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サピエンス全史4

こんにちは、のぐです。今回の書籍は、ユヴァル・ノア・ハラリさんの「サピエンス全史」です。訳者の方は柴田裕之さんです。いつものように、本記事でご紹介する内容をA4にまとめてみました。全世界で1200万部売れた超大ベストセラーとなっている「サピエンス全史」ですが、その内容は非常に長いです...。しかし、人類の歴史をかつてないほど巨大なスケールで観察することで、別の視点から見つめ直すことができる、全人類必見の本です。本記事では、その内容の本質のみを切り取ってお伝えしようと考えています。

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便宜性のために具体例を混ぜながらになりますので、全ての内容をご紹介するには8記事ほどに渡る超大作となるかと思いますがお楽しみください。
本記事は4記事目となり、

サピエンス全史1はこちら

サピエンス全史2はこちら

サピエンス全史3はこちら

結論

サピエンスは今まで3つのイノベーションを起こして、地球を制圧できるほどの力を手に入れました。それが

1. 認知革命
2. 農業革命
3. 科学革命

です。基本的には全て重要な節目になっていますが、本書の本質を理解するには「1. 認知革命」を正しく認識する必要があるかと考えます。認知革命とは

あらゆる虚構(フィクション)を創り、信じることができるようになった

というものです。端的に言えば、「嘘」をつけるようになったことが人類最大のイノベーションであるということです。これによってサピエンス同士が「より多く、より強く」連携できるようになり、その団結力を武器に地球上で「敵知らず」の状態に落ち着くことができた、ということが筆者の方の主張です。具体的にどういうことなのかはこれからの記事で徐々に明らかにしていく予定ですが、全てこの「認知革命」がキーとなりますので、この衝撃を脳裏に焼き付けておいてください。

第3部 人類の統一

9. 統一へ向かう世界

農業革命以降、人間社会は次第に大きく複雑なものとなり、「想像上の秩序」(前回までの記事をご覧ください)も洗練されたものとなっていきました。これはひとえに、神話と虚構のおかげで「みんなが同じ考えをし、それに伴ってみんなが同じ行動をとる」という習慣が定着してきたからでした。この「みんな」の規模は、他の動物たちに比べて甚大な数であって、その差は「嘘」を伝えられるし信じることができるようになったことから由来することも前回までで説明してきました。このような「見ず知らずの人が同じ考えをし、同じ行動をとる」という習慣を効果的に効率的に促す「人工的な本能のネットワーク」を「文化」と呼ぶことにします。ここでの「人工的な本能」とは、「虚構を創り出し、それを信じる能力」のことです。

しかし、その「文化」をミクロな視点で観察すると

絶え間ない「矛盾」が存在する

という事実が見えてきます。例えば、現代にて人類は「自由」と「平等」の相反する二つの考え方に折り合いをつけられないでいます。「自由」を追求してしまえば、貧富の格差は広がり「金持ちはどんどん金持ちに、貧しい方はどんどん貧しく」という方向に進んでしまい、逆に「平等」を追求して、そのような貧富の格差をなくそうと試みれば、「どうせ頑張っても平等な地位だから」と誰もモチベーションが上がらず経済は発展しません。

ここで話を留めないところが筆者の方の凄いところで、次に人類史をマクロに見ています。そのような観点からは次の事実が浮かびます。

歴史は統一に向かって進み続ける

「『自由』と『平等』」などという矛盾を「調和」させようと必死に足掻いてきたのが人類の歴史でした。過去の例に「キリスト教」と「騎士道」は矛盾するものと考えられていました。「キリスト教」は「攻撃されたなら、もう一つの頰を差し出すように」と非暴力を唱えた一方で、「騎士道」は「やられたらやり返す、それが美しい」という考え方でした。それらを調和させて作られたものが「十字軍」でした。キリスト教徒は原点「エルサレム」を守るために聖なる戦いに挑みました。そのように、「文化」は絶えず「矛盾」を孕みながら、それらを「調和」させて進歩してきたので、この世界に「純正」の文化は存在しないということが筆者の考えるところです。

