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日本語教師日記その2. 初めての出張授業

私が日本語教師になったのは、かなりの昔です。
あんまり言いたくないけど、「日本語教育能力検定試験ができる前」と書くと、わかる方ですと、すぐおわかりになります。

ときどき使っている「日本語教師と学習者のマッチングサイト」には、年齢と、教師としての経験年数を書く部分があるのですが、あれ・・困ります。それを見て、なんとなく年齢を推察されることがあるからです。
今はどうかわからないのですが、私が日本語教師になった頃は、それは生活が成り立ちにくい職業の一つで、退職後の男性や、中高年以上の主婦のみなさんがとても多かったです。同僚は、おじさま・おばさまが多かった。
実は私の経験年数は今年で34年なのですが、マッチングサイトから来る人に、
「75歳ぐらいだと思いました」と、言われたこともあります。
いえいえ、私はまだ大学生の子供もおります。

年齢に関わらずできる仕事を選んだつもりでしたが、この展開は想像しなかったなぁ〜。
ですから私はときどき、経験年数を少なめに言います。
逆サバを読んでどうしようというのでしょう。
この辺の微妙な感じは、女心てやつなのか。

さて、私の思い出に残る、忘れられない授業はやはり、初めての派遣レッスンです。
本当にこわごわ、向かいました。

場所は、赤坂にある「神霊教本部」のビルのすぐ近くでした。
レッスンは午前8時開始でしたが、警備室に立ち寄って中に入れてもらい、会議室まで連れて行ってもらわないといけないので、15分前には着いたと思います。
間接照明がおしゃれな会議室でした。
広い広すぎる。どこからか風が吹いてくるほどでした。

椅子に一度座ってから、いやいや生徒さんから見るとここは上座かな? と、座り直し、いやいや、先生なのだからいいのだ、と元に戻ってから、
「そもそも、上座とか、誰も気にしないでしょう、何をやっているのだ私は・・」
などと思ったりしていました。

緊張のあまり、喉がひっつきそうです。
エヘン、などと空咳をし、懐かしい昔の教科書、「わかるにほんご1」(今井幹夫著・絶版)や、イタメ、辞書その他を並べました。

そも、イタメとは何ぞ?
今のように タブレットでその場で動画でも画像でもイラストでも、なんでも見せられる今の世からは想像できないと思いますが、イタメとは、授業の導入に使う写真やイラストを、厚紙に貼り付けたものです。学校にある程度は備えてあって、そのまま借りることもできましたが、なければ自分でコピーして作ることもありました。イタメ・・語源はなんなのでしょうか。

生徒の来るのを緊張して待っていますと、長い廊下の向こうから、カーペットを踏んでやってくる足音が聞こえてきました。

すとすとすと。

そのとき私が思ったことは、「お願い来ないで来ないで来ないで・・」でした。

いやいや来るでしょう。レッスンを予約して、時間になったのだから。
何を思っていたのでしょうか私は。
緊張のあまり、なんでもいいから、この授業が始まらないでほしい、
なかったことにしほしい、と思ってしまったのでした。

私の願いも虚しく、会議室に にこやかに入ってきたのは、歳の頃なら50半ばか。仕立ての良いグレーのスーツを着た、長身で白髪の上品なお方。
誰でもご存知の大企業の、当時の日本支社の社長の、デシーコ氏でした。

30年以上も経って覚えているのは二つのことです。

初めましての挨拶が済み、表面は悠々と、内心はガタガタと震えながら授業を進めていると、やがてデシーコさんがいきなり、

「先生、のーの」

とおっしゃいます。

「先生、のーの」😃
「はい?」
「のーの!」
「のーの?」
「はい、のーの」

実は日本語の教科書は、余計な疑問を生じさせないように、まず呑み込みやすい形から紹介する作りです。「この言い方もある」ということがあっても、片方しか出しません。
例えば、「大事」「大切」なら、その教科書では「大切」だけが出てくる、ということもありますし、日本語として多少不自然だが、初級レベルはこれで言っておいてほしい、という表現もあったりします。
なので、気をつけていないと、滑って、教科書にない言葉や言い回しをしてしまうことがあります。私はこのときも、準備をしていたのですが、つい教科書から踏み外し、そこにはないことになっている「の」を、つけて言ってしまったのでした。

あっ、すみません。「の」、は ないですね、ここはね。

「はい先生、Noー「の」デス!」😀

あともう一つは、デシーコさんが家族についてお話しされたときに、こうおっしゃいました。

「私は妻を 笑います」

・・・・・・・・・・・えとえと、どういうことですか?

「私は妻を笑います。I love my wife 」

あっ、デシーコさん、loveは、愛します、愛しています  ですよ?

と言いますと、彼はおでこをぴしゃっと叩いて、

Oh..Suzuki san!

 と言いました。

初心者の彼は、I love ... を日本語で言いたくて、日本人のお友達に訊いたのだそうです。

loveは日本語でなんですか?

聞かれた人にはそれが、 laugh(笑う)と聞こえ、

laughですか? 【わらいます】ですよ。書きましょうか。

というやりとりがあっての、この間違いになったようです。

なんだか、なさそうでありそうなことですよね。


デシーコさんのファーストネームも忘れてしまいましたが、お国に帰るまで、続けてレッスンを受けてくださいました。
お元気かなぁと、遠い目をして思い出しています。


私が、オンライン専門の日本語教師になってからほぼ10年経ちました。
ほとんどの生徒が、3年から9年、続けてくださっているのも、オンラインならではの受講のしやすさもあるのでしょう。
長い年月のうちに、一人一人の学習者のリクエストとニーズに応え、教科書を使わず、自分のオリジナルのプリントを主に使うようになりました。

独自の発達を遂げたガラパゴス諸島の鳥やけだものと同じ、独特すぎる感じの日本語教師、それが今の私です。
ガラパゴス諸島に長く生きて死んだピンタ亀のロンサム・ジョージ。🐢
彼に親しみを感じます。

あそこまで甲羅が分厚くなかった、駆け出しの日本語教師時代を、懐かしく思い出す今日この頃です。


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最初に使った教科書が「古書」とは!
じゃあ私は年表上の人物か・・・。


ロンサム・ジョージです。

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首の長さでは負けていません。

日本語教師日記、続けたいと思います。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。