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2020年4月中旬/表現に「わたし」が宿る場所

 友だち3人(磯上さん、町屋さん、大前くん)といっしょにユーチューバーになった。たのしかった。

https://youtu.be/HBt6ATeh_Wg

 長編を書き進めた。
 三部構成の第一部が終わった。ここ数年で考え続けてきたことをよりよく考えるための場所やことばをつくるための第一部で、これから書くのはぼくが考え続けてきたことをあたらしく考え直すものになる。そのためにこれまでに書いてきたすべての文章を集めている。むかしのメールも見る。いまとはまったく違うことを考えているかれのことばが、ぼくはとても恥ずかしい。数ヶ月、数年の感覚で交換されるメールをとてもなつかしくおもうけれど、それはいまぼくがあらたに「元気ですか?」と送ったなら、なつかしさは現在に重なる。忘れていたことをあたらしく思い出せる。そうやってはじめてぼくは忘れたくないんだと自覚する。

 手元に公開予定のない短編の原稿があった。去年の夏、表現を続けることの不安について考えて書いたものだった。ぜんぜんしらないひとの名前を使って10年前に入り浸っていた小説投稿サイトに投稿した。そうしたらサイトの自治と制圧をがんばっている極端に強い愛国心とレイシズムを撒き散らすひとに、
「冒頭だけ読んだが魂が入ってないよね」
 と高圧的な口調で難癖をつけられた。うざかったのでうざいといったら、ひどい差別的なことばを吹っかけられ、愚かにもぼくは本気で怒ってしまった。するとかれはとても暴れ出し、また別のひとがやってきた。そのひとはたぶんやさしい、しかし、じぶんの正義感を信じすぎているようで、ぼくはやめてほしいといった。ぼくはここでぼくの小説の話をしたいといった。するとかれは、
「差別とは言論封鎖で解決できる問題ではないのです。かれも、私も、あなた自身も、その他全ての人が、真摯に真正面から対峙しなくてはならない。言論封鎖では問題をより深化させてしまうのです」
 といった。ぼくは同意できなかった。すくなくともぼくは反射的に声をあげることだけが真摯であるしるしとはおもわない。むしろ声をあげるというポーズが真摯に真正面から対峙するというゆいいつしるしであるならば、傷つかなくてかまわないひとがどんどん傷ついていくような気がした。いま沈黙すること、声にすべきことばを見つけられないでいるひと、考え続けるために断定を回避すること。そうしたものもひとつの戦いかただとぼくはおもう。以前、おとなたちの大きな争いがあり、名前のあるひとたちが一斉に「悪」を叩き出した。その「悪」はたしかに言い逃れのできない悪さがあったけれど、しかしその周辺の、真偽不明の事柄のまで「悪」として叩かれ出した。そのことをぼくはおもいだす。真偽不明の事柄に対する断罪の結果、それとは無関係な、これから文学をやっていこうとする複数の若いひとたちが深く傷ついているのをみた。断定とはなにかを定めると同時になにかを切り捨てることだった。ここでは断定をふりかざす名前のあるひとびとの視界に入らない若いひとたちが、ことばを振るうひとたちに自覚されないまま切り捨てられていった。いろんな記憶と重なってつらくなり、サイト運営者にページの削除を申請した。サイトでぼくに投げかけられた質問、そして断罪や正義のありようについての議論は、すべて投稿した小説のなかに書いていた。かなしかった。

 そのことをそのサイトで10年前に仲良くしていたまおまおさんに話した。10年前、このサイトで経験したことは「たつひこさんのこと。」という文章のなかに書かれている。そして「続・たつひこさんのこと。」という文章では、そのサイトを離れ、友人と疎遠になり、ひとりになってから現在も続くまた新しい友だちらとの話を書いた。
 まおまおさんとのやりとりのなかで、ぼくはこの2つの文章のあいだについてをぜんぜん憶えていないことに気がついた。

 ぼくがとてもたいせつにおもう集まり、ぼくが小説を続けられているたいせつ繋がり、たいせつなことを考え続けるためのつながりは、いろんなところでたくさん生じているんだっていうすごく当たり前なことを去年知った。樋口さん、笠井さん、稲松さんから、かれらが学生だったころの話を断片的にきく。そのつながりのひとたちが、いま文学の現場にそれぞれの立場で参画していること。かれらから聴く話を勝手に自然に繋げてじぶんのことのようにおもえてしまうのは、わたしたちのたいせつな場所が、さまざまな場所で「もうひとつ」存在しているからなんだとおもう。