グローバルなビジョン

サピエンスは、「私たち」と「彼ら」の二つに分けて考えるように進化してきました。紀元前1000年以前は、グローバルな社会は存在しえず、人々の生んだ「想像上の秩序」はその地域のみしか効果を持たず、人類の大部分はそれを互いに共有できませんでした。しかし紀元前1000年以降、状況がドラスティックに変わります。地球上の人類の誰もが共有する可能性を持つ「普遍的な想像上の秩序」が3つ現れたのです。

1. 貨幣
2. 帝国
3. 宗教

これによって、これら3つを共有できない「彼ら」がいなくなり、人類は急速に統一の道を進んでいくことになります。換言すれば、この3つは「グローバル化を進めるための三種の神器」ということになります。

10. 最強の征服者 貨幣

互いに大規模な宗教戦争を繰り広げたキリスト信奉者とアッラー信奉者は異なる要素ばかりですが、数少ない共通のものがあります。その1つが

「貨幣」

です。人類を統一に向かわせる三種の神器の1つですが、どのようにして今の「硬貨」や「紙幣」の形になったのでしょうか。少し変遷を追っていきましょう。

物々交換の限界

村落がまだ小さく、経済規模が限られていた時代、人々は「余剰資産」を「物々交換」という方法でモノとモノを交換していました。しかし、これには2つの限界があったと筆者の方は仰っています。

- 商品の相対的価値を決定するのが難しい
- そのとき、望むものは皆ちがう

そこで人類が編み出した発明が「貝殻」や「タバコ」のような、のちに「貨幣」と呼ばれるものでした。

貝殻とタバコ

貝殻は、最初の「貨幣」として有名なお話です。モノとモノを直接に交換するのではなく、一度「これは貝殻何枚分」として価値を仲介してからモノを交換していました。ちなみに「タバコ」は監獄にて流通した「貨幣」だそうです。それでは「貨幣」として成立するためにはどのような条件が必要なのでしょうか。筆者の方は次の3つの条件にまとめてくれています。

- 保存可(腐らない)
- 交換可(運搬しやすい)
- 尺度化可(細かい微調整ができる)

当時の「貝殻」も、現代における「紙幣」や「硬貨」もこの条件は満たしています。

貨幣はどのように機能するか

今となっては、貨幣は"価値のあるもの"と皆が信じているが、一番最初に"それには価値がある"とみんなに信じ込ませた人が気になるところです。ただの紙切れに"1万円"の価値があると皆に信じ込ませるのは容易なことではありません。シュメール人の「大麦貨幣」や、その後にそれらを改良した「金銀財宝」のエピソードは大変面白いお話ではありますが、本質とはズレそうなので割愛させていただきます。

大切なのは、今の硬貨にどのようにして価値を見出したかどうかです。

王の権力を硬貨に取り入れた

具体的には、時の権力者の「名前」を刻んだり、技術が進歩すると「肖像画」を描いたりして、硬貨に「みんなが信じる特定の価値がある」と信じ込ませることができました。

貨幣の代償

筆者の方によると、貨幣は2つの普遍的原理に基づいています。

a. 普遍的転換性...貨幣は錬金術のように、あらゆるものを他のものへと転換できる

b. 普遍的信頼性...貨幣は仲介者として、どんな事業においても、どんな見知らぬ人同士であっても協力し合うことができるようにする

これら2つの原理のおかげで、貨幣は「人間関係の促進」と「人間関係の喪失」の2つの側面を持つことになります。前者は、初対面同士の協力を促進させることができるという意味で、後者は、人間の親密な関係を損なわせることができるという邪悪な意味です。例えば、家を借りるために頭金によりすぐに信頼関係を作れる要因も「お金」ですが、大家さんと揉め合う原因も「お金」ということです。

