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生と死の香りが漂う映画『アナザーラウンド』

 6月、日本は梅雨の季節ですね。うってかわって北欧デンマークの6月は、夏休み前のワクワクした季節であり卒業の時期でもあります。デンマークでは高校卒業が盛大に祝われ、学生たちは「studenterkørsel(卒業パレード)」というイベントを6月下旬に開催します。これはクラスで大きなトラックを貸切り、クラスメイトの家を回りながら卒業をお祝いするイベントで、高校生たちはトラックの荷台で大音量の音楽を流してお酒を飲み大盛り上がりします。デンマークでは、酒類の購入に年齢制限がある一方で、飲酒には年齢制限がなく高校生もお酒を飲むことができます。

 今月紹介する作品は、卒業イベントのシーンが印象的なデンマーク映画『アナザーラウンド』です。監督はトマス・ヴィンターベアで、2021年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した作品です。

 ストーリー

 高校教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)は、人生への気力を失い仕事も家庭もうまくいかない状態に陥っていました。そんな時、同僚ニコライの誕生日会が開かれ、マーティン、トミー、ピーターが集まります。ここでニコライが、哲学者フィン・スコルドゥールが提唱した理論について語ります。その理論とは、人間は血中アルコール濃度を0.05%に保つことで、リラックスでき体中に力と勇気がみなぎってくるというものでした。これを聞いたマーティンは、翌日からこの仮説を試し始めます。ニコライたちはマーティンの行動に驚きながらも、みんなで仮説を検証してみることにします。

 血中アルコール濃度0.05%生活を始めると、マーティンの人生は一筋の光が差し込んだかのように明るくなっていきます。生徒や保護者に不評だったマーティンの授業は、生き生きとした内容に変わり、生徒とのコミュニケーションも増え、熱い支持を得ます。他の3人の授業も以前とは見違えるようになり、4人はアルコールの効果を実感します。

 しかし、4人の飲酒はどんどんエスカレートしていき、ついに体の限界まで飲むことに挑戦していまします。このようなマーティンの状態に妻アニカは、息子たちと家を出ていきます。

  こうして仮説の検証は生活に支障をきたすようになり、アルコール依存症の危険があることから中止となります。マーティンの飲酒もすっかり落ち着き生徒たちの卒業が近づいてきた頃、4人の中で一人だけアルコールから抜け出せずにいたトミーに悲劇が訪れます。残されたマーティンらは、トミーに向けてグラスを捧げます。そこへちょうどstudenterkørselで生徒たちが通りかかり、マーティンらもパーティに加わります。マーティンは、生徒に混じりシャンパンを煽り、自分を解放するかのような激しいダンスを披露するのでした。 

Drukから見えてくる人生との付き合い方

 『アナザーラウンド』は、デンマーク語の原題Druk(大量飲酒)にある通り飲酒がテーマとなっている作品です。本作には、マーティンら中年高校教師たちを中心に様々な飲酒が描かれています。マーティンたちは日常の憂さを晴らすため、仕事への情熱を取り戻すため、妻との関係を修復するため、友を弔うために飲みます。彼らの飲酒には、どこか人生の悲しさと死の香りが漂っています。特に序盤の誕生会シーンにおいて、死をテーマにした歌が奥のテーブルで歌われているのは象徴的です[]。一方で、高校生の飲酒はマーティンらの飲酒と対照的です。彼らの飲酒は、青春の喜びや酔う楽しさに溢れ、身体的な躍動感とともに解放的に描かれています。

  マーティンらと高校生の飲酒から見えてくるのは、「人生との付き合い方」ではないでしょうか。人生には様々な場面が訪れます。生の喜びや楽しさだけではなく、悲しみや苦しみ、そして、死という逃れようのない事実が付きまとってきます。本作の根底にあるのは、人間が人生に対してどのように向き合っていくのかという意識だと思います。お酒との付き合い方を通して、「人生との付き合い方」を描いているともいえるでしょう。卒業試験で生徒セバスチャンがキルケゴールの思想で重要なこととして指摘した「自分の不完全さを認めること」は、人生との付き合い方における一つの答えなのかもしれません。

 このように本作は、人生の様々な節目にアルコールを加え、人々の淡い輝きをとらえた作品だといえるでしょう。そこにはアルコールの香り以上に生と死の香りが漂っているように感じられます。

  最後に、本作で一つ残念に思ったことも指摘しておきたいと思います。それは、マーティンの妻アニカの描かれ方です。彼女にも彼女なりの人生があるはずなのに、そこはあまり描かれていません。アニカからは、マーティンの人生を説明するためだけに登場させられた印象を受けます。彼女は、最後レストランで何を思って白ワインを飲んだのでしょうか。本作は、あのシーンで彼女が抱いた気持ちを想像できるほど彼女を十分に描いていないのです。これによって少しホモソーシャルな印象が強い作品になっている点は残念です。 

[] このシーンで歌われている曲は、18世紀スウェーデンの音楽家カール・ミカエル・ベルマン(Carl Michael Bellman 1740—1795)が作詩した曲で、Drick ur ditt glas, se Döden på dig väntarという曲です。この曲は、フリードマンの書簡(Fredmans epistlar)という作品群のNo. 30の曲です。この作品群は、アルコール依存症の元時計職人ショーン・フリードマン(Jean Fredman)を中心的なキャラクターにし、飲酒をテーマにした82の曲から構成されています。まさに『アナザーラウンド』にピッタリな北欧のクラシック音楽といえます。


基本情報
『アナザーラウンド』2020年製作|117分|日本公開2021年
製作国:デンマーク・スェーデン・オランダ
原題:Druk
監督:トマス・ヴィンターベア
脚本:トマス・ヴィンターベア、トビアス・リンホルム
出演:マッツ・ミケルセン、トマス・ボー・ラーセン、マグナス・ミラン、ラース・ランゼ、マリア・ボネヴィー他


気になる北欧映画
7月の気になる北欧映画は、ヨアキム・トリアー監督の『わたしは最悪。』です。ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク合作。30代の女性が主人公ということで、同年代の自分がどう感じるのか楽しみな作品です。予告トレーラーからは一風変わった映像表現も見られるので、その点も注目して観たいと思っています。

『わたしは最悪。』7月1日(金)より全国で順次公開。

 2本目は、アンティ・ヨキネン監督の『魂のまなざし』です。フィンランド・エストニア合作。ヘレン・シャルフベックというフィンランドの画家を取り上げた作品で、北欧の「女性芸術家」を知る良い機会になると思います。日本では2015年にヘレン・シャルフベック展が開催された様ですが、映画公開を機に再び展覧会が企画されたら嬉しいですね。

『魂のまなざし』7月15日(金)より全国で順次公開。


著者紹介:米澤麻美(よねざわ あさみ)
秋田県生まれ。マッツ・ミケルセンの出演作からデンマーク映画と出会い、社会人を経て大学院でデンマーク映画を研究。法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。

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