 書肆侃侃房から「ことばと」が届いた。うれしかった。じつはこの公募に応募していて、それというのは上述の投稿サイトに掲載した小説だった。それが一次選考を通過していたことを佐川恭一(敬称なし)からのLINEでしった。「あたらしいマウントやで…!」とおもってめっちゃ笑い、スクショしてアマサワさんとか久永さんに見せてめっちゃ笑った。新人賞には送らない宣言をしたあとにこうした結果が出てしまって恥ずかしかった。公募だからセーフ!とおもっていたけれど、次回から新人賞になるから信条として送るわけにはいかなくなった。この話はまた別のところでするかもしれない。

「ことばと」には山本浩貴の小説が載っている。ぼくはかれが高校生のときからやりとりをしていて、これまでずっとかれの小説を好きでい続けたし、あたらしい小説を待ち続けていた。長い時間だったかもしれなかった。そのあいだにぼくは結婚したり研究者になることを諦めたり子どもが生まれたり作家になったりした。かれは大学生なり、大きな(宿命的な、とさえいえるかもしれないのだけれど、ぼくが他人である限りそうした形容はきっと許されない)経験をし、いぬのせなか座を立ち上げた。かれ(ら)の核となる経験はいぬのせなか座や山本個人の創作活動において何度も言及されている。何度も対峙しようとするかれを見て、死産を経験した友だちのことを思い出してしまう。それがなければすべてが成り立たないといったものの象徴的なできごと。どれだけ知ろうと、どれだけ共感しようと、どれだけ接近しようとしても、そうする行為そのものがエゴでしかなく、この「他人事の切実」というべき不確かな強迫観念がぼくにはある。それゆえにかれが経験したことを安易に「宿命的な」といういいかたを拒んでしまう。それについて、かつてぼくはこんなことを書いた。

「他人事の切実」をさらに現実的な問題としてぼくに突きつけたのが「いぬのせなか座」の立ち上げという事件だった。かねてから親交があった山本浩貴が中心となって誕生したこの創作・批評グループは、集団だからこそ不可避的に帯びる「複数性」を軸として言語表現の制作についてさまざまな角度から取り組んでいる。こうした説明だけをすると実作・批評的な試みとして真っ当「すぎる」ようにおもわれるのだが、事態はそれほど単純ではない。
 いぬのせなか座は山本らが所属していた早稲田大学の文芸サークルのメンバーで構成されているのだが、かれらがひとつの「星座」として活動をはじめたきっかけは「ひとつの死」だった。いぬのせなか座の創刊号ではその経緯についてまず述べられている。
 かれらの先輩にあたる「Mさん」というひとがある日とつぜんみずから命を絶ってしまった。いぬのせなか座のメンバーはMさんの荷物がかれの部屋から運び出されるのを最も近くに住んでいた詩人・鈴木一平の部屋で待ちながら、山本はひとがいなくなってしまうという現実を思い知る。どれほど大きな問題を、どれほどたくさん考えたところで、ひとはいつ死にたくなったり死んだりしてしまうかわからないし、仮に健康で元気に生きられたとしてもたかだか80年程度でしかない。延長したり繰り返したりできない人生のなかで、ひとりの人間ができることなんてほんとうに限られていて、だからこそ自身の存在を軽々と超えたところで思考・実作・批評を継続しなければならない。
 以上はかれの文章や実際にかれとの会話のなかでぼくが解釈したことに過ぎない。そして「Mさん」を知らないぼくがこうした勝手な解釈を行なってよいものかもわからない。というか、ずっとその言及をためらっていた。
 しかしほんとうに重要なのは、かれらのこの文脈がかれらの方法論として結実しているという事実をどう受け入れるかにある。ぼくは制作にあたって、制作者の人格と制作物は「究極的には」切り離されるべきだと考えているけれど、同時にかれらの文脈を置き去りにした場所でその方法論が無機質に語られることにも居心地の悪さをかんじる。この矛盾について、克服するほぼ唯一の方法はけっきょくのところ「技術的な圧倒」を実現するほかなくて、いぬのせなか座はそれをまさに体現するかのように高度で濃厚な制作を続けて、すぐさま現代詩や美術といった分野で頭角をあらわすまでになった。

