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世界を知りたがる心

どうしても出典が思い出せないのだけど
(思い出したら追記します)
本でこんな話を読みました。

第二次世界大戦中のユダヤ人強制収容所にて
ある男が数学の証明問題を出す。
それを聞いたもう一人の男が答えをせがむ。
明日のパンをくれたら教えてやる、と言われ
答えを知りたい男はパンを差し出す。
男の体重は30kg台で、
食料は命に直結しているにも関わらず。

この話を読んだとき圧倒されました。

そんな極限の状況でも
知りたい欲求が優先することがあるのかと。

しかもそれが
生き残るために必要なノウハウ的なことではなく
純粋な好奇心にのっとっている。
純粋な好奇心が満たされることによる感動は
人生を輝かせる。
――こんな極限の状況でも?

『Quartered safe out here : a recollection of the war in Burma (ここに安全な宿舎を与えられて:ビルマの戦争の回想)』(未邦訳)のなかで、イギリスの小説家ジョージ・マクドナルド・フレイザーは、第二次世界大戦中、ラングーンへ続く道沿いに連隊で塹壕を掘った日の晩、戦友のデュークにピタゴラスの定理を説明したときのことを書いている。(中略)
"わたしは銃剣を手に、自分がいる穴のすぐ脇の地面に図を書いて証明した—(中略)彼がものすごく集中して聞いていたので、わたしは少し妙な気がした。なにしろ、夜の闇に紛れて日本兵が大勢潜んで、われわれを取り囲んでいるかもしれないときに、三角やら丸やらに完全に没頭してしまうなんて、とてもまともとはいえなかったのだから。

『世界でもっとも美しい10の物理方程式』(日経BP社,2010)

このエピソードも凄いなと思います。

幾何学の証明は
人間の心を満たすものすごい力があるのだと。

タレスの定理(直径に対する円周角は直角)


ほんの小さなことでも
何かを理解したくて考えている時間は
すごく楽しい

難しすぎると嫌になってしまうけど
あともうちょっとで掴めそう
そんなとき一番楽しい

自分の頭で考えて、世界の片鱗をつかむ
「こうなっているのか」
「こうゆうことか」
驚嘆とでもいうか、世界に対する驚き
その小さな感動が積み重なっていく
それはもう
人生を謳歌しているということなのでは!

人間は考える葦だから?

大きくて複雑な脳
その機能を使える喜び

世界を知りたがる心を満たしていく

一瞬で自由。
どんどん焦がれていく。

世界を味うことができてよかった
小さな充足感が積みあがっていく。

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