世界を知りたがる心
どうしても出典が思い出せないのだけど
(思い出したら追記します)
本でこんな話を読みました。
第二次世界大戦中のユダヤ人強制収容所にて
ある男が数学の証明問題を出す。
それを聞いたもう一人の男が答えをせがむ。
明日のパンをくれたら教えてやる、と言われ
答えを知りたい男はパンを差し出す。
男の体重は30kg台で、
食料は命に直結しているにも関わらず。
この話を読んだとき圧倒されました。
そんな極限の状況でも
知りたい欲求が優先することがあるのかと。
しかもそれが
生き残るために必要なノウハウ的なことではなく
純粋な好奇心にのっとっている。
純粋な好奇心が満たされることによる感動は
人生を輝かせる。
――こんな極限の状況でも?
このエピソードも凄いなと思います。
幾何学の証明は
人間の心を満たすものすごい力があるのだと。
ほんの小さなことでも
何かを理解したくて考えている時間は
すごく楽しい
難しすぎると嫌になってしまうけど
あともうちょっとで掴めそう
そんなとき一番楽しい
自分の頭で考えて、世界の片鱗をつかむ
「こうなっているのか」
「こうゆうことか」
驚嘆とでもいうか、世界に対する驚き
その小さな感動が積み重なっていく
それはもう
人生を謳歌しているということなのでは!
人間は考える葦だから?
大きくて複雑な脳
その機能を使える喜び
世界を知りたがる心を満たしていく
一瞬で自由。
どんどん焦がれていく。
世界を味うことができてよかった
小さな充足感が積みあがっていく。
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