第3話 私の解体新書
私はド平凡サラリーマン。もうすぐ歴史に名を残す者だ。
現代に杉田玄白がいたら、レオナルド・ダ・ヴィンチがいたらこのたるんだカラダを見て何と言うだろうか。少なくとも現代医学の定期健康診断という手法でも、「要観察」、「再検査」というお墨付きをいただいているのだから、きっと興味を持っていただけるはずだ。
だが今解体すべきは身体性ではない。
ハードスキルとソフトスキルなども大切だ。ハードスキルとは履歴書等にかける資格などを指す(らしい)ソフトスキルとは、論理的思考やコミュニケーション能力などを指す(らしい)
それよりも何よりも今確認すべきは、私は何がしたいのか、私は何者かというアイデンティティのようなものだ。自分の主権を取り戻そう。
東京に生まれ育ったが、相対的に不便な暮らしをしていた。最寄駅から徒歩70分くらい。23区にそんな土地があるのかと疑いたくなるような辺境地で過ごしてきた。もっぱら移動手段は自転車とバスだった。周りには畑も多く、子供の頃からイヌやネコが家におり、家の中は心地よい隙間風が吹き、壁も薄い、わりと、自然と一体的なくらしだった。
それもあってか、小学校でダービースタリオンという競走馬育成ゲームにハマったせいか、農家、酪農家に興味があった。大学では農業経済学を学ぼうと思ったが、今さら農業って?との外圧に押されて、あっさり外国語学部ドイツ語学科という、それはそれでのどうなの?という選択をしてしまった。
気がつくと世界と日本の対立構造で物事を考えるようになっていた。海外に行くと、名札としての「日本人」であることを強く意識させられる。グローバル化、IT革命、世界はより便利につながる時代、世界をフィールドに活躍しないなんておかしいとさえ思っていた。都市的な文化に染まり、自然を意識することも無くなっていた。思えばこの辺りで勘違いしていたのかもしれない。地球というものはドラゴンボールで復活できるものだと。
グローバル+ローカル=グローカル
最近ではそのような言葉もあるらしいが、どちらかだけに偏ってはいけない。地球規模の課題がたくさんある。それは歴史的に見ても近代化以降の200年弱という短い時間で便利さと引き換えに起きたものだと言われる。日本も超高齢化社会、人口減少、地方経済の衰退など課題を抱えている。どちらも解決していかないといけない。
そう思うに至ったのは子供の存在だった。私にはまだ幼い二人の娘がいる。彼女らが大人になる頃(2035~2040年)の地球はどうなっているだろうか。今のようにマスクが外せない、毎年のように天災が起きる、増え続ける社会保障費・・・そんな悲観的な予想も多い。
子どもたちの未来のために、今地球に優しいことをする
それが私の使命だ。
具体的に何をするか、続きは次回。
都会で実践できる農ライフ、読書、ドイツ語、家族などについて「なぜかちょっと気になる」駄文・散文を書いています。お読みいただき、あなたの中に新しい何かが芽生えたら、その芽に水をやるつもりでスキ、コメント、ほんの少しのサポートいただけると嬉しいです。