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静謐な映像に表れる揺れ動く心-『わたしの叔父さん』

   ゴールデンウィークが終わり、4月から新生活が始まった人は、少しずつ慣れて来た頃でしょうか。一方で、新年度が始まったものの新しい挑戦への一歩が踏み出せていない人もいるかもしれません。
 そんなみなさんに観てもらいたい映画が、今回紹介するフラレ・ピーダセン監督のデンマーク映画『わたしの叔父さん』(2019)です。

 本作は、第32回東京国際映画祭(2019年)のコンペティション部門でワールドプレミアとして上映され、デンマーク映画として初めてグランプリを受賞しました。新しい挑戦へ踏み出す前の不安と新しい世界への憧れ、その間で揺れる主人公クリスと叔父さんの日常を静謐な映像で表現した作品で、新たな挑戦に踏み出す勇気をくれる映画とはちょっと違うけど、考えるヒントをくれる気がする、そんな映画です。

  主人公クリスは、ユトランド半島南部のドイツ国境近くの農村で、身体が不自由な叔父さんと共に酪農を営みながら暮らしています。幼い頃に父親と兄弟を失い、その後、叔父さんに引き取られました。クリスは高校を出た後、大学の獣医学部に合格しましたが、同じ頃に叔父さんが倒れたため、進学せずに農場を手伝うことにしたようです。今は、農場の仕事や叔父さんの介護をしていますが、時々近所の獣医ヨハネスの助手をしている様子からは、獣医への挑戦を忘れていない一面が垣間見えます。クリスの淡々とした農場生活を通して、獣医への憧れ、新たな出会い、叔父さんに起こるアクシデントが描かれます。本作を観て、なぜクリスは獣医の道に踏み出すことができないのだろうと疑問に思いました。今回のレビューでは、その答えを探ってみたいと思います。

獣医への道をためらわせるもの

 はじめに考えられる理由として叔父さんの介護がありますが、これはクリスが獣医の道に踏み出さない理由にはならないと思いました。デンマークは、周知の通り福祉が充実した国です。劇中でも叔父さんが自らヘルパーを頼んで介護サービスを受けているシーンがあり、必ずしもクリスの介護が必要ではありません。
 では、クリスが付きっきりで叔父さんの介護をする理由は何でしょうか。それは、クリスの中にある「今ある日常が変化することへの恐れ」が原因となっているからではないでしょうか。本作の様々な演出には、「クリスの恐れ」が表れていると感じられるのです。カメラワークを中心に詳しく見てみましょう。

カメラワークに表現される「クリスの恐れ」

 本作は、終盤のワンシーンを除いて映画全体がフィックス(カメラを固定し動かさずに撮影する技法)で、撮影されています。さらに、食事シーンを中心にマスターショット(シーンの初めから終わりまで通して撮影されたショット)が多用されていることも印象的です。フィックスとマスターショットはどのような効果をもたらしているのでしょうか。本作のフィックスは、第一に、今ある日常を壊したくない、このままの状態で留めておきたいという、クリスの心の奥底にある願望を表現する効果が感じられます。固定された映像によって、今の日常をそのまま留め、安定した状態でおいておくことができます。この安定した映像の中で、クリスと叔父さんは様式美ともいえるような毎日のルーティーンをおこなっています。この一連のルーティーンをマスターショットで捉えることによって、動作の連続性(動線)の美しさが際立ちます。フィックスによって作られた安定した映像の中で、クリスと叔父さんの無駄を省いた所作をマスターショットで捉えることで、美しい安定したシーンができているのです。
 クリスは同じような毎日を淡々と過ごしていますが、それに飽きているわけではありません。むしろ、同じ日常に変化が訪れることを恐れているようです。クリスの日常に変化があると映像に「動き」が出現し、フィックスとマスターショットから作られる安定性や連続性を打ち消そうとします。「動き」が現れるシーンは、日常の変化によるクリスの心の動揺を表現していると言えます。安定した映像とそれを打ち消そうとする「動き」が、「クリスの恐れ」を感じさせるのです。クリスの動揺が現れている2つのシーンを見てみましょう。

① クリスが寝坊してしまった日の朝食シーン
   このシーンは、フィックスとマスターショットが使われている点においては、劇中に初めて朝食シーンが登場する時と違いがありません。違うのはクリスの動作です。このシーンでクリスは、ダイニングテーブルの周りをうろうろ動き回り、普段の動作に比べ無駄があるように見えます。さらに、クリスの忙しない「動き」は、フィックスとマスターショットによってより強調されています。このシーンのフィックスとマスターショットは、普段とは違うクリスの動作を観客に強く感じさせる効果をもたらしていると言えるでしょう。

 ② 物語の終盤クリスが病院に駆けつけるシーン
このシーンの「動き」は、手持ち撮影によって作り出される激しいぶれです。作品全体がフィックスである本作において、このシーンでのみ使用される手持ち撮影の映像は強く印象に残ります。このシーンは、クリスが劇中で最も動揺するシーンです。その動揺が映像の激しいぶれを通して画面にありありと表現され、最も際立ったシーンを作り出しています。

 これら「動き」が現れるシーンは安定したシーンとコントラストを織りなし、クリスの繊細な内面の変化を映像の緩急を通して表現していると言えます。
 このようにカメラワークからは、クリスが安定した今の日常が変化することを恐れている様子が感じられます。この恐れが獣医への道を阻んでいるのではないでしょうか。

おわりに

 ここまでカメラワークを中心にクリスの中にある「今ある日常が変化することへの恐れ」が描かれる様子を見てきました。「クリスの恐れ」は、今の日常を変えたくないという想いでもあります。この想いは、ピーダセン監督がデンマークの小さな農場に対して抱いている想いと重なります。東京国際映画祭でのQ&Aによれば、デンマークの小規模な農家はEUの取り決めによって今後閉鎖されることが決定しているようです。本作の製作にあたっては、「伝統的な小規模農家の風景を残したいという想いがあった」とも、監督は述べています。本作は、叔父さんとの日常を通したクリスの内面とその変化を抑制された表現を使い極めて淡々と時にユーモラスに描く一方で、ユトランド半島南部の伝統的な小規模農家の記録でもあるのです。


基本情報

『わたしの叔父さん』
2019年製作|106分|日本プレミア2019年10月・劇場公開2021年1月
製作国:デンマーク
原題:Onkel
監督:フラレ・ピーダセン
脚本:フラレ・ピーダセン
出演:イェデ・スナゴー、ペーダ・ハンセン・テューセン、オーレ・キャスパセン


気になる北欧映画

6月公開の気になる北欧映画は、アニメーションドキュメンタリー映画『FLEE フリー』です。デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フランス合作。これまで中東地域とデンマークの関係に関連する映画が制作されてきました。それら過去作では眼差しの向け方に違和感を感じることがありました。『FLEE フリー』はその違和感を可視化し、新たな視点を与えてくれるのではないかと期待しています。



『FLEE フリー』、6月10日(金)より全国で順次公開。


著者紹介:米澤麻美(よねざわ あさみ)
秋田県生まれ。マッツ・ミケルセンの出演作からデンマーク映画と出会い、社会人を経て大学院でデンマーク映画を研究。法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。

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