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『愛さえあれば』-人生にイタリアのレモンを添えて

 あっという間に梅雨が明け、夏のギラギラした日差しが降り注ぐ日々が始まりました。夏休みが待ち遠しい人もたくさんいるのではないでしょうか。
一年を通して寒い時期が長い北欧では、昔から温暖な地域(イタリア、ギリシャ、スペイン)への旅行が人気です。特にイタリアは、旅行先のみならず絵画や文学の題材とされてきました。
  デンマーク映画においてもイタリアは複数の作品の舞台になっています。代表的な作品として、ロネ・シェルフィグ監督の『幸せになるためのイタリア語講座』(2000)、スサンネ・ビア監督の『愛さえあれば』(2012)、最も新しい作品としてNetflixで配信されているメヒディ・アバス監督の『トスカーナ』(2022)があります。今回は『愛さえあれば』を取り上げて、デンマーク映画におけるイタリア表象の一端を見てみたいと思います。

ストーリー
  物語は、娘の結婚式を控えた美容師イーダが夫ライフの浮気現場に遭遇するところから始まります。乳がん治療がひと区切りつき、人生を再び楽しもうとしていました。その矢先、夫の裏切りで自分の人生に疑問を持ち始めます。娘の挙式がおこなわれるイタリア・ソレントへ一人で向かう途中、イーダは娘の婚約者の父フィリップと出会います。フィリップは妻に先立たれ仕事だけに打ち込む生活を送っていました。挙式までの数日間ソレントに滞在したイーダとフィリップはお互いに惹かれ合うようになっていきます。
    結局、娘たちの結婚式は取りやめになり、イーダたち家族はデンマークに戻ります。帰国後、ライフはイーダとの関係を元に戻そうとします。一方、フィリップはイーダに想いを伝え、ソレントへ戻ります。ようやく自分の気持ちに気づいたイーダは、フィリップを追ってソレントへ向かいます。そして、二人はヴェスヴィオ火山の見える海岸のベンチで肩を寄せあうのでした。

人生に苦味を加えるレモン
 本作で注目すべきポイントはレモンです。レモンは、イーダとフィリップをつなぐ果物であり、様々なシーンで目に入ります。浮気現場の床に転がるレモンから始まり、結婚式会場であるフィリップのヴィラはレモンの木々に囲まれています。レモンは、爽やかな香りと美しい黄色という外見を持つ一方で、果肉にはほろ苦さと目が覚めるような酸味がある果物です。
 本作の登場人物たちは人生において苦難を経験してきました。イーダは、乳がんを患い、さらに愛する夫に浮気をされました。フィリップは、不慮の事故で最愛の妻を亡くしています。このような人物たちの人生に添えられるレモンは、人生のほろ苦さと酸味を象徴しているといえるでしょう。ロマンチック・コメディに分類される本作ですが、ロマンスの甘さにレモンの苦さと酸味が加えられることによって、味わい深い物語が描かれているのです。

均衡の崩れを予感させる「結婚式」
 次に、イタリアへ向かう動機となっている「結婚式」を見てみましょう。「結婚式」は、物語を締めくくる祝祭としてのイメージが強くあります。しかし、ビア作品では「結婚式」が、物語におけるそれまでの均衡を崩す契機に使われることがしばしばあります。例えば『アフター・ウェディング』(2006)では、「結婚式」は思わぬ再会を招き、隠されていた過去を暴露します。
 本作でも結婚式をきっかけに、イーダは夫との生活に疑問を持ち始め、自分と向き合うことになります。フィリップもこれまでの仕事一辺倒の生活を見直し始めます。フィリップの息子パトリックは、結婚式の準備を通して自身のセクシュアリティに疑問を持ち始め、結婚を取りやめます。
 ビア作品の「結婚式」は、心を高揚させるのではなく騒つかせるのです。このような「結婚式」の使い方は、ある意味でハリウッド映画の「結婚式」を逆手に取っているとも考えられ、祝祭とは異なった質感を物語に与えます。

自分を解放し変容させる地、イタリア
 本作の舞台イタリア・ソレントは解放と変容の地として描かれています。乳がん罹患、夫の不貞、ロスト・バゲージは、一見すると不幸な出来事ですが、ソレントでのイーダは、喪失の悲しみに暮れることなくむしろ、様々なものを失ったことによって束縛から解放されたかのように自由です。これを象徴するのが、劇中イーダが裸でソレントの海で泳ぎ、水の冷たさを「さわやか」だと表現するシーンです。今までの自分を脱ぎ捨てて、イーダがありのままの自分を楽しもうとしている気持ちが伝わってきます。
 解放の後は変容です。イーダはソレントに花柄のワンピースで来ました。花柄のワンピースは、デンマークの生活、つまり夫ライフとの生活を表しています。ソレントで解放されたイーダは、海で全てを脱ぎ捨てて泳いだ後、赤一色のシンプルで上品なドレスに着替えます。このドレスは、彼女が今までの生活から解放され、新しい自分に変容したことを表しているのです。服装の変化と並行してイーダは夫を拒絶します。そして、フィリップとの距離が縮まっていきます。
 このように服装の変化によって、イーダの解放と変容が象徴的に提示されているといえるのです。赤いドレスの他にも注目すべき服装の変化があるので、ぜひ映画本編で確認してみてください。

 旅行先や外国で自分を解放し変容させることは、様々な映画に見られる題材です。自己を解放し変容させ新たな自分を見つけるためには、日常生活をおくる環境から離れてみることが必要だということでしょう。デンマーク映画は、その地としてイタリアを選択してきました。住む場所が変われば憧れの地も異なる。本作は、「ある土地に抱く憧れ」そのものを考えるきっかけを与えてくれる作品でもあるのです。

基本情報
『愛さえあれば』
2012年製作|116分|日本公開2013年
製作国:デンマーク
原題:Den skaldede frisør(髪のない美容師)
監督:スサンネ・ビア
原案:スサンネ・ビア、アナス・トマス・イェンセン
脚本:アナス・トマス・イェンセン
出演:トリーネ・ディアホルム、ピアース・ブロスナン、モリー・ブリキスト・エゲリンド、セバスチャン・イェセン、キム・ボドニア他

本作公開時の映画フライヤー(ビネバル出版所蔵)

著者紹介:米澤麻美(よねざわ あさみ)
秋田県生まれ。マッツ・ミケルセンの出演作からデンマーク映画と出会い、社会人を経て大学院でデンマーク映画を研究。法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。



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