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ショートショート「春になれば私は」

「なにそれ」
 私を見るなり、不思議そうに眉をひそめた。きょとんとしているんじゃなく、また何か始まった、みたいな、呆れ顔。倒れそうに傾けた首を左右に振る。
「いいでしょう」
 いっそ、居直ってみる。
「どういいのか分からないよ」
「君さ。私のことをバカだと思ってるでしょう?」
「いや、そんなことは。いや。うん、まあ。思ってるか」
 五月をすぐそこに控えた街をまだ冷たい風が吹き抜けてゆく。あたたかい陽射しは光線になって散らばって、そこらじゅうを照らしていた。
 私は卒業したばかりで、髪型を変えたばかりの彼と缶コーヒーを飲んでいた。全然、おしゃれじゃない、まるで映えない、甘いだけの缶コーヒー。でもSNSに載せるためのコーヒーなんて、それもそれで、もう、いちいち面倒かな、とも思い始めた。
 いつだっけ。
 あのころ、二人で学校帰りによく訪れた公園のベンチ。ゆるやかなスロープを折り返して昇ると、使われたのを見たことがないコンクリートの舞台。その端に座り込んですする、甘いだけの缶コーヒー。
 見渡す。誰もいない。ほんの少ししか経っていないのに、隣の彼はなぜか懐かしそうな表情だった。
「で。私をバカだと思っている君。君は春からどうするの」
 魔法使いをイメージした私はとことん日中の公園にはそぐわない。だいたい魔女なんて職業はない。あったところで魔法を使えない私がそうなれるわけがない。バカげていると知っていて、それでもやってみたいことがある。ふざけて笑っていられるのは、いつまでなんだろう。いまはまだふざけていても許されるだろうか。うぐいすの声。春うらら。ぬるくなった風。
「あー。まあ」
 彼は口ごもる。ほんの少し前に豪語していた夢から離脱したばかりだから。そのうぐいすは、頭の上から聞こえた。出入り口近くの電柱に小さな影。
 ズルいとは思わない。でも、仕方ないと思えるほど私たちはまだ諦めることに慣れていない。
 まだ散らずに残ってくれていた桜を眺めた。言葉はなかった。もう手を繋ぐこともなかった。だけど、なぜか、唇の感触は覚えていた。
 二人だった。
 いまは一人と一人になった。それくらいの時間だけは過ぎてしまった。
「いつの間にか。そんな気がする」
 そうだね。いつの間にか私たちは取り込まれてゆく。季節は私たちを追い出してゆく。過ぎて欲しくない時間だけは駆け足で逃げてゆく。
 子供のときはそんなふうに思わなかった、そう思えるくらいには私たちは大人に近づいてしまったんだろう。
「じゃあさ」
 ずっと私を見ていたくれたその視線。変わらずに澄むまなざし。それもそう、いつの間にかどこか遠くを眺めてばかりになっているって気づいているのだろうか。
「魔法、使ってみてよ。一度だけでいいから」
「魔法?」
「魔法使いになるんでしょ?」
「そうだね。そうだった」
 ふいに風が鳴る、視線の先の桜の花びら一枚が宙を舞う。
「止まれっ!」
 舞い降りるひとひらに、私は出来もしない魔法をかけてみる。
 その瞬間、彼は声にはせずに笑っていた。私もきっと笑っていた。重ね合わせた、瞬間と瞬間。きっと忘れないだろう。君も私も。
 そして、私の制止命令を聞いてくれるはずのなかった花びらは、揺れて散る寸前に、地と水平になって、ほんのわずかな間だけ、風に止められて、その動きを止めてくれた。
 止まれ、止まれ。私は念ずる。
 時よ、止まれ。隣の彼が叫ぶ。
 私たちを笑うように、その一枚は振り子のように、落ちてゆくその身を左右に振って、やがて、やんわりと着地した。
 だけど、いま。
 いま、ほんの少しだけ魔法を使えた、時間を止めることができた、そんな気がして、私たちの春は終わったのだ。
 その日から、私はたったの一度も魔法を使えなくなって、魔法の必要のない生活へと戻って、いつかきっと、あの日の魔法のことを思い出してしまうだろうと思っていた。
 振り返ると、あの日によく似た桜の花の一枚が、地上へと舞い降りていた。

illustration and words by billy.


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