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やきとりけいちゃん⑨最終話『飲兵衛エピローグ』

まだ明るいうちから飲む酒は、自堕落な人間になったような気がして少し罪悪感を感じさせる。
だが、その後ろめたさがいつもより酒を旨く感じさせてくれるのも、また事実である。

昼の2時頃、そんな事を考えながら3杯目のホッピーの調合をしていると、入り口の半分閉まったシャッターをくぐって懐かしい顔が入ってきた。

「鳴海さん、お久しぶりです」

「やあ、北野くん久しぶりだね。元気?」

「ええ、おかげさまで。鳴海さんも、お元気そうですね」

河田さんが、薄暗いカウンターの中から声をかける。

「北野くん、冷蔵庫から好きなの飲んで待ってて。今、片付け済ませちゃうから」

「ありがとうございます!じゃ、瓶ビールいただきます。えーと…グラスは…」

勝手が分からない北野の代わりに、厨房からグラスを持ってきて瓶ビールを注いでやる。

「んじゃ、久々の乾杯」

「どうもです」

「場所、すぐに分かった?」

「ええ、鳴海さんの説明ですぐ見つかりました」

ここ河田さんのラーメン屋も、3年前の開発でもれなく立ち退いたのだが、仮店舗を経て最近新店舗に移転オープンしたばかりだった。

北野は数年前にこの街を離れ、転職、結婚、と人生の舵を大きく切っていた。
この店の場所を知らなかったのはそんな理由である。

「この街を捨てて、幸せそうで何よりだよ」

「またそんな事を。鳴海さんも早く幸せ見つけてくださいね」

と、久しぶりの憎まれ口の叩き合いをしていると、もう一人の待ち合わせ相手である、けいちゃんと懇意だった常連さんのロクちゃんが来訪した。

「どうもです」

「やあやあ、まあ一杯どうぞどうぞ」

しばし、3人で卓を囲み昼酒を酌み交わす。

「お待たせ、行こうか」

河田さんと従業員の修子さんが、店の片付けを済ませエプロンを外す。

5人で店を出てタクシー乗り場に向かう途中、皆に待ってもらいコンビニに走り500mlの缶ビールを六本買って来る。

「けいちゃんの好きな銘柄、これだよね?」

「うん、そうそう」

2台のタクシーに別れて乗り込むと、区画整理のあとに建設されたタワーマンションの横をすり抜けて目的地へと向かった。



やきとりけいちゃんの閉店後少しして、有志が音頭取りをして近所の居酒屋で慰労会を開いた事があった。

サプライズと言う事で常連20人程が集まり、けいちゃんには内緒にして店に呼び出し待ち構える。

登場と同時に拍手で迎えると、けいちゃんは目を丸くして驚いた後、少し照れ臭そうにしつつも嬉しそうだった。

皆で募ったお金で買ったスニーカーとキャップをプレゼントし、代表者数名が感謝の言葉を述べた後、盛大に労いの会がとり行われた。

締めの挨拶を促され、ちょっとばかし飲みすぎたけいちゃんは、少しろれつが回らない調子でこう語った。

「俺みたいな素人が、こんなに長く店をやって来れたのは、皆んなのおかげだよ。ほんと、ありがとうね」

それを聞いていた鷹山先生は、感極まったのかポロポロと泣き始めてしまった。

「会長ぉ〜。寂しいですよぉ〜」

「あー、ほら先生泣いちゃったよ。よし、パーッと2次会行こう」

と、誰かが言い始め、結局その日は深夜まで飲み歩いた。
けいちゃんも寝落ちしそうになりながらも、最後まで帰らずに付き合ってくれた。

あれから、まだ3年しか経っていないのに、遥か遠い昔のことのように感じる。


そんなことを考えつつタクシーに揺られて20分程経つと、目的地に到着した。
都会の真ん中の街道沿いに、こういう場所があったとは知らなかった。

建物の中に入り皆で記帳し、その場で借りた道具を手に歩を進める。

「あ、あったあった。これだこれ」

河田さんが指をさした方に目をやると、まだ真新しい立派なお墓が目に入った。

墓石には、確かにけいちゃんの名前が刻んであった。



暖簾を畳んだ後も、けいちゃんはほぼ毎日街へ遊びに来ていた。
昼はパチンコを打ち、明るいうちから河田さんの店や駅前の居酒屋などで早めの晩酌を楽しんで、夕方まで再びパチンコを打ってからバスで帰路につく。
これが日課だった。

俺もよく街で見かけたし、何度も一緒に酒を飲んだりもした。

そんな毎日なので、みるみる太ってしまったけいちゃん。

「まーた、健康診断に引っかかっちまったよ」

と、よく笑い話にしていた。

お知り合いから子犬をもらってからは、散歩に連れて行くことで自身のダイエットにもなり、だいぶ調子も戻ったようだった。

犬の世話に追われ、街にくる頻度も週3回程に減ったようで、出会う事も少なくなっていた頃のこと。

「そう言えば、ここしばらくけいちゃんを見かけないね」

「犬の世話で忙しいんじゃない?」

訃報が届いたのは、河田さんとそんな話をしていた矢先のことだった。


お墓に水をかけきれいにした後、墓花を供え線香に火をつけて代わる代わる手を合わせる。

「じゃ、皆で献杯しましょうか」

5人それぞれが缶ビールを持ち、残りの1本を墓前に供える。

「献杯」

お墓を取り囲んでビールを飲みながら、しばし思い出を語り合う。

「しかし、飲兵衛の見本みたいな逝き方だったね」

「大往生だったと思いたいですね」

「え?けいちゃん、日本酒飲んでたっけ?あ、あれは大吟醸か」

けいちゃんも、墓に入ってまで河田さんのダジャレを聞かされるとは思っていなかっただろう。

「あれ?今お墓の中から北野くんの名前呼んでなかった?ちょっと返事してみ?」

「だから、それ吸い込まれちゃうやつですよね?」

「いいじゃん、中で焼き鳥焼いて待ってるよ。ほら、煙が上がってんじゃん」

「線香の煙ですよね?」

「わはは」

お墓を取り囲んで、ビールを飲みながら談笑する光景は不謹慎かもしれないが、いつも賑やかだった店内を思い出して、きっとけいちゃんも懐かしがってくれているだろう。


それに人が亡くなった時、ひとしきり哀しんで偲んだあとは、その人がいかに楽しく生きていたかを思い出して、語り合っていく方が良いとも思う。

「じゃ、飲みに行こうか」

河田さんの合図で、供え物を片付けお墓を後にした。

人は、楽しい時に酒を飲み、哀しい時に酒を飲む。
苦しい時、寂しい時、腹が立った時、めでたい時にも酒を飲む。

どんな時に飲む酒であれ、次へと歩を進める糧となるような酒を飲みたいものである。

その為には、イカした店主が旨いツマミを出してくれる煤けた店がそこにあって欲しい。

焼き鳥けいちゃんに通った十数年は、確かにそういう酒が飲めた筈である。

今でもたまに、けいちゃんに教えてもらったニンニクダレを作ってツマミにしては、一人晩酌をしながらそんなことが心に思い浮かぶのだった。


『やきとりけいちゃん』ー完ー

〜この文章をやきとりけいちゃんに捧げます〜


※この文章はフィクションです。本文中に出てくる店名及び個人名は架空のものであり、実在する名称とは一切関係ありません。

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