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表現ツール

40年以上そばにいて、たくさんの時を共にして、数えきれないくらいの作品を生み出してくれたミシンを、次女のもとに送り出すことにした。


彼女はこの4月から自宅を離れ、大学でファッションを学んでいる。
服が制約する時」でも書いたけれど、彼女は服が大好きで、いつも私の仕事を見てくれていた。

小学生の時は、ドレスの制作の仕事を受けて夜中まで作業する私を、
「ずっと見とく。」と言って、そばで体操座りをしてみていた。
私が服の仕事のペースを落とした時には
「どうして仕事を辞めたの、、、。」と少し寂しそうな表情もしていた。

彼女はどこか私と似ている。
見た目ではなくて、心がなんだか似ている。
こんな時はこう思うだろうというのが、なんとなく分かってしまう。
自分と似ているから。


私達は、思ったことを口から言葉にして表現するのがあまり得意ではないかもしれない。
どちらかと言えば、こうやってnoteに書き言葉として表現したり、服の上に自分を表現したり、手で何かを作って表現したりの方が、好きなのだと思う。

彼女が小学生の時、学校で3者面談があった。先生は彼女のことをたくさん褒めてくれたけど、最後にひとつだけがんばってほしいことがあると言った。
それは、「もっと発表をしよう。」ということだった。

これまでなんとなく、日本の学校生活とか社会の営みの中では、「話す」という表現方法が得意な人にスポットがあてられてきたように思う。

だけど、それ以外の方法での表現を得意とする人もたくさんいて、そんな人にも、もっとスポットが当たればいいなと、私は思っていたりもする。

次女がこのミシンを表現ツールとして、自分らしく進んでいってくれたら、とても嬉しい。

もしかしたら、古いミシンよりも新しいミシンが欲しいかな、と少し心配だったけど、
「こんな大切なミシン、もらっていいの?」と、
生まれた時から一緒にいるミシンを、彼女は喜んで受け入れてくれた。

ミシンとのたくさんの思い出と、これからの彼女の明るい未来を想像しながら、ミシンを丁寧に梱包し、彼女のもとへと送り出した。

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