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やきとりけいちゃん⑧『閉店フォーエバー』

遂にこの日がやってきた。
やきとりけいちゃんの最終営業日だ。

勿論飲みに行くつもりではあったが、できれば営業終了のラスト0:00まで店にいてその閉幕を見届けたかった。

なので、他所で軽く一杯飲んでから22:00頃に顔を出そうと思っていたのだが、よくよく考えたら食べたい品が売り切れてしまう可能性が大である事に気がついた。

おそらく今日は、閉店を惜しんだ常連さんが沢山詰めかけるだろうし、今日で最後なのだから仕入れも材料が余らない程度に抑えてあるに違いない。

食べ納めをしておきたいメニューは山程ある。
串モノは勿論、目玉焼きやほうれん草炒め、牛ステーキにナンコツ塩炒め、カンパチカマ、ナス焼き、イカゴロ、エトセトラエトセトラ。
もし、今日食べられなかったら絶対に悔いが残る。

これは、いかん。

慌てて踵を返して、小走りで店に向かう。

「うわ、やっぱり満席だ」

いや、それどころか今日はカウンターの背中側に付いている幅15cm程の細長い物置き棚も開放しているようで、そこで立呑みをしているお客さんまでいる。

「こんちは、立呑みでいいから飲める?」

と暖簾をくぐると、けいちゃんがフル回転で調理をしながらチラッとこちらを見やる。

「おぅ、いいぞ」

「狭いとこすみません、通りますー」

人をかき分けながら、棚の一番奥の場所を確保。

店内を見渡すと、塩見の親分や豊島さん、三ちゃんに鷹山先生と、比較的早い時間に来るヘビィユーザーの皆さんから、たまに見かける常連さんまで見知った顔で埋め尽くされていた。

