第4回「沼地に生えたオレンジの樹」
◆『即興詩人』はコペンハーゲンのライツェル社から刊行され、ドイツ語訳は複数回にわたり版を重ねました。もっともアンデルセンは、ドイツ語訳者ラウリツ・クルーセ(Lauritz Kruse 1778-1839)がつけた『あるイタリア詩人の青春生活と夢 Jugendleben und Träume eines Italienischen Dichters』という題には不満を呈したようですが。『即興詩人』は、以後10年ほどの間にスウェーデン語、英語(イギリス、アメリカ合衆国)、ロシア語、チェコ語、オランダ語、フランス語に翻訳されます。日本では原作から67年の時を隔てて、陸軍軍医・森鷗外による和漢洋の教養の結晶ともいうべき雅文訳『即興詩人』が出て、西洋への憧れを掻き立てました。アンデルセンがゲーテから受け取ったヨーロッパ古典世界のイメージは、ドイツ留学を経て小倉左遷に至った鷗外の手で10年がかりで仕立て直され、もうひとつの「周縁」日本に青春と芸術という近代の精神的発明をもたらしたのです。
◆『即興詩人』が出た1835年はまた、童話作家としてのアンデルセンの出発を飾る一年でもありました。5月8日、「小さいイーダの花 Den lille Idas Blomster」、「エンドウ豆の上に寝たお姫さま Prindsessen paa Ærten」、「小クラウスと大クラウスLille Claus og store Claus」、「火打ち箱 Fyrtøiet」を収録した最初の童話集『子どもに語るおとぎ話 Eventyr, fortalte for Børn』の第1巻が出ました。さらに同年12月16日に出た第2巻には、「旅の仲間 Reisekammeraten」、「いたずらっ子 Den uartige Dreng」、「親指姫 Tommelise」が収められています。動物や草花が人間のような意志をもって活動する世界、純真無垢な心の動きに感応して願いを叶えてくれる魔法の道具……。グリム兄弟の採集した民間の口頭伝承とは異なり、個人の内面問題を空想的なプロットに託した創作童話に、アンデルセンは自己表現の可能性を見出しました。それはまた、ハイベアによってシステム化された創作理論に順応できないマイナー詩人が選ばざるをえなかった、周縁的な文学形式ともいえるでしょう。彼の物語には、14歳で俳優を志しながら果たせず、劇作家の夢も絶たれた劇場からの疎外者としての自己像がそこかしこに投影されています。『即興詩人』に登場する薄幸の歌姫アヌンツィアータも、故郷オーゼンセで少年時のアンデルセンを魅了したドイツ人女優がモデルです。後年故郷を訪れたアンデルセンは、慈善病院の一室でみすぼらしい老婆と出会います。これこそ、かつて憧れた女優の落魄した姿であると知ったアンデルセンは、芸術家の栄光のはかなさ、運命のはかりがたさを思い知り、後年の童話にも通じる永遠のヒロイン像を生み出したのです。
◆『即興詩人』はたしかにアンデルセン最大の出世作となりました。ですが制作から発表の過程で、アンデルセンにこれほどアウトサイダーとしての自覚を刻印した作品もありません。1836年7月19日、アンデルセンは自らの熱烈な支持者であるヘンリエテ・ヴルフ(Henriette Wulff 1804-58)に宛てた手紙で、「僕は小さな国のために書く定めにあるのです」と暗いトーンで洩らします。「それは、沼地に生えたオレンジの樹になるということなのです。農夫はそれが酸っぱい林檎だと思って、渇きを癒し、樹が腐っていくにまかせるのです」……
◆南欧の陽光のもとで育ったオレンジの樹にみずからを喩える一方で、それが陰湿をきわめた北欧の芸術環境のなかで本来の天分が損なわれていくという被害感情がにじんでいます。イタリアの開放的な風土がもたらすインスピレーションから豊かな創作の果実を摘んだアンデルセンですが、『即興詩人』に対するデンマーク国内の批評は彼にとって冷淡なものが目につき、疎外感に蝕まれていたようです。
◆しかし一方で、アンデルセン自身がデンマーク国内での不遇を実際より誇大に伝えているとの指摘もあります。アンデルセンの自伝『わが生涯のおとぎ話 Mit Livs Eventyr』(1855年)は、『即興詩人』がひき起こした毀誉褒貶を事細かに伝えています。この強烈な自意識をもった作者は、他者からの賞賛を喜ぶ反面、望んだ通りの栄誉が得られなかったときの苦悶を克明に記憶していました。ですが、過去の屈辱に対する執着が事実を改変している可能性もないわけではありません。
