”見えてる人”のアートで気づいた「脳の病気は本当に障害なのか?」~n・a・n・l⑥
NHK番組『朝までno art, no life』で出会ったアート作品をご紹介させて頂いておりますが、今回ご紹介するアートを一言で表すとなると・・・
「脳の病気は本当に障害なのか?」
記憶喪失
脳性まひ
『no art, no life』で出会えた脳に障害を持った2人の作品を観ていたら、私はそう思いました。
この2人は脳に障害を持ったことで他の人と同じではなくなったから、それは病気だと私たちは思うようになっただけで、人間の本当の能力を開花させたのではないか?という新たな問いを持った瞬間、私にはこう思えたのです・・・
彼らの脳は進化しているのでは?
なぜなら、私たちには見えないものが見えるようになったというのは、機能拡張の面もあるのでは?
脳が進化しているだなんて、いまの私たちには理解することができないことでしょう。
しかし数十年後、脳の秘密が解明されていったことによって次世代の人たちは歴史を知ることでこう思うかもしれませんよ、
植物は人類よりも進化した生物
以前、私のボソッとで『植物は人類よりも進化しており、高度な文明を築いていた。』というタイトルで、植物の進化についてボソッとしたことがあります。
その際に「植物は無償の愛で人間を支えている」という表現をさせていただきましたが、今回ご紹介する作品はまさにそのことを絵で表現されていることに気づきました。
西村一幸さん
仕事中の事故で記憶のほとんどを無くした西村さん、家族のことも忘れたと・・・しかし、西村さんは失った時間を取り戻すかのように絵を描き続けている。
西村一幸さんが描くのは、記憶の奥にある植物、ピラカンサだけです。ところが、西村さんの作品は実際のピラカンサとは違う不思議な生き物のように描かれています。
皆さんはこの作品を観てどう思われましたか?
私には進化した植物に見えました、というよりも、本来の植物の姿を描いているんだなと思いました。
以前にもボソッとしましたが、植物は人類よりもはるかに進化していて、進化したことによって愛の塊にような存在となったことで、地球に誕生したばかりの人類を温かく見守っている存在と変化したのが、いまの植物の姿だと私は思っております。
西村さんが描いたこちらの作品をご覧下さい。
植物が人間を温かく抱えてくれている、そんな姿に見えませんか?
西村さんは記憶喪失をすることによって、いつのまにか”見えるように”なったのでしょう。
本来の植物の姿を・・・
新たな”脳力”開発
以前、私のボソッとでは「ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)」によってマヒした手足を自分の脳を使って再び動かせることができるようになることを書いたボソッとがありました。
しかし、脳性まひと診断された方が描き続ける絵と出会えたことで、このような問いを持つことができました。
BMIは人間にとって果たして進化なのか?それとも退化なのか?
ここまで描き続けることができる、描き続けたいという意欲がなぜ消えないのか?
脳性まひの方が描く作品を観て圧倒されました。
動かないはずの体を使って、なぜこのような凄い作品を描けるのか?
脳性まひというのは本当に脳の障がいなのか?
だから、こう信じてみたくなったことがあります・・・
脳性まひによって”見えないものが見えた”から、たとえ体が動かなくても、絵を描き続けたい、だから彼は命を懸けて描き続けるのだと。
川上建次さん
脳性まひの画家、川上さん、みんなからは”画伯”と呼ばれている。手足が不自由なため職員の介助なしでは絵が描けない画伯だが、不自由な手で油絵の具を何度も何度も塗り重ね、描き続けてきた。
作品を描いているときの画伯の声がいい!
「ぐぁぁう」
作品に魂を込めているかと思うほどの、画伯の顔がいい!
その声、その表情につられて、周りから掛け声がでる!
なんだろう、不思議だけど、画面越しに見ている私も、なぜか力が入ってくる!
番組出演者の内田さんがナレーションでもおっしゃっていましたが
そんな空間で描いた顔がこちら・・・
川上さんの作品を観るだけでは、ある種、暴力的に描きなぐっているようなイメージを受けますが、作品を描いている川上さんを見ればわかりますが、全然殴り描きでもなんでもなく、逆に丁寧に丁寧に描いていることが分かります。
ときには描きたくても描けない、体が動いてくれないのか、それとも自分の思ったものが描けないのか、そのときに「かけない」という声とその表情でさえも、私たちには伝わってきます、「わからないけど、圧倒的にすごい」ということが。
まるで命と引き換えに描くようだ。
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