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私は社長の息子だと書いたらフォロワーが減った話



日曜日のツイートはなかなか評判が良かったはずなのですが、フォロワーが一気に40人くらい減っていてショッキング。連投が原因でないのは最初の3投くらいで減ったのを確認済みだからです。



これ1投目。フォロワーが減ったとわかったのは私が普段からフォロワーチェックする承認欲求満々人間だからではなく、先日フォロワー7777人な瞬間を発見しスクショしていたからです。



先週の木曜日の23:39分にスクショしたもの。そこからありがたいことに7790人くらいになってたはずなのだけど、今見たら7750人。記念すべき瞬間以前に逆戻り。さ、寂しいっ!



こちら3投目。ここでガツっと減ったすれば、私のメモリアル感の押し売りかまってちゃんぶりが嫌われた、もしくは単純にその前の私のスーツ姿にムカムカした、などなどといった可能性はもちろんありますが、しかし私は私が社長の息子であり且つなんだか金持ちぽく見えた画像に対する世間への反射的反発による結果ではないかと想像しました。


違うかもですし、そしてその理由は別途察しているのですが、良いのです。以前から書きたかった話に広げるにはちょうど良いネタなのでこのまま進めます。



父があるやむを得ない事情で退社を自ら決断し、その際家族もいるにも関わらず同会社を辞めついてきてくれた現在幹部である方とほぼふたりで港の工場を間借りし起業したのが私が小学3年生くらい。一軒家を建てた3年後という予期していなかった状況もあり私は昭和な時代を鑑みてもたぶん厳しく育てられた方な気がします。

ただ「おまえは恵まれてる」と言われ続けもちろん自分も「恵まれてる」と生きていました。子供の頃のごはんは麦ご飯で古くなると臭くて嫌で、水がもったいないから大以外はトイレの水流すなと命令されたのはもっと嫌で(父親がいない隙をみて流していた)、電話はお金がかかるから禁止、バイトは禁止でしたが夏休みは父親の会社で朝8時から夜の5時まで一日中強制労働、時給は50円。昭和といってももちろん最低賃金はその10倍くらいはあったはず。

高校一年生。お年玉を貯めてようやく買ったエレキギターでしたが音を出すために必要なアンプやチューナーが買えず一度もジャーンしないまま断念。そんな中でも今自分が仕事にしているようなカルチャーに興味を持ってたことはラッキーでした。

お小遣いをもらえたのは高校生からで月に3,000円。おそらく父の会社はバブル期もあり上手く行き始めていたのかもしれません。また親戚が多くお年玉だけは貯まったことはまたラッキーでした。高校一年になるとアンダーグラウンドな洋楽とファッションに夢中になっていたのでレコードや服に全投資です。こう思い返すと自分はやはり「恵まれていた」と思います。



さてサブカルチャー界に限らず世間では富裕層への対抗心やらが存在したりしますが、特に日本のサブカルチャー界では「金持ちになってはいけない」や「稼いではいけない」みたいな空気感があります。なのにそのくせ「好きなことで生きて生きたい」と皆が思うのでもう絶対無理ゲーな状況を自ら作り出している世界です。その結果、1998年までの日本のサブカルチャー界は衰退しそして多くの若者達はYouTubeやTikTokや1分間の殴り合いなどによる一発で人生を掴むことに魅力を感じるようになっているのは当然だと思います。私だってもそっちの方がワクワクするもの。

では我々が影響を受けた欧米のインディペンデント・ミュージシャン達はどうなのでしょうか。ロックとかパンクとかアートとかカルチャーとかワーキング・クラスとかストリートからの成り上がりに魅了されたような我々日本人の老人によるイメージ(幻想)と現実はかなり乖離しているものだと私は思います。だって私はアンプもチューナーも買えなかったのに労働階級出身のニュー・オーダーはそのどちらも持っていたのです。ジャーンしてたのです。なんだよ、めちゃ裕福ジャーン。


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