やましろ唯一パパの自己紹介
はじめに
名前は手塚友晃です。
昭和54年5月12日生まれ
40歳。サッカーとスノーボードが大好きな2児のパパです
長男は勉強大好き。次男はサッカー大好き。
出身大学:日本体育大学
なのでスポーツには少しうるさいかも。
特に小中学生時のスポーツの取り組み方には。
出身地は東京都の板橋区です。
生まれは京都ですが、育ちはずっと東京です。
小学生時代
正直な話、小学生時代の記憶がほとんどありません。
覚えていることといえば、小学2年生からサッカーを始めこと。
サッカーのほかに器械体操、水泳と勉強もせずにスポーツばかりやっていたことくらいです。
一つだけ思い出に残っていることを思い出しました!
それはサッカーのイベントにでサッカーの神様と呼ばれているペレに肩を組まれ指示を受けている写真が読売新聞に載ってことです。
ちなみに新聞の見出しは「未来の日本を背負う少年に指示を送るペレ」みたいな感じだったと思います。
そのイベントは、読売クラブ(現東京ヴェルディ)の選手と小学生が対決するというものでした。
小学生チームの監督がペレだったのです。
当時の読売クラブにはラモスや武田、都並、加藤久など同世代のサッカー好きな人であれば誰でも知っている方ばかりです。
よく考えてみてください。ペレが指示を出している選手(私)は途中出場です。そうです。ベンチの選手に指示を出しているので未来の日本を背負う選手は無理がありますよね。
これくらいしか記憶がないんです。
中学生時代
中学生になってからは器械体操、水泳を辞め、サッカー1本にしぼり、ひたすら練習したのが懐かしいです。
プチ自慢ですが中学生の時に東京都でNo.1(優勝)になり、ベスト11に選ばれました。
この時に出会ったサッカー部の顧問である体育教師との出来事で日体大に行き体育教師を目指そうと思ったのです。
その出来事は、普段は怖くて話の出来ない先生が、東京都の一回戦(雨の日)で負けるはずがない相手に苦戦をし、何とか逆転勝ちしたときに涙を流し自分たちに言った言葉に感動をし、こんな先生になりたいと思ったのです。
「苦戦しても勝ち切るのがお前らの本当の力だ。お前らは必ず優勝する」
でした。言葉は単純ですが普段怒っているイメージしかない先生が初めてまっすぐ声をかけてくれたこの言葉に強くい印象を受け教師を目指す決意をしました。
高校生時代
東京都でベスト11に選ばれたこともあり推薦で高校に入学し、1年からベンチ入りできました。
一年生の時はなかなか試合には出れなかったけど2年生に上がると少しずつ出れるようになってきました。
必然的に3年になった時にはスタメンで出れると思っていました。
しかし、2年生の夏前だったでしょうか?
練習試合でなかなか思うように自分のプレーができないことにイライラし相手に思いっきりぶつかっていこうと追いかけたときにくぼみに足を取られ捻挫をしてしまいました。
ここで私の高校のサッカー生活は終わりました。
1年近くボールが蹴れなくなってしまったのです。
その時に治療してくれたのが柔道整復師の先生でした。
そこで夢だった教師と柔道整復師の道を悩みながら日本体育大学に入学したのです。
大学生時代
大学に入学するにあたって周りの友達たちは「サクラサク」という電報を受け取って入学しているのですが私は異例で「サクラチル」という不合格通知をもらったにもかかわらず現役で入学したのです。
大学時代は本当に楽しかったです。
ここで得た友は一生の友です。
運動神経の優れたものばかりの集まりであらゆるスポーツの授業をするのです。ほかの奴らに負けないためにはどうしたらいいか考えながらやっていたことが今の自分のスポーツの効率のいい取り組み方の考えの根源になっています。
社会人
結局、教師は目指さず治療の世界に飛び込むことを決意するのでした。
しかし、すんなり接骨院の先生を目指すと思いきや、なんと長く勤めた仕事が接骨院などで使う物理療法機械のメーカーでした。
この経験は今でも活かされています。
どこに電気を流すのが効果的か、どのエネルギーの機械を使ったほうが効果的かなど機械の特性を誰よりも理解してあると思っています。
遠回りしてと思う人もいるのでしょう。
ですが私はすべてが今の自分の経験、知識につながっていると思います。
今はやましろ接骨院に努め患者さんに治療する傍ら、子供の運動を見ることもさせてもらっています。
子供の運動でお悩みの方はぜひご相談ください。
https://totonoel.base.shop/items/28024875
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