキしながら瀬戸大橋を渡ったことをよく憶えている。

 住職さんに言われていた。
「高知の海沿いを走っていたら、ここだ、と思うポイントがあります。そこで暮らせばいい。あなたはそもそも勘がいいし、おそらく気づいてるだろうが、人より少し進化している。その左目は特別なものを捉えることもできる。これから、あなたのすべき仕事は、素晴らしい、感動的だと思ってもらえるものをつくることです」
 初めて高知を訪れたとき、僕は、その海に気づいていた。香南市の海岸、それから、夜須の海水浴場や、塩谷海岸。移住してきて、改めて思った。
「この雄大な景色は、きっと、物語の舞台になるぞ」と。
 もう一度、物語を作ろう。今度こそ、はっきりとした小説にしよう。うまくいかなくてもやってみよう。そんなふうに。
 舞台はもちろん、高知県の海。海にやって来るか、海の近くで生きている人たちのことにしよう。

 生家の近く、小さなころからお世話になった歯科医さんに、ある日、院長室に呼ばれたことがあるんです。
「いつまで会社員なんてやってるん? ビリーくんは芸術しか生きる道なんてないだろうに。いつまでも若くない。いまのまま、会社勤めをしていると、君の人生は中途半端なものになってしまうんじゃないか」
 それから、心療内科の先生。お世話になった美容師さん。皆さん、お元気かな。僕は、嘘みたいに元気にしています。もうすぐ本を送るから待っててくださいな。

 毎朝のように、香南市の海岸、東西に約4キロもある、吉川海岸へ。
 ただいま、と、僕は言う。
 おかえり、と、汀で波が立ち上がる。世界で最も偉大な太平洋はすべての生き物に平等に、今日も昨日によく似た飛沫を立ち上げる。
 かつて、「死にたい」と思いながら生きていた僕はもういない。海を眺めるたびに思うのは、生きているよろこびについて。
 生きていることは美しい。
 生きていることは素晴らしい。
 生きていることは幸せなのだと、ようやくわかった。この、高知県の海の近くで、初めて感じた、生きているよろこび。
 僕はこの海で再生したのだ。

 解き放たれて、いまや、父の呪縛なんてない。俺はもう、お前なんかに負けはしない、そんなふうに、かつて、僕を縛った誰かにそう言えるだろう。
 朝が訪れるたび。
「今日も歩こう」と、午前から炎天を歩いて、海まで行く。海に行こう、そう思うだけで、ワクワクしてしまう。永遠に鳴り止まない波が打ち寄せて、帰ってゆく。
 そこには太平洋がある。愛する海がそこにあるのだ。誰のものでもない、すべての人を受け入れる海。
 とうに若くはない。
 なのに、いまがいちばん元気な気がする。農家の人から、「おはよう、今日も暑いね」なんて、声をかけられる。「お昼にビールでもどう?」とか(笑)。
 買い物に行けば、「いつも、おしゃれですねー」なんて笑われる。
「いい匂いがしたら、間違いなくビリーさんが近くを歩いてる」
 それから、つい立ち話をしてしまう。いつもありがとう。また明日ね。そんなふうに。

 コンビニでもそう。「ビール好きでしょ? 飲み行こか」なんて声がかかる。
 広大で雄大な自然を持つ、高知の人たちは、屈託なく明るくて、あたたかい。生きているから、いろんなことがある。でも、「まあ、とりあえず飲もうよ」って言ってくれる。
 心の病にだって、ほとんど打ち勝った。
「あと少しで、お薬飲まなくて済みます」と、主治医に言っていただいた。
「こんなに元気な病人なんていませんよ」と言われたけれど
()
 かつて、僕を、病気に追い込み、そのことをせせら笑った本人は、どうしているだろう。別に、どうしていても、俺には関係ないけどさ。

 僕には海がある。
 この、高知県の雄大な海には、トビウオが跳ね、魚たちは舞い、猫がエサを欲しがって車のなかに入ってくるし、上空にはトンビが周遊している。
 いまや、生まれ育った土地には、何の思い入れもない。二度と帰らないだろう。
 僕は海の人なのだから。
 海が、水平線が見えるだけで、たったそれだけで幸福になる。光を弾いてきらめく、太平洋は、いつ見ても、この世界でいちばん偉大な海だと思う。
 移住して、間もなく二年。
 旅立つ直前、住職さんに予言されていた。
「二年頑張ったら、世界中、どこにでも住めるようになっていますよ」と。
 これから、どんな楽しいことが起きるだろう。どこに生きて、暮らしても、いまの僕には帰る故郷がある。
 それは、もちろん、この高知県香南市の海。世界でいちばん、偉大な海だ。僕の魂は、すでに帰るべき場所を見つけているのだ。

photograph and words by billy.

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ビリー
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