脳の病気なのに精神科が対応する双極性障害その1 狂っていると自覚するのに手こずる病
実は私は双極性障害Ⅱ型の人間である。noteの作成者の方々の中でも、カミング・アウトし、その病とどう向き合えばよいのかどう生きていけばいいのかと、模索なさっている文筆を多く見かけた。
双極性障害とは気分の浮き沈みの激しい脳の病気である。そのⅡ型とは、軽い躁転とじれったい程のうつを繰り返す。厄介なのは躁転で、単なるはしゃぎなのか、それとも病的ハイテンション(=躁状態)なのかが専門家でも判りにくいとされている。本来ならば専ら脳関係の医師が対応すべきだろう。しかし精神病にカテゴライズされる摩訶不思議な病気なのである。
最初はうつ病と判断された。ところが通院していたら躁転している目だと指摘されて双極性障害のⅡ型とみなされた。落ち着く所におちついたと思うと同時に、病気は一生もので死ぬまで服用せねばならないことを知らされ、愕然とした。
診断をくだされてから自分は「そんな病気にかかってはいない!」と思った。だが最近ようやく「あのときの行動は病気のせいかもしれない。」と冷静に分析することができ、今、自分の行動や思考に病的様態があることを察知することができるようになった。つまり客観的に自己をみつめることができたということである。一つの成長というプラスの評価とともに自分の汚穢な部分もくっきりと見えたり感じたりしてしまうマイナス面もある。
例えばnoteを書いている時「みんなに読んでもらいたい」というよりも「完成させたい」という欲望が大きい。そこには「頭の中で爆発的に生産される言語を吐き出したい」という衝動みたいなものがある。
また五感から伝わることの思考を直観としてみなすプロセスにも気持ち悪さがある。伝達してきたものは常識という宇宙を包むガスのようなもので、掴み取ることができない。この状態で無理無理言語化しようとすると、通常でもヘンテコなのに益々意味不明なものとなる。それを理性というカプセルの中に入れて冷やして凝固して、初めて語られるに値するモチーフとなり、己に吸収できるエネルギーとなる。そして外部に発信するパワーになる。
だがこの脳の病気は、感覚を常にリフレッシュしないとどんどん悪化していく。つい最近痛切に感じたことを以降に認めたい。
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