見出し画像

苦しみの生まれるところ

気がついたら、前の記事から日数が経っていました(汗;
まだ脳科学の本の話も終わっていないのですが、今日は「苦しみについて」の話です。

「人間の苦しみとはその人の置かれている客観的状況と、その人の主観的な想い・願い・価値観とがズレているとき、その「ズレ」がその人の苦しみを構成するということが明らかになる」

村田久行「改訂増補 ケアの思想と対人援助」川島書店より引用

客観的状況と主観的な想い・願い・価値観とがズレている時というのは、どういう時でしょうか?

先日、ある人と話をしていた時のことです。
その人は「自分はもっと評価されてもいいはずだ」という言葉を繰り返していました。
自分は職場でやるべきことをしっかりやってきた。だから周囲からもっと認められてもいいはずなのに、周りからは自分の思うようなリアクションが返ってこない。
これはまさに引用部分で書かれているような苦しみの一例と言えるのではないでしょうか。

自分が置かれている客観的な状況と自分の想いのズレが大きければ大きいほど、ひとは苦しみます。

さて、この場合、このズレを小さくするにはどうすればいいでしょうか。

ひとつには客観的な状況のほうを変えて、ズレを小さくする。
つまり「相手や環境に働きかけて、客観的な状況を自分の想いや願いに近づけていく」というやり方。
これはけっこう能動的で、エネルギーのいるやり方ですね。
他には「その状況から離れる」というやり方もあるでしょう。自分の想いや願いと大きくずれている相手や環境との関係を断ち切る。
これは一見、消極的ですが、断ち切るにもそれなりの覚悟とエネルギーが要りそうです。

もう一つは自分の想いや願いのほうを変えて、ズレを小さくする。
「自分の想いや願いを客観的な状況のほうに寄せていく」というやり方。簡単に言えば、想いや願いを現実に照らし合わせて、いったんサイズダウンするというイメージですね。
これはこれで「簡単にできたら苦労はしない」といった感じでしょうか。

話を戻して「自分はもっとやれるはずだ」とか「自分はもっと評価されてもいい人間だ」という思いを抱きやすい人の根っこにあるのは、向上心ではないかと感じるので、それはひとつの強みなのだろうと思います。

けれど、一方で高すぎる向上心は、その人自身の想いと状況にズレが生じやすいので、つねに不満や苦しみを内包することにもなりやすいです。その不満の矛先が自分自身に向かうと「自罰的」になり、状況に向かうと「他罰的」になります。

こういう場合、私たちには何ができるでしょうか。
私も先ほど登場した人の話を聞きながら、どうするのがいいのだろう…
としばし考え込みました。

答えはいろいろあるかと思いますが、その時、私が考えたのは、自罰でも他罰でもなく「まずはそのズレの大きさを眺めてみる」ということでした。
ズレの原因ではなく、ズレの大きさ…
もっと言ってしまうと「ああ、ズレがあるんだなぁ」といったん受け入れてみるというやり方です。「そっか、ズレがあるんだ」と。

「苦しくなるくらいのズレが生じている」というところを出発点にして、それから自分の想いと状況の両側面から原因を考えるといいかもしれません。
それというのも、ズレが生じているのに、そのことを不問にしたままでいると「同じであるはずなのに、どうしてうまくいかないのか?」あるいは「同じであるべきなのに」という思いが先行して、どうしても「足りないもの探し」になりがちです。

「自分と相手のどちらが足りてないのか?」
あるいは「どちらが間違っているのか?」という風に。

でも、実際にそこにあるのは“ズレ”であって、足りてないとか間違っているのではないことが分かるかもしれません。
高いビルと低いビルには高さのズレがあるだけで、どちらが足りていないとか、間違っているとかではないのと同じように。
高いビルから見えるものと、低いビルから見えるものに違いがあるように。

もちろん、どちらかが足りていないとか、間違っているとかいう場合もあります。大いにあり得ます。
でも、そうじゃない可能性だってあるわけです。

ズレに注目した時、その可能性がふと目に入ることがあるかもしれません。
そうすれば、次に何をすればいいのかが分かるかもしれないし、とくに何もしなくても、気持ちのモヤモヤがすっと消えるかもしれない、そういう話です。

自分が、でなくても
身近にいる誰かが、何かで苦しんでいる時にも、そこに生じているズレに着目することで、相談に乗りやすくなるかもしれません。

今日は「苦しみの生まれるところ」について、ひとつの考え方をご紹介させていただきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?