「読書する人だけがたどり着ける場所」についての個人の見解が覗ける一文章。
私は、齋藤孝さんの「読書をする人だけがたどり着ける場所」を読んだ。
ここでは、私の感想、思索を整理していく。
「このような見方があったんだ」
「こういう整理の仕方は面白いな」
といったように、貴方の、読後の解釈、整理の一助となれば幸いだ。
私がこの本を読んだ感想は大きく3つある。
①漫画も造詣の一部になるうるのだという驚き。
②点と点を繋ぐ思索の大切さ。
③教養は深められる。
以下、①から解説していく。
① 漫画も造詣の一部になるうるのだという驚き。
私は、当書を読むまでは、漫画は教養を深めるのに役には立たないと考えていた。
しかし、著者は、漫画も含め、さまざまな文化に触れること、そして、それを愉しむことで、造詣を深められるのだと言っている。
事実、著者は様々な本や文化を知っており、その文体からも頭の良さ、教養の深さが伺える人物だと思う。
そんな著者が、漫画すら文化であり、教養だと言っているので、その信憑性は高いと思われる。
皆さんも人生の中で、この人は「教養が高いな」と感じた人がいるのでは無いだろうか。
私はいる。
大学のゼミの先生であったその人は、様々な知識を持っており、話に深みがあった。
きっと、沢山の書籍や資料を読んできた人なのだろうなと、どこか高尚なイメージを持っていたが、そう言った人物になるには、周り道を愉しむ余裕も必要なのかも知れない。
②点と点を繋ぐ思索の大切さ。
新しい物事を覚えたとき、それは、その時点では"点"として記憶に刻み込まれるのだと思う。
しかし、色々な本や知識に触れていくたび、過去に培った"点"が、1つの共通認識、共通項を通して、線になることがあるような気がする。
著者もそのことについて触れており、様々な本に触れることで、知識が点となり、線となる。そして、線同士が繋ぎ合わさって、1つの面となる(イメージは、3点の点を繋いだ三角形のようなもの)と。
面となれば、汎用性は高い。
色々な物事の見方に対応できるようになるのだ。
この、点と点を繋ぐ作業というのは、価値が高い。なぜなら、他の人にはできないことかも知れないからだ。
世の中の人間は、すべての本を読んでいるわけでは無い。
そのことは自分自身も例外では無いのだが、他の人が読んで無い本を自分は読んでいる、と言うことはあるだろう。
つまり、「Aという本とMという本を読もう」と思い立つのは、自分の勝手であり、他の人もそうしている可能性は低い。
そうなれば、他の人が知らない情報を、自分の中だけで捻り出すことは可能なのではないだろうか。
この、本と本を繋ぐ作業は、その本の数が多くなればなるほど、希少性が高くなるだろう。
それを発信することで、価値のある情報をシェアできる可能性は上がると思う。
私も、そのようにして思索を深めていきたいと考えている。
③教養は深められる。
①と②に繋がることなのだが、漫画などの自分の範囲外のものにも興味を持つこと、点と点を繋ぐ作業をすることを通じて、教養は深められると思う。
自分の領域を広げて、面をたくさん作る。
そうすれば、教養は深まっていき、思慮深い人、含蓄のある人、話の面白い人になることができる。
著者は、教養のある人の会話を、ない人の会話と比べて、深いコミュニケーションだと言っている。
そして、浅い思考、浅いコミュニケーションには魅力は感じないと。
確かに、私は、深い思考、深いコミュニケーションには、それ相応のエネルギーが必要(それまでの過程においても、知識、見識を取り出す瞬間においても)だと考える。
エネルギーを要するということは、イコール価値があると言うことだ。
少なくとも、低燃費で作られたものよりは、価値がある可能性が高いと考える。
その意味で、教養を持つことは、教養がないことよりも魅力がある、と思う。
教養を持つことで、楽しい人生、価値のある人生を歩んで行きたいものだ。📚
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