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サステナブルって意識高い系なの?

皆さん、こんにちは。BiotopiaのAyaです。
今日はとっても良い投稿をインスタグラムで見かけたので、その投稿のお話を交えながらお話ししたいと思います。
私が見かけたのは、@chikuma_saraさんの投稿。
この投稿は「生活水準を一度上げてしまうと、下げるのが大変」というお話。
ここでは、昨今の生活に関わる様々な製品・サービスの値上がりを受け節約をしようと考えられたChikumaさんが食費を削ることで生活費を抑えようとした時の話がされています。


Chikumaさんはキャプションの中で、

子どもが生まれてから手前のとお金を引き換えにして、知らないうちに上がっていた「生活水準」。
これを下げるのは確かにキツいわ。
というか、私が料理担当だから、私の増えたことが普通にキツい。これが1番大きいからもしれない….。
節約は哲学であり心理学であり宗教でもあることがわかりました。
まずは自分の心と向き合わないと行けないから。

@Chikuma_sara インスタグラム

と語られていました。
これをみて私は誰にでも共感できる内容でありながら核心をついたお話だな。と思いました。

この投稿とサステナブル〇〇との共通点。

Chikumaさんのお話は生活費の高騰による節約のお話でしたが、この話サステナビリティにも関係するお話なんですよね。
お金の面だけではなくても、とてつも無いスピードでいろんなことが便利になった世の中で普段当たり前のように使っているものへ意識を向けるということは、すごく負担をかけることだと思います。
特に環境問題や人権問題に配慮したサステナブル〇〇な製品は、往々にして人の手間・未来への投資や開発費用のために、これまでの製品の平均価格と言われる値段よりも高いです。
これまでの支出のバランスを飛び越えて何か変化を生み出すことはChikumaさんの言う通り「普通にキツい」ことなんですよね。

私自身も環境にやさしい製品を選ぶ時には、いろんな方にアドバイスやおすすめを聞きながら常に新製品の情報を収集し、今の段階でお財布にも自分にも1番いい選択はどれだろう?と考えながら決めていますが、毎回かなりの時間を要します。
何も調べずに今までのものの見方(値段、見た目の良さ、機能面だけ)で物を買うだけで良ければ、どんなに楽だろうとは思いますが、そうしないのにはやっぱり「哲学」があるからなんだと思います。

サステナブルも哲学であり心理学であり宗教でもある。

私が立ち上げを考えているサステナビリティに関する団体でも、表面的なアクションの仕方などを押し付けるではなく自分自身のライフスタイルに合わせて学びを応用できるような学びの場にしたいと思っています。
サステナビリティは難しい、自分にできることがないと考える方もいらっしゃるかもしれないのですが、「もったいないの精神」や「生き物以外の自然や物に敬意を払う」といった日本が古来から持つ考え方や生き方にすごく近いです。
そういった意味では、宗教というか先人の教えのようなものでもあると言えますよね。
無限にあると思っていた自然や永遠に続くと思っていた環境が、私たちの使い捨てや大量消費の需要のために脅かされながら生産されています。
そう考えると、「一つのものを大事に使う」「食べ物を粗末にしない」などの当たり前のような生活の一部を見直すこともサステナビリティにつながるんです!

どうでしょうか?何かアクションしてみたいと思われた方がいたら嬉しいですし、ぜひ一緒に行動していきましょう。
団体が立ち上げられたら、またこちらでもお知らせするので見守っていただけると嬉しいです。
ではまた!

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