皆、眼の前に沢山のツマミを並べ、まるで忘年会のようにワイワイガヤガヤと飲んでいて、賑やかなことこの上ない。

「お!鳴海ちゃん、来たね!」

間近に座っていた塩見さんが、ひときわ大きな声で呼びかけてくる。

「いやぁ、やっぱり混んでますね」

「おお、みんなに愛されてるねぇ、この店は。ねぇ、会長!」

けいちゃんは、こちらを振り返り少し照れ臭そうに笑うと、トレードマークのオレンジ色のタオルで汗を拭いながら答える。

「俺みたいな素人がやってる店を贔屓にしてくれて、ありがたいことだよ」

「ほんとだねぇ、鳴海ちゃんなんか〆サバにあたっても通ってくれてるんだからなぁ」

「いや塩見さん、それは他のお客さんには内緒の話ですから」

と慌てて釘を刺す。

実際に数年前、ここの〆サバにあたって夜中に救急車で運ばれた事があるのだが、それも今となってはいい思い出である。

「わっはっは!ちげぇねえ」

と、〆サバを作った当の本人であるけいちゃんが大笑いする。

「いや、大将が笑っちゃイカンでしょ」

とツッコむ。

「わはははは。そりゃそうだな」

と、さらに笑うけいちゃん。

さて、やきとりけいちゃんでの最後の晩酌を始めるとしよう。


「とりあえず烏龍ハイと、お手すきで焼き物を適当に焼いてもらえる?あと、目玉焼きまだある?」

「おぅ、あるぞ。焼き鳥はタレ塩5本ずつくらいでいいか?あと、鳥味噌も食うだろ?」

「うん、よろしく!」

この混雑の中、細々と注文するのは悪いので大雑把にオーダーを済ませる。

ほぼ毎日通って来たので、けいちゃんもこちらの好みのネタを熟知してくれているから、お任せにしても安心である。

「そういえば、最近見かけてないけど、菅ちゃんはここが閉まること知ってるんですかね?塩見さんは最近会いました?」

「菅ちゃんはねぇ、この街にいる事が家族にバレて、実家に連れ戻されちゃったらしいよ」

そうか、遂に菅ちゃんも戦いを終えたのか。
長い間ご苦労さまでした。

「あれ?三ちゃん、今日は珍しくコップで亀焼酎飲んでるの?」

「おぉ、最後だからとうとう頼んじゃったよ。わははは」

とうとうって。
ほんとにいつも舐めてるだけだったのか。

マグロ刺しをつつきながら、静かに冷酒を飲んでいた鷹山先生が寂しそうに呟く。

「しかし、私達これからどこで晩酌すればいいんですかねぇ…」

「全くだよ、久ちゃんの寿司屋も河ちゃんのラーメン屋も、ここいら一帯の行きつけが全部無くなるんだもんなぁ」

「俺たち皆、晩酌難民になっちまうなぁ」

塩見さんや三ちゃんが口々に答えると、焼き場の方に向かって会話を繋ぐ鷹山先生。

「会長ぉ〜、やっぱり店舗探して続けてくださいよぉ」

「いやぁ、ちょっとあたってはみたんだけど全然物件が無かったんだよ。立ち退いたあと商売続けたい店も結構あって、皆がいっぺんに探してるみたいでなぁ」

「そうですかぁ…寂しいですねぇ…」

「豊島さん、資金出していい物件見つけてやれば?お金余ってるだろう?」

塩見さんの無茶振りに、飲んでいたヒレ酒を吹き出しそうになる豊島さん。

「いやぁ、無理だよ。この一等地でこれだけお客さんが入ってても赤字なんだからここは。なのに、値段設定変える気もないってんだから」

「そうだよなぁ。まあ、立ち退き料がドカンと貰えるから最終的には黒字で良かった。ねぇ会長!」

そう振られたけいちゃんが満面の笑みを浮かべながら、焼き上がった串を皿に乗せ俺に渡す。

来たこれ。

十年以上に渡って、ほぼ毎日食べ続けた焼き鳥である。

今日も串の手元は真っ黒に焦げている。
火傷しないように、おしぼりを使ってそこを摘み一気に頬張る。

旨い。
旨いわ、やっぱり。

明日からもう食えなくなるのか。
次々と串を、ムシャムシャと頬張り、ウンウンと唸る。

目玉焼きも来た。
先ず、2つのうちの1つの目玉を潰し、黄身をキャベツに絡めながら食す。

旨い。

何回試しても、家ではこの味出せないんだよなぁ。

その後も満腹になるまでツマミを注文し、次々と来るお客さんの為になるべく早く食べ、ひとしきり皆さんと会話を交わし店をあとにした。

「じゃあね、大将。ごちそう様。長い間、ありがとうね」

「おぅ、ありがとな」

と、いつも通りのけいちゃんの挨拶。
これを聞くのも最後である。

家に帰りしばらくしんみりとしているうちに、大切な場所を失くした喪失感と、もう二度とあの味を口にできないのかという無念さに襲われる。

そうこうするうちに
23:00頃になると少し腹が減ってきた。

「けいちゃん、まだやってるかな?」

と、ベランダから見てみると、まだ看板に明かりが点いている。

そうだ。まだ最後にもう一回食えるじゃないか。
そう気づくとなんだか嬉しくなって、すぐに着替えて家を出た。

店まで様子を見に行くと、店内は相変わらず混み合っていて、深夜の部の常連さんがカウンターを埋め尽くして飲んでいた。

「やあ、デカ村くん。今日でそれも食べ納めだね」

入口近くに座って目玉焼きを食べている、デカ村くんこと岡村くんに声をかける。

「あ、どうも。いやぁ、ホント寂しいですよ。ボクちょっと泣きそうです」

もう名前を訂正することすら忘れて、しみじみと語りかけてくる。

「夕方も来たんだけど、もう一杯飲んで行こうかな。大将、烏龍ハイね」

「おぅ、お帰り」

と、笑うけいちゃんからジョッキを受け取り、そのままドアの外で立ち呑みを始める。

カウンターの中程では、ラーメン屋の河田さんが飲んでいた。

「こんばんは河田さん、食べ納めに何頼んだの?」

「もうオシマイだからシウマイ」

「ここ、シウマイないから」

「え?そうなの?ラーメン屋じゃないのここ?」

「ラーメン屋はアナタでしょ」

相変わらずの平常運転で、なんだか安心する。

そこに、北野が急ぎ足でやってきた。
今日も遅くまで残業をしたのだろう。
間に合って良かった良かった。

「鳴海さん、満席ですか?」

「うん。でも、ここで立って一緒に飲もうよ」

「はい。マスター、お疲れさまです。冷や1合ください。あと、目玉焼きまだあります?」

「おぅ、1個取ってあるぞ」

どうやら、北野の分の目玉焼きの材料を取ってあげていたようで、冷蔵庫から皿に乗せたキャベツと玉子を取り出して焼き始める。

烏龍ハイを飲みながら、表からマジマジと店の外観を眺めてみた。

入り口にかかる暖簾は向こう側が透けて見えるほど擦り切れていて、提灯はススで黒く変色し中央付近が大きく裂けていてズタボロである。

あの暖簾を何回くぐった事だろうか。
あの提灯の灯りが見えたとき、何度ホッとした気持ちになっただろうか。

あれ?
いつも提灯の横にかかっていた、大きなひょうたんがないな。

「北野くん、いつもここにあったひょうたんが見当たらないよね」

「あれ、僕がもらうことになったんですよ」

「は?なんに使うの、あんなもの?」

「部屋に飾ります」

「もし、ひょうたんの中から名前呼ばれたら、必ず返事しないと駄目だよ」

「それ、吸い込まれちゃうやつですよね?」

「わはは」

この、北野との馬鹿なやり取りも今日でお終いだ。

午前0時。
閉店の時間が来た。

提灯を消し、暖簾を仕舞い、後片付けを始めるけいちゃんに声をかけて、最後の営業を見届けたお客さん達が帰っていく。

俺も本日2度目の挨拶。

「ごちそうさま。美味しかったよ」

「おぅ、ありがとな」

いつも通りの簡素なやり取りを済ませ、家路につく。

今日まで毎日、美味い酒が飲めた。
うん、それで充分だ。

やきとりけいちゃんの夜は今日も煤けていた。
明日からはどこで煤けようかな。


※この文章はフィクションです。本文中に出てくる店名及び個人名は架空のものであり、実在する名称とは一切関係ありません。


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