最高のリスペクト
「誰かが得れば、誰かが失う」で、『修理する権利』についての自分の気持ちを書いてみた。
『修理する権利』を行使するとかではないけれど、そして環境問題を考えるとか、もったいないとかでもないけれど、私にはどうしても修理をして蘇らせたいものがあった。
・・・
40年以上、人生を共にしてきたミシンの修理をした。
ほとんど故障することもなく、フル回転で動いてくれていたミシンだった。
ある時、フットコントローラーを踏んでも、それが針の動きと連動しなくなってしまった。
ミシンの修理屋さんに依頼をしたところ、40年以上もたてば、生産が終わって久しいこの型の修理用の代替部品を入手するのは難しいという。
それでも、私はこの愛着あるミシンを諦めることができなかった。
そこで修理屋さんが提案してくれたのは、このミシンが生産された当時の同じ型の中古品を探し、そこから部品を取り出し、私のミシンへ移植する、という修理方法だった。
中古品が見つかるかどうか分からないけれど、私はその方法に賭けてみてほしいと、修理屋さんにお願いをした。
それから半年ほど経ったある日、修理屋さんから連絡が入る。移植用の中古品が見つかったと。そして、修理用の部品を取り出し、私のミシンへの移植作業をしてもらった。
無事に私のミシンは蘇った。
今回のミシンの修理にかかった料金で新しいミシンを買えたかもしれない。
それでも、私がこのミシンを修理したのは、
人生の思い出がたくさんつまっていて、このミシンを子どものように愛していたからだ。
ミシンの修理屋さんが、時間をかけて部品を探してくれたことと、その知識や技術に、最高のリスペクトを払いたいと思った。
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