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2013年、まちがいさがしの失踪

先週末に東京にいく用事があり、カツセマサヒコさんとお昼を食べた。「水道橋ってあんまり来なくてわからないんですよね」とカツセさんとふたりでファミレスやフードコートをのぞいてみたけれど、どこも家族連れでいっぱいだった。
水道橋は東京ドームが近くて、その横を通るときに以前ここのあたりに友だちが住んでいたのを思い出した。10年くらいまえだったとおもう。友だちというよりは先輩なのだけれど4つくらい歳の離れていて、司法修習生かなにかをしていた。本名は知らなかった。みんなが「ハンさん」と読んでいたのでぼくも「ハンさん」と呼んでいた。
「国籍は韓国なんよ」とかれはいった。
「育ちが日本ですか」とぼくはいい、
「親が転勤族でね、」とハンさんはつづけ、「けっきょく大学から住んでる東京がいちばん長いんだけど、出身とかそういうのはじぶんでもよくわからん」そのときぼくはスーファミのストⅡでかれが巧みにあやつるダルシムにハメ技を食らわされていた。「甲子園は宮城県代表を応援することにしている」
そのハンさんと会うのは3年ぶりで、最寄駅は水道橋か後楽園かで、「東京ドームを背にして東横インのほうへまっすぐ歩けば迎えにいく」というような待ち合わせをした気がする。まもなくスウェット姿のハンさんと落ち合って、かれのマンションに向かった。表札には「林」と書いていた。
「『林さん』だったんですか?」
ポケットの鍵をまさぐっているハンさんにきいたら、
「『林』にしたんだよ」と鍵をガチャリとまわしながらいった。ぼくはかれの苗字が「朴」で、それに2本線を足して「林」にしたのかなとおもったが聞かなかった。「朴→林」がいちばんハンさんらしかった。「仕事の関係で日本国籍が必要になったから」

部屋のなかに入って、かれが既婚者になっていたことをしった。
その日、奥さんは外泊していて、ぼくらはスーファミの桃電をしながら好きなギタリスト(ロマン・ヴィアゾフスキー)の話をした。
最初の20年間、ハンさんは黄色マスとカードショップに優先的に停車していた。

カツセマサヒコさんと会うのははじめてだった。
WEBメディアで仕事をしている人間のはしくれとしてカツセさんの名前はまえからしっていた。カツセさんの文章を読んだ当初、このひとはよくわからないな、というモヤモヤを抱いていた。かれの文章にはなんらかの「たやすく共感できるポイント」ともいうべきものが配置されているとおもっていた。それはネットを中心によく言及される「エモい」とでもいうような感覚(ことば)を用いて効率よく回収できるものであり、端的にぼくはそうしたスタンスの書き物には信頼ならないところがあった。

カツセマサヒコはその技術に長けた書き手と認識していて、だからこそ最初は信頼ならないような、そんなきもちを持っていた。だけど同時に、かれはいつもシチュエーションの具体性についてはだけは徹底している。「エモい」という記号を使えば具体的な描写を省略することはいくらでもできそうだし、むしろ具体性を高めるほどネットテクストとしての軽さが損なわれている。カツセマサヒコの文章に対する「よくわからなさ」というのは、もしかしたら「WEBテクスト的なもの」と「文芸テクスト的なもの」の中間で揺れる悩みのようなものがあるかもしれない、とおもうようになった。そんななか、カツセマサヒコさんからTwitterでDMをもらった。まさに「WEBテクスト的なもの」と「文芸テクスト的なもの」についての問題意識を孕んだ内容だった。
「今度、東京へ行くので食事でもどうですか?」
ときいたら、
「すいませんがその日は大滝さんのために時間を空けています」
とお返事をいただいた。
そうしてぼくらは水道橋駅で落ち合った。

ハンさんが好きだった漫画は刃森尊の「霊長類最強伝説 ゴリ夫」だ。
「刃森作品の様式美には詩情すらある」
と白山ラーメンを夜中の路上で啜りながらいっていた。

入るお店を見つけられないままカツセさんとふらふら歩いていた。
信号を待ちながら、
「サイゼリヤとかあればいいんだけど」
とぼくがいうと、カツセさんはサイゼリヤのまちがいさがしが2013年の1年間、店内から消えたんだと教えてくれた。サイゼリヤのまちがいさがしは難しいことで有名で、でも出た当初はその難易度からクレームが続出し、廃止に追い込まれたという。しかしその翌年、「サイゼリヤのまちがいさがし」を猛プッシュしていたひとが社長かなにかになって復活!という経緯で現在に至る。
ぼくらは2013年、それでもまちがいさがしがあったサイゼリヤのことを考えた。そうしたらサイゼリヤがあった。ドンキホーテの上にあって、高級ホテルのとなりの建物だった。だけどそこも家族づれでいっぱいで、家族じゃないひともたくさん並んでいた。
お酒が飲めるお店が空いていた。お酒を飲まずにふたりでピザを食べた。

ハンさんは裁判官をしている。
東京で司法修習生をやって、福岡へいって、アメリカかどこかに留学したあとにまた日本に戻ってきた。すべてフェイスブックで知った情報だ。

いまはどこにいるかわからない。

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