 山本浩貴「pot hole(楽器のような音)」は、言語表現とそれに相対する「私」の所在をめぐる小説で、それがもっとも顕在化する場としてぼくが「もうひとつの場所」と呼ぶことにしているものの存在が、他ならぬことばによって建築されている。物語に先立ち、それが演劇として上演される舞台がまず与えられ、それから登場人物、シノプシス(筋書き)が列挙される。それらを要素とし、6つの断章が「上演」されるのだけれど、このように表現をなすガジェットが徹底的に部品として扱われている。演劇もまた、登場人物の発話と字下げで区別されたト書きで記されている。
 このように、本作では徹底して作品が「モノ」として分解され、無機質な感触とともにごろりと置かれている。これを読むとは、それらを部品として、ぼくら読者はこれから上演される物語を立ち上げなければならい状況に立つということになるのだろうとおもった。舞台はワークスペースで、シノプシスはコード。実行された物語を人1、人2、人3、人4、人5、人6、人7、コロスが人生のように模倣する。
 戯曲の体裁をとった記されかたにより、要素間の文章的なつなぎ目は粗く、むしろ強調されているがゆえに、とてもいびつなかたちにみえる。そこには「小説らしい美文」は存在していないし、その美文によってかんじられるような感動もないだろう。ことばがことばでしかなく、そこにわたしたちが「魂」と呼びたがるものを、この小説からはみつけることはできない。しかしそれらはすべて意図されている。そういう書き方を徹底することによって、ぼくらが小説のなかに幻視しうる「魂」は、ほんとうはことばになんか宿っていないのだと示している。じゃあどこに? それを探すためにこそ、この小説は書かれているんだとぼくはおもった。
 たしかに作品全体を俯瞰すると、この小説は「演劇を構成する要素の機械的な列挙」でしかない。しかし、それら構成要素のすべては他ならぬ言語表現としてかたちづくられていて、要素ひとつひとつが「小説」の性質──文脈を持ち、そのなかに意味なるものを幻視できうる情景が認められる散文──が与えられる。そのため、この散文群の全体である「演劇」は、「多数の小説の重なり」としての性質を有することとなり、鑑賞者は視座の加減次第で演劇と小説は交換される。要素に目を向ければ演劇に擬態しようとする小説が観測され、逆に文章全体に焦点を当てれば演劇が小説に擬態しようとする様子が観測される。「わたし=感慨を持つ主体」はおそらく、この演劇⇆小説の相互に擬態しあう運動のなかにいる。舞台の上でシノプシスによってコード化された物語を、「わたし」が能動的に上演させてはじめて感慨がうまれる。
 わたしたちがいろんな小説を読んでいるとき、不意に現れる「一文一文が巧みでおもしろい筋書きのお話を読んだとしても、上手に感動できないような乖離感」は、きっとそのテクストに「わたし」がいないからだ。ことばには魂が勝手に宿ってくれなんかしないから。それはテクストとそれを読む身体の中間に現れるもので、ぼくらがあたかもことばに魂が宿っているように感じてしまうのは単純な見間違いに過ぎない。山本はこの小説でその構造を明らかにしたのだとおもう。そしてこの小説は、ことばに魂が宿るなんてことはないんだ、という安心によって支えられている。ぼくらがことばに幻視してしまうものをみつけだすための方法を訓練している小説だとおもった。その点において、ぼくはとても新しい小説だとおもった。

人1 (…)私たちはたくさん遊んだ、今も遊んでいる、一日が終わっても、死が終わっても 生き続けなければならない、そして救いようのないものを抱えながらそれを放り出し、またその距離から私たちのいる場所を編まなければならない。アウグスティヌスは日の出から日の入、日の入から日の出を十二等分した時間に生きてきたということは私たちの時間に余りなく重ねられるのは春分の日と秋分の日のたった二日しか一年にはなかったということだ。次のように書く準備をしながら、冬に降り立つ星座の細やかさに照らされつつ、私は無数の夜を歩いていた。「もし時間が魂そのものの延長でないなら、それはおどろくべきことであろう。私の神よ、私はあなたに嘆願する。私はなにを測って、あるばあいには不明確に、「この時間はあの時間よりも長い」といい、あるいはまた、あるばあいには明確に「この時間はあの時間の二倍である」というのであるか。私は時間を測るということを知っている。しかし私は未来を測るのではない。未来はまだ存在しないからである。また現在を測るのでもない。過去はもはや存在しないからである。それでは私は何を測るのであるか。現に過ぎ去っている時間を測るのであって、すでに過ぎ去った時間を測るのではないからである。たしかに、私はさきにそのようにいったからである。」

 ここで小説は終わるが、シノプシスの最後のひとつが残されたままだ。筋書きとしては用意されているけれど、その演じ方が指示されていないほんとうの最後。

 泣いちゃだめ。

 ぼくにはそれが、舞台、劇場の外を浮遊する魂の声に聞こえる。世界を機械仕掛けに、無機質に組み上げる無機質な部品からは、ぜったいに聞こえないはずの声。

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