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会津を歩く'21秋

通りまで漂ってくる香ばしい匂いに抗うことは難しかった。創業180年になるという味噌と漬物の老舗では、味噌蔵だった奥の部屋でみそ田楽を炭火で焼いて食べさせる。昼時を過ぎてもお客が絶えない。

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久しぶりの旅で、いきなり食レポとはなんだかなあ、という気もするが、始発の高速バスで、空きっ腹で会津若松に着いたのだから仕方ない。

炭火の色にほっこりするのは初冬ならでは。焦げたお味噌のそそる匂い。素材ごとに違う味噌はいいお味。女性スタッフ達の息の合った掛け合い。年季の入った太い竹串まで美味しそう。中でも毎朝つきたてというお餅が絶品だった。

七日町通りの「満田屋」さんに、お土産を買いに翌日も寄ったが、豊富な品揃えで選ぶのに迷って、随分長居になった。

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戊辰戦争で、武家屋敷の並ぶ中心部は壊滅。周辺の商家も3分の1は焼失したという。焼失を免れた建物の中で、今でも商いを続けている店がある。

こちらは竹問屋だった「竹藤」さん。時代の流れで、竹の需要が減った近年は竹製品を扱ってこられた。客を見下ろすことのないようにという昔からの習いで、傘寿の近い女将さんは土間奥の小間で正座の応対を続けておられる。

表にある白抜きの藍染模様は「荷印」。文字の読めない人も多かった時代、どこの荷かが誰でも分かるように、商家には家紋とは別に荷印があったという。

嫁がれた娘さんが、ご実家の土間の一部を改装してお菓子教室を続けてこられたが、ご高齢のご両親を気遣い、また、あちこち修理の必要な建物を何とか残すことは出来ないかと思案され、様々なアドバイスや支援を受けて、昨年「たけ藤茶屋」の開店にこぎつけた。

街歩きで小腹を満たすならこのネギ味噌ピザ。ビールが飲みたくなる、癖になる味。スイーツもとても美味しくいただいた。

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大町通りのところどころの店に掲げてある布は、韓国の民画のよう。店先の看板も渋い。

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銃砲、火薬とは…会津ならではの商い。

布絵は、春の彼岸の入りの伝統行事、豊作と家内安全を祈って市内を踊り歩く三体の獅子がモチーフ、と後で聞いた。

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もう一度見たくて2日続けて行ったのは、横田新墨絵ギャラリー。無料でしかも無人なのにはびっくり。こじんまりした蔵作りの建物で、心地良い絵と文字だった。

お隣の老舗お菓子屋さんが管理しておられるようで、「盗難の心配はないんですか」と聞いたら、「ケースに鍵がかかっているので」と、おおらか。二階には大河ドラマでも使われた大凧がはらりと掛かっていたけれど。

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さて、今回の旅のきっかけ、というか、目的であった瞽女唄の演奏会。素晴らしい!のひとこと。

演者の 萱森直子さんは、平成17年に105歳の天寿を全うされた国重要無形文化財の瞽女、小林ハルさんの最後の愛弟子だった方。

艶のある声と、軽妙なトーク。子別れの哀しい話、小噺のようなユーモラスな話、師匠のハルさんが好きだったというアカペラの唄の合間を、瞽女唄の種類や成り立ち、瞽女の旅、師匠ハルさんの魅力等の語りがつなぐ。初めて聞く者を飽きさせない、素晴らしいエンターテイナーだった。

つまり瞽女とはそういう職業人だった。もっと聴いていたかった。

ハルさんの苦難の生涯を描いた映画の上映が続いたが、萱森さんが愛して止まなかったハルさんの豊かな人間性を表現しきれているとは思えない脚本と演出を、萱森さんがどう感じられたか気になる。彼女の指導を受けた瞽女役の俳優たち、特に小林綾子の瞽女唄は素晴らしかった。

終演後、今月出版されたばかりの自伝を購入。目の見える萱森さんが、瞽女唄の継承を志した経緯と、師匠のことを語り出したら、3日でもしゃべり続ける、と言うくらい敬愛を寄せるハルさんをもっと知りたいと思う。

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いい旅だった。いつも通り過ぎるばかりだった会津若松の街を初めて歩いた。

200年近く経つ古い商家の建物と蔵、これまた年月を経た洋館が、違和感なく並ぶ街。何人かの地元の方と、うち解けて話をする機会があったのも楽しかった。

気さくに話を聞かせてもらう内にも、会津人のプライドが伝わってくる。

戦火を逃れた「福西本店」(上の写真は黒漆喰の店蔵)は、今も残る広大な敷地と屋敷を新政府軍に没収された後、戻ってみると、家具調度品がすべて持ち去られていたと、苦笑しておられた。

京都人にとって"先の戦争"が応仁の乱なら、会津人にとっては戊辰戦争なのだ。壊滅的な焼け跡から立ち上がってきた矜持が底にある。

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旅の最後に幸せな出会い。

迷いに迷ってやっとたどり着いた演奏会の会場だった。終演後、また迷わないように道を確認しようと「地元の方ですか?」とロビーで話しかけた多分同世代の女性。

持っていた観光用の地図を見せると、「これでは迷うのは当然。地図がまずい。この地図で教えるのは難しい。」

私が最終の高速バスに予約していると言うと、「駅でいいのね。私の家、そっちだから車で送ってあげる。」えーっ🤭❣️

行きには迷ってぐるぐる50分歩いた道を、車は10分足らずでバスターミナルに着いた。

車中のお話。柔らかい語尾の会津言葉が大好きだけど、嫁いだ当初はお舅さんの言ってることがわからなかった。会津の人たちは歴史に特別な思いがある…ここでもまた戊辰戦争が出てきた。賊軍扱いの恨みは尾を引く。足を踏んづけられた側は150年経っても痛みを忘れることはない。

小野岳を皮切りに会津の山はかなり登りましたと話せば、磐梯山100回登頂を目指したけれど、50回を過ぎるころには体力気力が尽きた、と返ってくる。話題が尽きない、楽しいお喋りだった。

素性も知らぬ女を、道を教えるより早いからと、ソーシャルディスタンスが当たり前の今、車に乗せてしまう潔さ。決断の早さ。大河ドラマの八重さんを思い浮かべた。

重ねて礼を言うと、「会津の楽しい旅の記憶が残るなら良かった。」と仰ったYさん。本当にありがとうございました!

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次回は来年、ヒメサユリが咲く頃。在来線とバスも使って湯野上温泉〜会津田島〜昭和村〜金山町を歩くと決めている。

起点はやはり会津若松である。



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