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エッセイ157.食う寝るところ住むところー(1)四人一緒に寝る


人生の三分の一は眠っているのです!

と言われると、つい高い枕を買いそうになってしまいます。

私は一生のほとんどを、畳の上に布団を敷いて寝てきました。
遅い結婚をした時、想定外に相手が外国人だったため、思いました。

やったね。
とうとう私もベッドで寝ることに。

ところが夫は、合気道が大好きです。
道場のクラスの、誰よりも長く正座ができるとご自慢でした。
なんでそんなことを言うかというと、昇級?昇段? テストが道場であると、全員が終わるまで正座をして待つのだそうですが、
それでどんなに足が痺れようと、

「私はよろけることなく、すっと立ち上がれるのです」

だからなのでした。

たまに、痺れて大変になる方もいらっしゃるそうです。
夫は書道も、私より級が上で、私にできていない「座りだこ」があります。

その夫が結婚するとき、

「畳は、東京砂漠に残った数少ない自然です。
その上に、コットンで作られた布団を敷いて寝る。
こんな贅沢なことはないじゃありませんか」

と言いましたので、ずっと賃貸暮らしですが、和室が少なくとも一間、できるなら二間あるアパートを選んできましたし、ずっと布団に寝ていたのです。

これで私の、いつかはベッドに寝る、なんならお姫様のように、なんていうんですかあれ、天蓋? 違いますかね、とにかくあれを使ってみたいという夢は破れました。

夫に直接文句言いましたよ。

あ〜あ、夫がダンスできない人で、
ベッドに寝られないなら、
わざわざ外人と結婚する意味ってある〜?

って。
書いていて、自分ひどいなど思いました。

さて、「ずっと布団」と言った舌の根の乾かないうちにあれですが、
実は最初の5年ぐらいは、私たちは二人から三人、四人と家族を増やしつつ、
すごく大きなソファベッドに四人で寝ていたのでした。

それは、独身だったときの夫が、奮発して買ったドイツ製で、
ぐぐ〜、と伸ばすと、6畳間を覆う広さになるものでした。
寝ることが前提なので、そういう大きさのベッドマットと、
巨大なシーツがありました。

じきにいい布団を買いましょう、それまでね、と思っていたのですが、
とりあえず寝られるのと、寝る準備が楽だったため、長い間ここに、一家四人で寝ていました。

赤ん坊なんか、ベビーベッドの時期が終わると、この大きな大きなベッドに、夜はころんと転がされていて、不用意に あ〜よっこらしょ、と体を投げ出したら危ないです。広いベッドのどこに転がっているかわかりませんから。

赤ん坊と幼児と父親が、全く同じポーズでこのベッドに寝ている写真も何枚もあります。
広げますと、畳にとても近かったので、なんかとてもくつろげました。
休みの日なんて、よっこらしょと畳んでソファにしようと思いつつ、
一人起きれば一人寝ていたりするので昼頃まで広げっぱなし、
そこに座って昼ごはんなんか食べちゃったりして、
うっかり午後になると、

今畳んでも、広げるまであと数時間だから、これでいいか

みたいな、だらしない生活をしていました。

次女がまだ口が回らないぐらい小さかった頃、
睡眠が浅いというか、いつまでたってもすーっとは寝ず、
寝てもすぐ起きてしまう子でした。

寝かしつけようとしていろいろしても寝ないため、
一番最初に寝落ちするのが私でした。

仕事が忙しくて深夜に帰ってきた夫が、寝ようとしてやってきたら、
暗い中に次女が足をぶらぶらさせてベッドに座っていたそうです。
そして、ひょいと手をあげて、

はろお、ダイモン

って言ったんですって。

ダイモンていうのは、ブログ用の仮名ですが。

引っ越しのたびに引っ越し屋さんにご苦労をかけていつも一緒に移動していたこのグレーのソファーベッドですが、とうとうバネが壊れて危なくなり、
重いものを引き取ってくれる粗大ゴミ業者さんに来てもらいました。

結婚生活の最初の5、6年の私たちを見つめ続けたソファベッド。

一人めの陣痛も、二人目の陣痛も、これに座って、

あだだだだ・・・

と耐えたのも懐かしい。

いよいよUR賃貸の狭い廊下を出て行く時は、涙がぽろっとこぼれたのでした。


続きます。



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