【神奈川のこと5】小田急線の不思議(運命の街、町田)

今日は私用で小田急線に乗ったので、この話題を書く。

昭和61年(1986年)4月、高校に入学。

小田急相模原が最寄駅となる東海大相模高校。

それまで横浜・鎌倉文化圏で育ってきたが、新たに小田急沿線文化圏に足を踏み入れた。

小田急線は、ほとんど乗ったことがなかった。たまに善行のスポーツセンターに行く程度。それも藤沢からわずか2駅である。

それが毎日、藤沢から相模大野まで乗り、さらに小田原線に乗り換えて、小田急相模原まで通うというのだから、かなり濃密な足の踏み入れようだ。

高校に通い始めた頃、不思議な存在だったのが、相模大野の一つ先、そう、「町田」である。

この町田からは、実にたくさんの生徒がウチの学校に登校していた。もう、呆気にとられるほどで、その多さは石を投げたら町田市民に当たるぐらいだった。

町田という地名は、小学生の頃、マーガリン「ラーマ」のTVCMで「今日は町田を訪問しています!」なんて言うので聞いたことがあるだけで、まったくもって、それまでの人生で縁もゆかりもない場所である。

しかも、東京都。

何が不思議かと言うと、小田急線の上りは、「神奈川県」である相模大野の次に、この町田が来る。そこから玉川学園前、鶴川と「東京都」町田市の駅が続く。その次の駅が「神奈川県」川崎市の柿生となり、それからしばらく川崎市の駅が続き、ようやく登戸を過ぎて多摩川を渡ると、また「東京都」に入る。この神奈川~東京~神奈川~東京というルートが、実にとても奇妙な感覚なのだ。なぜならばそれまで、東京都というは、多摩川を渡った先にあり、それ以上でもそれ以下でもないと考えていたから。東海道線や横須賀線の感覚では、一旦東京都に入ったら二度と神奈川県を通過することはないのだ!二度と。

からくりはこうだ。

神奈川県は、「犬」の形をしている。

小田急線の上りは、その「犬」の背中である相模大野を突き抜けると、一旦、空中を飛んで再び、「犬」の後頭部である柿生に入り、最後は「犬」の頭のてっぺんである登戸から飛び出ていく。ということなのだ。

町田というのは、この「犬」の背中と後頭部の間にある「空中」に存在するのだ!

この事実を理解するのには、少し時間を要した。

そんな不思議な存在、町田は今、切っても切れないほど深い関わりがある。

まず、妻が町田出身であること。この事実は大きい。結婚直後の一年間は、町田に住んで新宿の職場まで通った。それから、町田市民病院に入院したこともあるし、二人の子供はこの病院で産まれたりもした。さらに一時は、町田リトルリーグのコーチも務めた。都大会で優勝という素敵な思い出つきだ。ましてや、ついこないだも町田で飲んだ。今は昔の高校時代、初めてのキスも町田だった❤。

嗚呼、恐るべし運命の町田よ。かつて縁もゆかりもなかったこの街は、今や最も身近な場所の一つとなったのだ。

町田にある妻の実家は、鎌倉街道沿いにある。

「東京のこと」になってしまった。でも、町田ではTVK(テレビ神奈川)が受信できるので、神奈川のこととして書いたと言ってもまあいいだろう。





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