【神奈川のこと9】「野生の王国」トムソンガゼルの回(横浜市中区山元町)
まだ横浜の根岸に住んでいた昭和50年(1975年)前後、5歳ごろの話。
その日は、母と弟と一緒に、浅間下にある母の実家を訪れた。
木曜日だった。なぜ曜日を覚えているかというと、それは、野生の王国の放送日だからだ。
野生の王国とは、木曜日19:30からの30分、毎回様々な動物を特集するテレビ番組だった。
今なら、さながら「ダーウィンが来た!」だが、野生の王国は、アメリカかイギリスの番組の吹き替え版で、決して子ども向けではなかった。
その日の野生の王国は、トムソンガゼルの特集であることを、前週の予告で知っており、とても楽しみにしていた。
しかし、母の実家で、夕飯でもいただいて出るのが遅くなったのか、帰りの道が渋滞していたのか、野生の王国の開始時刻に間に合わなくなってしまいそうになった。
焦った。
浅間下からの帰り道は、ずっと車の時計とにらめっこをしていた。
運転する母を急かした。
そして、根岸の自宅まであと5分の、山元町の信号待ちをしている時に、もう間に合わないことが決定的となった。ちょうど打越橋の下をくぐった辺りだ。
ぶつけようのない無念さを覚え、涙が出てきた。母に文句を言ったのか、直接文句を言うのは格好が悪いから、独り言のように「あ~あ、野生の王国がみれない」と言ったのか、それは覚えていない。しかし、こらえきれず、何かを言ったのだ。
母は、謝るのがしゃくだったのか、「だって、仕方がないじゃない。たかがテレビ番組で...」というような感じのことを言った。
車の中の母と私の間にあった張り詰めた空気の横で、幼い弟はスヤスヤと寝息を立てていた。
あれが、物心ついてから初めて、一人の人間として、母と私のエゴがぶつかった瞬間だった。
車窓を行き過ぎる、山元町の商店街の灯りと人通りをうらめしく見ていた。
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