11. グローバル化を進める帝国のビジョン

帝国とは

まずはじめに帝国になるために2つの条件が必要です。

1. いくつもの別個の民族を支配下におく
2. 変更可能な境界と無尽の欲

ここで「民族」とは、異なる文化的自尊心と独自の領土を持っている集団のことです。帝国は、このような「民族」に自分たちの文化を強制することによって、その特徴を跡形もなく潰していく集団です。すなわち、この帝国の誕生から「人類の多様性」が劇的に失われていくことになります。そして、この帝国も「普遍的な想像上の秩序」であって客観的な妥当性のかけらもないということも胸に刻んでいただきたいと思います。

悪の帝国?

しかし、帝国とは果たしてそんなに悪名高きものだったのでしょうか。帝国に対する現代の批判を整理すると、次の2つに分かれます。

A. 長期的に見れば多数の民族を効果的に支配することなど不可能
B. 原動力が破壊と搾取という邪悪なものだから

効果的に支配するという方法は次の節で触れましょう。この現代の批判に疑問符をつける内容が次の節です。

これはお前たちのためなのだ

はじめの頃の帝国は、皆さんの想像通り「欲深き邪悪な帝国」が多かったのですが、徐々に新しいビジョンを掲げる帝国が現れ始めました。つまり「効果的な支配」です。その心は

人類は一繋ぎの家族。親の特権は子の福祉に対する責任である

というものでした。慈悲深いビジョンを掲げた帝国が台頭し、やがてそのような帝国が生き残っていきました。そして心なしか寿命も長いのです。

歴史の中の「善人」と「悪人」

今ある文化は、帝国が「自分たちの文化」と「被支配民の文化」を織り交ぜて作り上げていった「混成文化」であることは間違いありません。筆者の方は、この地球には「純正な文化」は存在しないと断言しております。

そしてここからが議論のマトですが、筆者の方は

以前の「純正な文化」を再建し残酷な帝国の遺産を
完全に否定することはいかなるものか?

と問いています。確実なことは、今"良いと思われるもの"は沢山あり、それによる恩恵を受けられていることです。そちらを鑑みて、大切な第一歩は

問題の複雑さを理解した上で、過去を善人と悪人に
大別したところで無意味であると認めること

と仰っています。筆者の方はユダヤの家庭で育てられたということですが、この文章には奥深く刺さるものがあります。

新しいグローバル帝国

筆者の方の未来に対する「グローバル化」の主張をまとめます。

将来の帝国は真にグローバルなものになる。今や、各々の国家は独立性を欠いて、国際基準に従うことを余儀なくされている(2015年当時、自国ファーストを掲げる国は珍しかった)。そんななか、現在進行形で形成されつつあるグローバル帝国は特定の国家によって統治されない(googleなどのメガテックか)。世界中で優秀な起業家、エンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国への参加の呼びかけを受けている。
グローバル帝国 OR 自分のふるさと
前者を選ぶ人は、今確実に増えている。今後もさらに増え続けるだろう。

現段階では、「アメリカ」、「日本」などのように「国家」という組織が存在しますが、それは人類史で見れば一時の「フィクション」であり、歴史はもう次の段階へ突入しているかもしれません。拙記事「四騎士GAFAは、なぜ叫ばれるのか?」でご紹介しましたが、アメリカではメガテックと呼ばれる企業が、その州の税を免れるなど、「一企業が州に支配されない」という逆転現象が起きています。筆者の方の想像するグローバル帝国とは、おそらくこのようなメガテックを指しているのではないかと思われます。

私たちは自国文化の伝統を信じていますが、自分の国家は本当に揺るぎないものなのか、それともあとわずかで崩れ去る「フィクション」なのか、もう一度見直してみることが望まれます。


最後に、本記事をご覧になった皆様の今後のご多幸をお祈り申し上げます。
それではまたの出会いを楽しみにしております。

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