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歴史的に正しい昔話

 ネットにはデマゴーグが溢れている。その理由は簡単で、ログインするのに免許や資格は要らないから。東南アジアの田舎に行くと中学生ぐらいのノーヘルの女の子が妹や弟を乗せてホンダのバイクでよろよろ走っていて、「あれはなんだったんだ」となることがある。そのうち事故るんじゃないかと思っているが日本に帰ると全く分からない。しかしそのノーヘルの少女がこれを読んでいるあなたで、そして私なのだ。自戒して自主的にメットを被り免許を取っておかないと知らずに人を騙していた、ということになりかねない。

 そこで私はこれまでネットに書けなかった自分史の中での昔話を書いてみようと思う。

 昔話なので「昔々あるところに」で始める。そう、昔々あるところに、少し具体的に書くと1999年のバンコクはサラデーン付近の某歓楽街にあるカラオケパブ。Y2K問題という言葉が世間をにぎわせていた記憶があるので断言出来る。店名は全部ひらがなだった。いまあるかどうかは知らない。当時は駐在員専門でバックパッカーには敷居が高かったのだが、店によっては客引きがいた。客引きと言っても日本的な威勢のいいものではなく、店の前で涼んでいるようなやる気のなさそうな女性達が声を揃えて「オキャクサーン、イラッシャイマセー」と合唱するダウナー系客引きだ。 彼女達の服装も行ったことはないが銀座の高級クラブホステス系。映画みたいに奥から池波志乃みたいなママサンが出てくるのかなと漠然と思っていたが、当時はゴーゴーバーが好きだった私には興味が持てなかった。

 しかし、薄暗がりからちょろっと出てきた島袋寛子似の女の子がニヤニヤ笑いながら私の腕に自分の腕を絡めて引っ張った。女性には難解かもしれないが、上原多香子似の美女だと男は身構える。だが、島袋寛子クラスの可愛さだと憎めず逆らえない。後に「名前はポイ」と名乗ったその女の子21歳に引っ張り込まれたのが前述の店名ひらがなの某カラオケパブ。エレベーターを降りてドアを開けるとひな壇?に女性が並んで座っていてビックリしたが、気にせずポイは私を引っ張ってソファーに座らせた。その数年後に本で読んで知ったことだが、本来はひな壇にいる女性達から誰か一人を客が選ぶシステム。しかしポイは黙って座っていることが苦手で、自分から表で客を捕まえたようだ。

「何を飲みますか?」と訊かれて生ビールを頼んだ。ちょっと癖があるがちゃんと習った日本語だ。「どこの県出身?」とタイ語で訊くとポイは天井を見上げながら完成度95%の渋谷ギャル口調で「えーと、バンコクなんですけどお」と返事をした。

 あれ、タイ人が普通バンコクって言うか?バンコクは外国人のみが使う通称でタイ人はクルンテープマハーナコンと呼ぶはずだがと私は首を傾げた。そもそも、ここらで働く女性はチェンマイとかウボンラーチャタニ―など地方出身者が殆どじゃないのか。

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