昭和少年らっぽやん 第七話 【七色とんぼ】
日本の一部地域では、子どもたちの間でトンボとりの名人のことを「らっぽやん」と呼ぶ。
* * *
「やっぱ裕次郎はかっこええなあ!」
石原裕次郎主演の二作目、昭和31年7月公開の映画「狂った果実」の看板を書き終えたタケシは、映画館のある今池から、ミノルのアルバイト先へスクーターを走らせていた。
ミノルは、将来の大規模宅地開発のための測量と地質調査を兼ねた名古屋市土木局のアルバイトとして、千種区の香流川あたりにいるはずだった。土曜日は半ドンだから、そろそろバイトも終わり、街道沿いの食堂にいるはずだ。
タケシが香流川の堤防に添ってスクーターを走らせていると、中島橋の辺りで、ランニングシャツ姿の若者が手を振っている。
「おーい、タケシ! こっちだー!」
「なんだー、ミノルかー?」
「ちょうどいい所に来てくれた。ちょっと手伝ってくれ。」
香流川の両側は昔からの水田が広がっていた。橋のたもとにスクーターを停めたタケシは、ミノルに連れられ、早苗田の緑が美しい田んぼの畔を進んでいくと、一人の老人が足を田んぼに入れたまま、上向きで畔に寝転がっている。
「ミノル、どうしたんじゃ?」
「この田んぼの持ち主の柴田さんなんだが、どうも近所の若い衆に嫌がらせの乱暴を受けたらしいんだ。」
「なにぃ!」
ミノルの話によると、柴田のじいさんが田んぼの草取りをしているところを、周りの田んぼの持ち主に雇われたチンピラたちに襲われて足にケガをしたらしい。
「じいちゃん、大丈夫か?」
「なあに、大丈夫だに。百姓は丈夫にできとるでな。」
柴田のじいさんは上半身を起こしながら笑った。
「それにしても、なんでこんな目に合うんじゃ?」
「ワシが24-dを使わんから嫌がらせに来たんじゃ。」
「24-d?そりゃ何じゃ?」
いぶかるタケシにミノルが答えた。
「ジクロロフェノキシ酢酸のことだな。新しく認可された除草剤の一種だ。」
「除草剤!?」
柴田のじいさんの話によると、夏の田んぼの草取りほど大変な農作業は無いという。24-dはイネ科以外の雑草を枯らすのに有効だということで、近隣の田んぼはみんなで共同購入し使い始めたが、柴田のじいさんだけは頑固に使わない。
そのため、そこに害虫が発生しやすく、他の田んぼに迷惑をかけるため、嫌がらせを受けているという。
「イネはなあ、そもそも自然が育ててくれるもんなんだわ。
雑草が生えたら抜いてやり、害虫が来んように虫送りして
大事に大事に手間暇かけて育てるのが百姓の本文だがや。
それを除草剤だの殺虫剤だの、危ない薬を使って楽をしよ
うとしたら、必ず天罰を喰らうでな。
わしらは人の食べるものを作っとるんじゃ。
草や虫が死ぬような薬を使ってええはずがない!」
そう言うと、柴田のじいさんは立ち上り草取りを続けようとした。が、足を痛めたため、よろけて倒れそうになった。
慌ててタケシとミノルが、倒れないよう、その腕を支えた。
「じいちゃん、今日は無理だに。ここは、オレら若いもんに任せて、畔で休んどりん!」
そういうと、タケシは爺さんを畔に座らせ、自分のズックを脱いで裸足になり、田んぼに入り込んだ。ミノルも一緒になって田んぼに入り込む。
「そうかえ?そいじゃ、若い衆の仕事ぶりでも見せてもらうかの。」
「うひゃあ、気持ちいいのう!設楽の田んぼでいっしょに遊んどった頃を思い出すのう!」
タケシとミノルは、まだ生えかけたばかりの田んぼの雑草を根こそぎ抜き始めた。中には地下茎のある草もあって、抜くのもなかなか大変だ。
ずっと腰を曲げての草取りは、確かに農家にとって、重労働に違いない。小学校のプール一面ほどの小さな田んぼなのに、腰を叩きながら、二人とも汗だくになった。
ようやくその一面の田んぼの草取りを終えたら、高い7月の陽が、すでに斜めに傾いていた。
「いててて、じいちゃん、本当にこりゃ大変だがや!」
「ハッハッハッ、さすがの若者も音を上げとる。
でも、助かったわ!ありがとうなあ。」
ミノルとタケシは、爺さんが座っている畔に並んで腰をかけた。爺さんがさっと足許の泥に手を入れると、一匹の大きな虫を捕まえて持ち上げた。
「お、これはタガメだがね!設楽ではよく見たけど、名古屋にもおるんだね!」
「ワシの田んぼには、タガメもゲンゴロウも、ドジョウもメダカも、みんなおるぞ。こいつらがおる田んぼの米は美味いんだ。」
「それでじいちゃんは、24-dを使いたくないんだね。」
ミノルが聞くと、じいさんは嬉しそうに笑った。そして足許にタガメを逃がした。
田んぼで泥に潜っていくタガメを三人で見ていたら、美しいイトトンボが、おじいさんの足許にフワフワと飛んで近づいてきた。
「おお、七色トンボの季節になったか。」
「七色トンボ? おお、きれいなイトトンボだぞミノル!」
「モートンイトトンボだがね!まだおったんだね。
でもじいちゃん、この辺じゃ七色トンボっていうの?」
「そうさなあ。理由はワシもよう知らんのだけどなあ、だいたい梅雨時の虹の出る頃に現れるからかなあ。このトンボが出てくると、他にも黄色いイトトンボや赤いイトトンボもでてきて、イネの害虫のウンカを捕まえて食べてくれるからかのう・・・」
「そうか、七色トンボは美味しいお米を守ってくれる、正義の味方のトンボなんだなあ。」
「らっぽやんタケシは、このトンボは捕まえんのか?」
「捕まえたら、バチが当たるがね!。
でも本当にきれいなトンボだなあ。」
三人は、ちょうど七色トンボの色のように暮れていく、
美しい西の空の夕焼けを、じっと眺めていた。
※この物語はフィクションです。
「七色とんぼ」という呼び名はあくまで作者の創作です。
作:birdfilm 増田達彦
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