◆アンデルセン没後に親友イズヴァト・コリンが出した回顧録『H・C・アンデルセンとコリン家 H. C. Andersen og det Collinske Huus』(1882年)は、自伝の作為性に注意を促しています。彼によると、アンデルセンはデンマーク国内での酷評され誤解された過去を「できるだけ黒々と描く」ことで、国外での声望をひときわ輝かしく印象づける傾向があったといいます。実際のところ『即興詩人』の作者は、「この本は僕の倒れた家を建て直し、友人たちを呼び戻し、その数を増やしてくれた」と、いたく喜んでいたといいます。
◆いずれにせよアンデルセンの内には、コペンハーゲンで築いた人間関係を維持したいという望みと、狭小な祖国から出てゲーテやシェイクスピアに伍する大詩人と仰がれたいというふたつの欲望が同居していたようです。デンマーク文学の主流に容れられない自己を持て余しながら、ネイション内部での安定と、外部世界への越境を同時に願うという、二重化された詩人像が生まれていきます。こののち壮年期に入って、この矛盾はいっそう深刻となるのですが、それはまた次回以後お話しすることになるでしょう。
【参照文献】
Andersen, H. C.: Mit Livs Eventyr. C. A. Reitzel 1855.
Collin, Edvard: H. C. Andersen og det Collinske Huus. C. A. Reitzels Forlag 1882.
Houe, Poul: En anden Andersen – og andres. Artikler og foredrag 1969-2005. C. A. Reitzel 2006.
石川淳『森鷗外』、岩波書店、1978年[初版1941年]。
Kofoed, Niels: H. C. Andersen – den store europæer. C. A. Reitzel 1996.
森鷗外『即興詩人』、筑摩書房、1995年[初版1902年]。
Mylius, Johan de: “Der deutsche Andersen. Zur Grundlegung des biographischen Andersen-Bildes in Deutschland”. i: Detering, Heinrich / Gerecke, Anne-Bitt / Mylius, Johan de (red.): Dänisch-deutsche Doppelgänger. Transnationale und bikulturelle Literatur zwischen Barock und Moderne. Wallstein 2001, s. 157-173.
中野重治『鷗外 その側面』、筑摩書房、1994年。
Sanders, Karin: “A Man of the World: Hans Christian Andersen”. i: Ringgaard, Dan / Thomsen, Mads Rosendahl (red.): Danish Literature as World Literature. Bloomsbury 2018[Original 2017], s. 91-114.
著者紹介 / 奥山裕介(おくやま ゆうすけ)
1983大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。デンマークを中心に近代北欧文学を研究。共著に『北欧文化事典』(丸善出版、2017年)、訳書にマックス・ワルター・スワーンベリ詩集『Åren』(LIBRAIRIE6、2019年)とイェンス・ピータ・ヤコブセン『ニルス・リューネ』(幻戯書房、2021年)がある。
【お知らせ】奥山裕介先生が『ニルス・リュ-ネ』(写真左;イェンス・ピ-タ-・ヤコブセン著、奥山裕介訳、幻戯書房刊)を上梓されました。イェンス・ピ-タ-・ヤコブセン(1847-1885)は、夭折の詩人で、『ニルス・リューネ』の翻訳は山室静訳『ヤコブセン全集」(青蛾書房、1975年)以来46年ぶりの新訳です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?